~7話~この森絶対なんかおかしい
水の流れとは反対方向に、鮮やかな緑色の草が昇ってくる。元の世界だったらまずありえない光景だ。無質量、と解釈する他にない。しかしここは異世界。俺の常識は通用しない。当然、魔法の効力なんだろうけど……。
「……遅っ」
薬草が上がってくる速度が遅すぎる。オイ神様、適当な仕事するんじゃねぇ。……そんなこと言える立場じゃないのは解ってる。解ってるけど! いくらなんでも遅すぎる。壁を這い登るアリかよ!
腰の位置まで来るのを待つのももどかしくなって、しゃがんで足元からすくう。雨水にうたれて光っている。
「これで依頼成功といったところかな」
「結構あっさりした感じだったね」
「どこがだよ!」
危うく持ち物全部取られるところだったんだぞ! まあ、こいつのおかげで助かったわけだけど。
ていうか、早く丘の上の集落に戻りたいんだけど。雨足も強くなってきてないか? 何か変な感じがするし……。
「なんかさぁ、雨水、温かくなってないか?」
「ああ、これはこの時期になるとよく起こる異常気象で、カロール・プルーヴィアっていうんだけど、雨水の温度が上昇していく現象なんだって。原理はよく解らないけどね」
「よく起こるなら異常気象じゃないだろ」
後で聞いた話だが、カロール・プルーヴィアというのはこの周辺を居住地域としていた先住民の言葉で『熱の雨』だそうだ。先住民とかいたの? 川に流されたのか、この地を開拓しようとやってきた人に潰されたのか、今は一人も残っていないらしい。じゃあ何で言葉の意味が解るの? って話に発展するわけだが。
「五分で千五百度になるってどっかの学者さんが言ってたけど……」
「千五百!? それって気体になるんじゃ……」
「え? 何言ってるの? 水が液体の状態にある温度は九百度から千六百五十度でしょ」
「あ、そうか、何でもない。ただの勘違いだ」
基準がまず違うってわけか。九百から千六百五十のうち千五百ってことは、相当な温度だよな。九百度から増えているのが六百度だから、そこの範囲を計れる温度計でイメージすると、九百度のところから八割は赤くなっているってことだよな。だったらだいたい八十℃くらいか。熱湯じゃん。こいつの話すことだから正しいという確証はないが、とりあえず信じておくしかない。
……異世界に飛ばされてから、妙に頭が働く。昔、土の下に埋めてしまったものを掘り起こしているような感覚もする。
「うわー、だんだん熱くなってきたな。どうしようか」
「一番いい対処法は、建物の中に逃げ込むこと……って教わったけど」
「建物がねぇじゃねえか!」
「自分で建てればいいじゃん」
「無理だよ! たとえできたとしても短時間じゃ不可能だし、どっちみち熱い雨を浴びることになる」
これは神の怒りなのだろうか?
……いや、神のいたずらだな。
「せめて屋根でも作ったらどう? その杖に入ってる、ファイヤーボール……だったっけ?で、土を焼けばいいんじゃない?」
「そんな都合よく建材ができるか! それに、ファイヤーボールなんて魔法、はいってたっけなぁ?」
「言ってたじゃん。宿で素振りしてる時」
「ぐぅっ! お前は何でそういう余計なことだけに関しては記憶力がいいんだよ!」
しまった、と思った。俺がこう言ったことは、俺の負けを認めるようなものだ。ファイヤーボール……確かに入ってそうな名前だけど、使ってしまうと魔力がちょびっとだけ増えるという微妙な能力を、今日の分だけ放棄してしまうということになる。もう少し誤魔化したりしておけばよかった。
「ああもう、仕方ないなぁ、倒れた木の下とかで雨宿りしよ」
「……それもそれで心配なんだが」
他に手がないので、朽ちて倒れている木が重なっているところの狭い隙間に入ってやり過ごすことにした。二人だとかなり狭い。
「一時間くらいでやむから、大丈夫」
「ホントかよ」
「多分」
「……そういうのが一番不安になる」
雨は次第に強くなっていき、外の景色を全て塗りつぶすほどの大雨になった。
「雨期の間はこんなの、よくあることだから気にしないで」
「いや、むしろよくあるから気にした方がいいんじゃないか?」
閉ざされた空間で、会話が続かない。外の風景が途切れ途切れに目に飛び込んでくる。
カロール・プルーヴィアはまだ活動を続けようとしている。熱気が迷い込んでくる。外で湯気が立っているのに気がついた。
一箇所に留まるのは、休憩を取るという点でも都合が良かった。それに、熱に耐えうる危険生物が棲息していたとしても、ここなら見つからないだろう。
この依頼を達成して、どれほどの報酬が得られるのかが気になる。これだけの危険を冒させておいて金貨一枚とかだったら怒るよ。
……腹減ってきた。食いもんねぇかなぁ。
まるで雪が降っているかのように真っ白だ。湯気が空気中を泳いでいる。気温はどれくらいになっているんだろう、ここはサウナみたいな暑さだ。汗が止まらない。
今更気づいたが、この滝の周辺には生物など棲んでいない。大雨が降れば氾濫するし、『熱い雨』とかいう奇妙な現象も起こる。わざわざここを好んで生活する生き物などそうそういない。ここまで歩いてきて魔物らしきものにも遭わなかったし(魔物のような人には絡まれたけど。町で)、おそらく、雨期はあらゆる生き物が別の場所へ移住する。クロンが言っていた危険生物の楽園ってのは、乾期限定のことなのか、それとも…………、この『カロール・プルーヴィア』という現象そのものが、何らかの生き物の所為によるものなのか……。
今は考えていても仕方がない。考えれば考えるだけ腹が減るからな。隣でクロンがなにやらブツブツ言っているが、聞き取ることは出来ない。雨の音に掻き消されて消えていく。
しばらく無言の状態が続いた。話題がない。隣で発せられていた独り言もやんだ。
そういえば、杖の新しい説明書貰ったんだっけ。すっかり忘れてた。が、今は目を通す気にもなれない。
暑さが引いてきたような気がする。慣れたのか、それとも本当におさまってきているのか。
湯気が少なくなってくる。これを見る限り、温度が下がってきているのだろう。それから十分くらいで、雨も止んだ。土に手をかざすと、すっかり冷えていた。俺たちは隙間から出て立ち上がる。
「なあ、あの橋、壊れてたりしないよな」
「あー、わかんない。もしかしたら流されてるかも」
「流されてたら帰れないじゃんか!」
「もしそうだったら川を泳いで渡ればいいだけだから」
「俺達が流されるわ!」
ビクビクしていたのだが、橋のある位置まで歩いていくと、耐えて残っていた。少しホッとした。
さて、丘へ戻るとしますか。
ていうか、腹減った……。