(8)素材調達
瑞々しい葉をつけた木々の微かなざわめきと小鳥のさえずる音が聞こえ、そよ風が吹くと澄み切った森の空気があたりを通り抜けていく。木々の葉の間から差し込む暖かな木漏れ日は地面をきらきらと照らし、光の泡のように見えるそれは静かに消えてはまたすぐ現れる。
プリール森林に入ってすぐには、そんな風に感じていたのも束の間。
「うん……」
採集をして木々の間を巡り歩くリアンはどこからともなく現れた精霊達の猛攻を受けていた。物理的な重さは全く感じないものの頭、肩、背中や腰などあちらこちらに豆粒大の羽を生やした半透明の下級精霊達がくっついてきては否応無く霊力を吸い取られる。満足した精霊はぱっと離れては飛んで姿をふっと消していなくなるが、どこからかまた別の精霊が交代するように現れてはすぐ吸いついてくる。
平穏な重霊地に入った者が必ず受ける通過儀礼のようなもので霊力を吸われる以外に特に害は無く、寧ろ勝手に触れてくる精霊と相応の時間を過ごすことで、そのうち精霊が共生してくれるようになる。
とはいえ、塵も積もれば山となるもので、それぞれ僅かずつではあっても一度に大量の精霊から同時に霊力を吸われれば流石に変化も分かる。がりがり気力を削られていかれるようだった。
「そろそろ飲んでおくかな……」
一つ息をついて、上着の表側にある胸ポケットに手を伸ばし規格定型C瓶を取り出す。コルク栓を引き抜いて口元に持っていき一口で飲み干すと、仄かに舌に残る渋みと苦みが入り交じった独特の味がした。
【生活費用】380Mf【消耗調合品】380Mf
慣れさえすればその独特の味もさほど気にならなくなる、薄黄緑の葉をした下弦草を煎じて作られた最も一般的で安価な霊水、下弦薬。決して飲料用のみに用いられている訳ではないが減った霊力の回復に広く使われている。草を煎じ、水に霊素を抽出しただけの下弦薬には瞬間的と言えるほどの速効性まではなく、霊力が回復するのには少し時間がかかるが、それでも吸収はかなり迅速に進む方。ここの精霊達は対象の霊力が大体三割減るとそれ以上は吸おうとしなくなるだけなので、別に霊力の補給は必須という訳でもない。
丁度、木漏れ日が差し込む地面に下弦草がある程度固まって生えているのを見つけた。近づいて、そのうちの一部を手早く摘んでは虫がついていた場合には取り払って、既に下弦草が詰まっている小袋の口を腰鞄から出して中に詰め込んでいく。
自然採集の実習でプリール森林を訪れ、足を踏み入れた瞬間には薄い膜を通りぬけた感覚と同時に霊域傾向に変化があり、そのことを含め担当教員のローレスによる採集に際しての注意点を説明されてから、一回生達はそれぞれに採集活動に繰り出したのだった。
ゴルドーの畑での仕事を経験していたそれなりの慣れもあって手際よく採集を行っていく。同時に大人数が一斉に採集に乗り出しているため、他の学生と場所が被らないように奥の方へ進む。
下弦草以外にも採集するものは様々、木の枝や、樹液、植物の花、葉、根や実、蔦、茸、苔類など。小さな動物や昆虫もたまに見かけるが、今回は採集対象外。
しばらく行くと小川が流れているところに出た。近づいてみると、とても澄んでいて川底まで良く見え、光を反射する水面が輝く。
「川ってこれのことか」
そう呟き、腰袋の帯に括り付けていた水袋に手をつけて川の側に屈んで森の水の採集を始めた。袋の口を開けて、静かに水中に入れて中に水が入るのを待つ。空気が抜けて中身が満杯になった所で取り出して蓋を閉め、帯に戻して括りつけ直した。続けて手で掬い、実際に少し飲んでみると、冷たくて美味しい。
重霊地であるにも関わらず、プリール森林は危険という言葉とは凡そかけ離れている。だが、自然界に存在する一般的な重霊地からすると、これほど安全である方が珍しい。重霊地の端だからといって、それが安全であることを直ちに意味するわけではない。そもそも重霊地は足を踏み入れれば端であろうとも多かれ少なかれ危険が伴うのが普通であり、精霊と共生することで霊力を高められるとはいえ、決してそれを目当てに手軽に入っていけるようなところではない。全ては星霊によって、ノスティアの地一帯の重霊地が各霊域ごとに事細かく分類され、かつ、更に危険度ごとにもきめ細かく統制されているからこそ。もちろん、他所でも安全な重霊地が全く存在しないわけではないが。
採集を続け、下弦草があわせて軽く片手で以て丁度掴める一束に纏められる程度の量が取れた時、霊文が現れた。
【警告】
