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未来の考古学  作者: 鷲塚
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ロクスケ・ターミネーション!(2)

2.目覚めた日

   目覚めた日


 月面ウサギは数千年ぶりに深呼吸した。

 肺いっぱいに空気を満たし、時間をかけて吐き出す。人間ならば全く意識することが無い行為だが、久しく感じることの無かった感覚に自然と月面ウサギの胸が高鳴った。

 そして、月面ウサギは数千年ぶりに瞼を開いた。

 ゆっくりと、最初は薄目。頃合いを見計らって目を見開くと、真っ白な天井と照明の明かりが飛び込んでくる。

 ベッドに横になったまま、月面ウサギは頭と視線を動かす。窓のない部屋の中央にベッドが置かれており、その周囲には医療用の機器が所狭しと並んでいた。

 細い身体に力を入れて、月面ウサギは、ゆっくりと上半身を起こした。

 髪の毛がふわりと頬に触れ、かすかな衣擦れの音が耳に届く。細くしなやかな両手を眼前で確かめ、一度、二度と拳を握って感触を確かめる。

「間違いない、本物の身体だ」

 聞き慣れた自分の声ではない。他人の声で呟く言葉に少々違和感を覚えた。喉に手を当てて二・三度の咳払い。鏡が見あたらないので全身を触ってみて、元の自分の身体より少々発育は良いようだが12.3歳の年頃の少女だろうかと推測する。

 何か情報を得たいと、月面ウサギは、ベッドの周辺に視線を走らせた。ベッドに付けられているネームプレートには、合成人間「司馬あかり」と書かれていた。合成人間の名前は月面ウサギも聞いたことがある。生物の設計図である遺伝子情報を0から設計した人間というものだ。

 遺伝子の組み立てと生体組織の培養に特殊な設備が必要であることから、合成人間を作成することが出来る機関は限られている。ネットに接続し検索すれば、簡単に現在の位置を絞り込めるだろう。そう考え、電脳空間の中でやっていたように月面ウサギは検索用のアクセスコードを思い浮かべ実行させた。

 医療機器の作動音だけが数秒むなしく繰り返される。心電図が激しく波打ち、冷や汗がにじみ出てきた。

「オフラインだなんて・・・・・・」

 オフラインなどという代物ではない。月面ウサギは、自分の身体をきつく抱きしめていた。 この身体は、感覚からして電脳化すらされていない完全生身の人間だろう。口の中がぱさぱさに乾いてくるのが月面ウサギには判った。

 全身に付けられている検査機器を取り外し、カテーテルと点滴の針をそっと引き抜いた。一斉に計測機器のモニタがフラットになり、同一音階のビープ音が鳴り続ける。

 月面ウサギは、裸足のままベッドから降り、そっとドアに近づいた。

 幸いドアに鍵は掛かっておらず、取っ手に手をかけてゆっくりとスライドさせる。

「地球だ」

 そっとのぞき込んだ先、大きな窓から見えたのは、まるで山脈のようなクレーターリムの稜線から地球が昇りつつある景色だった。

 息をのんで月面ウサギは窓へ駆け寄った。眼下には古い条理地割りを再現した碁盤目状の夜景が広がっている。その景色は、月面ウサギもよく知っているモノだ。

「月面観光都市NEO・KIYOTO」

 額を窓ガラスにくっつけるように月面ウサギは外を見た。鴨川の左岸、川端通りを走るノスタルジックな電気自動車の灯りが次々と流れていく。これで月面ウサギは、自分の居る施設が何処なのかおおよその目処が付いた。

 月面ウサギは、引き締まった表情で思いを巡らす。

 旧京都市をモデルに作られた月面都市。そこに再現された東大路春日に位置する京都大学付属病院だ。外見は当時のモノを再現しているが、内部施設は最新のモノを使用している。昔と同様に大学病院として機能しているので、最新の技術が導入されていても何ら問題ない。

 視線を正面に戻すと、今の自分がガラスに映り込んでいた。肩まで伸びたストレートの髪にすらりとした体型をしている。病院着の上からでも判る胸の発育の良さが少々アンバランスだと思えた。DNAをデザインした人間の趣味だろうか。ホログラムでも意識だけの存在でもない。ローティーンの少女が緊張した面持ちで自分を見ていた。

 そんな自分をみて、月面ウサギは小さく息を吐いた。恐らく仕組まれた事とはいえ、自分はこの少女の中に居るという現実に対し、どの様に対処しなければならないかを考えねばならないのだ。