一日の下弦草個人採集量権利上限3Tに到達。以後本日警告にも関わらず下弦草の採集を行った場合、それを持ち帰るかどうかに関わらず悪意があるとみなし、直ちに10,000Mfの罰金を課す。
思わずひやりとする。注意点の説明時に聞いてはいたが、これほど効力のある警告も他所では滅多にない。星霊がいついかなる時も視ている以上、ごまかしようがない上に、恐らく警告を無視して採集すれば文字通り直ちに口座預金が減額されるに違いない。
時間を見ると、そろそろ引き返す頃合だろうか。リアンはそう思って、森の入り口に戻り始めた。
集合場所に戻り、自然採集の初実習を終えて学院に戻る道すがらリアンはクルス達と話を始める。
「採集してて御星様から警告来た?」
「来たぜ」
「俺も来たぞ」
「出た瞬間ぞっとしたわ」
「やっぱ緊張するよねぇ」
四人共出たことが分かり、クルスが声を上げる。
「だな。でも3Tはやっぱ少ねぇよ。な、採集権誰かから買うのってどう思う?」
植物類の基本取り扱い単位Tは重量単位ggに換算して1T当たり約20gg。3Tは当然60ggだが決して多いなどとはいえない。
ミラルドがクルスの疑問に答える。
「上限まで採集して処分せずに全部活用するあてがあるなら買うのが得だと聞いたわ。権利売る側は、権利売っても契約金収入に加算されるだけだけども、買う側は採集して売ればその分売上額を伸ばせるという話だから」
素材採集権利は対象素材を採集量上限まで採集した場合の学内公設市場総合窓口取引時価65%相当の価格で御星様の仲介の元に売買ができる。一度買った場合は第三者に更に権利を転売することはできないので、自分で採集に行かないと完全に無駄になってしまう。
「ミラルドとリアンが採集に行かない日に、クルスと俺が予め必ず売るとでも約束して権利を買って採集に行くなら有効ということだな」
「売上を伸ばしたいのはミラルドとリアンの方だけどな。ま、そういう風に約束しとけば丁度良いか」
「自分は歓迎」
「その時は頼むよ。この前良かったら権利売るよって先輩達に言われたけど、採集行くときは今度買わせて貰いに行こうかな」
「俺達がその先輩から権利を買うってのもありだと思うぜ」
ニッと笑うクルスの提案に頷く。
「ああ、そうだね」
「ただ、権利買いすぎても一度の加工量には限界があるから必要な量を見極めるのが大事だわ。下弦草に含まれている霊素は乾燥すると40%近くが空気中に飛ぶし、当然腐ってもだめだから気をつけないと損する」
注意した方が良い、というミラルドにハインツがそういうことか、と納得する。
「だから日付管理がされているのか。詳しいな」
「そこは自分の専門にしたい分野だから。なんていっても、余程権利を買いすぎでもしない限りはまず損する心配はないから参考程度に」
リアンは畑で働いている時、日によって薬草の収穫量を変える理由がゴルドーが供給量を調節するためだと言ったことを、話を耳に聞きながら思い出した。一緒に朝働いているクルスが頭の後ろで手を組む。
「下弦草が生えない気候の地域だと敢えて乾燥させたのを他所から持ってきて売ってたりするんだけどな。俺の故郷がそうだし」
「クルスはガラーシャルの出身だったか」
「そうそう。ガラーシャルの霊水は良く下陽草が使われてんだけど下弦草より本気で味がまずいから結構売れるぜ」
「へー不味いんだ」
ミラルドがクルスに尋ねる。
「自分は飲んだ経験ないけど、実際下陽薬どれぐらい不味い?」
「ちょっとした好奇心で俺わざわざ下陽薬じゃなくてこっそり上陽薬初めて飲んだ時速攻吐いたぜ。で、まずいまずい騒いだせいで勝手に飲んだのがばれてすげぇ怒られて、踏んだり蹴ったりだった」
クルスはけらけら笑った。
クルスの出身地であるガラーシャルは気温の高い熱帯の気候の国として有名で、植物が育つには光量も十分ではあるが、あいにく高温に弱い下弦草に類する植物が育ちにくく、上・中・下弦草の互換植物として同じく上・中・下陽草が用いられている。
「うわー……」
「散々だったな」
「自業自得だわ。上陽草は霊素含有量が上限草よりも多い高級薬草の一種だから勝手に飲んだ事と併せて怒られるのも仕方ない。しかし質自体は高いのに、どれだけ不味いというのか……」
想像しても分からない、と悩むミラルドに、クルスが嫌そうな顔をして答える。
「見た目は綺麗な癖に苦い泥みてぇな味。つか、あれただの苦い泥水だったぞ。我慢して飲むのありえねぇ」
「それは……飲みたくないわ……」
「苦い泥水って……」
「幼少のクルスは見た目に騙された訳か」
「そういうこった。さってと、戻って昼飯食って次は調合学と素材加工学と二連ちゃんだな」