 ふと、人気のない廊下を走る音がした。

 月面ウサギは咄嗟に音の下方向に振り向き、その先のT字路を睨み付ける。

 計測機器の情報がフラットになった為、緊急コールがナースセンターで発せられたからだろう。暫くしたらここに来るはずだ。

 足音は駆け足で近づいてくる。

 一人だ。

 まだここに来るまでには少し距離がある。月面ウサギは、音に注意を払い続けた。

 歩幅から女性。走り方が元気だから若いだろう。恐らく自分を担当している看護師だろうと予測する。

 後数秒にはこの場にたどり着くだろう。

 ここで月面ウサギは考える。このままココにとどまって反応を見るか、ここから抜け出して外に出るかだ。

 こんな状況下でよくもまあ冷静になれるものだ、と月面ウサギは思った。この場に残った場合と残らなかった場合とを脳内で一瞬にしてシミュレートする。

 結論を出した月面ウサギはグッと表情を引き締めた。

「行動開始」

 月面ウサギは、素早く病室のドアを開け、ベッドの下に潜り込んだ。まずは、ここから離れる時間を作らなくてはならない。そのまま息を殺して足音の主が来るのを待った。

 程なくして病室のドアが荒々しく開けられる。足音の主は、月面ウサギの予測通り女性の看護師だった。まだ若い。恐らく二十代前半だろう。

 看護師は、はっと息をのみ、動転して両手で抱えていたバインダーを取り落とす。そして、落としたバインダーを拾う事無く、看護師はがら空きとなったベッドに駆け寄った。布団を捲って温度を確認する。ベッドの中はまだ暖かく、起き上がってからさほど時間は経っていないように思えた。

(よし、そのまま行ってしまえ!)

 ベッドの下に居る月面ウサギの拳に思わず力が入る。

「な、ナースセンターへ報告」

 自分自身に確認するように低く呟き、踵を返して看護師は立ち去った。

 それは期待通りの反応だった。小さくガッツポーズをして月面ウサギは足音が遠ざかるのを待ち、のそのそとベッドから這い出て服についた埃を払う。

「次はこの病院から出なくちゃね」

 病院着のまま外に出るのは目立つので少々はばかられるが、ここから抜け出さなくてはどれだけ拘束されるか判ったものではない。

 月面ウサギは、廊下に飛び出でて様子を伺った。

 どうやら、まだナースセンターの方は対策を立てられていないようで物音は殆ど無い。月面ウサギは、そのまま廊下の標識に従ってロビーへ向かい、五階、四階、三階、二階と、左手を手すりにかけて軽快に駆け下りる。

 たどり着いた一階の受付ロビーは静かだった。カウンターのシャッターもすべて下ろされており、診察待ちでごった返している昼間とは大違いだ。ここまできて、月面ウサギの視線は、正面入り口の隣に設けられた緊急用の通用口に向けられる。常識的に考えて、消灯後にすべての入り口は施錠されるから、ここが唯一の出入り口となる。それに、あまりこの場で時間を使う訳にも行かない。ナースセンターから連絡されて緊急通用口を封鎖されれば、今の月面ウサギに病院を抜け出すことは難しくなるからだ。

 忍び足で受け付け窓まで近づき、慎重に中をうかがうと中年太りの男がこちらに背を向けて電話を受けているところだった。

「なに、聞こえづらい。もう少し落ち着いて話せ」

 中年太りの男がぶっきらぼうに対応する。

「ハァん、小学生ぐらいの女の子が居なくなったぁ。念のため緊急通用口を封鎖して欲しいだと」

 月面ウサギの心臓がドキリと鳴って、振り向いた男と目があってしまった。

「この!」

 一瞬の間をおいて、受話器を投げ捨て叫ぶ男が施錠スイッチに飛びつくのと、月面ウサギが非常口のドアに飛びつくのがほぼ同時だった。

 静かなロビーに施錠音が高らかに響く。

 中年太りの男は勝利を確信し、ニヤリと笑みを浮かべた。

「ざあぁぁぁんねんでした」

 月面ウサギは男に言い放った。ドアは僅かに押し広げられており、鍵のデッドボルトがむなしく突き出ている。

 非常受付の空気を電話から察したのか、2・3の足音がロビーに近づきつつあった。ナースセンターの看護師達だろう。

 これ以上ここに留まっているのは得策ではないと、月面ウサギは、ドアを押し広げるなりスルリと外へ抜け出した。

「ぐっばあぁぁぁい!」

 受付で苦虫をかみつぶしたような顔をしている男に笑顔で手を振り、月面ウサギは夜の闇に駆けだした。

肉体を得て戸惑う月面ウサギの明日はどっちだ!

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