(4)霊装工房
学内工房C棟6号室。大食堂で少し遅めの昼食を取った後、リアンはディンに貰った名刺に書かれた場所を訪ねに向かった。学生達が自分達で経営する幾つもの工房が群雄割拠する学内工房エリア。せわしなく物資を運ぶ人々が行き交う中、ぶつからないように気をつけ、色々な工房の表札の名前を見ながら、目的の場所にたどり着く。プロスネンス霊装工房と書かれた表札を確認し、戸を叩いた。
「すいませーん」
少しして戸が開く。
「いらっしゃい。おお君か、どうぞ入って」
「先程はどうもこんにちは。失礼します」
軽く頭を下げると、ディンが後ろを振り返って声を上げる。
「先輩、霊装に興味ある新入生です」
「んー? おー所属希望者? 我がプロスネンス工房へよこそー!」
ポケットがあちこちついた上着を身に纏った女子学生はわーい、と両手をあげて花が咲くような満面の笑みで振り返った。一瞬面食らって、ひとまず名前を名乗る。
「は、初めまして。リアン・レガーレと言います」
「僕は三回生のディン・クラスト。そちらが四回生のネルフィ・ハイド先輩」
「よろー」
ディンに紹介されたネルフィは軽い声で言った。リアンは挨拶を返す。
「よろしくお願いします」
「二人しかいないけど、単純に今ここにいないのが五人、もう五人は素材の採集に出てて全部で十二人。とりあえず立ったままも何だし、そこ座って」
「はい、失礼します」
ディンに勧められた席に座ると、物珍しい室内をゆっくり見渡す間もなくネルフィがいきなり尋ねてくる。
「で、所属希望者なの?」
しかしそれをあっさり流すようにディンが横から説明を入れる。
「図書館で会って霊装に興味あると聞いて僕が見学に誘ったんですよ。適当に見せられるものはあるけど、質問ある?」
「あの、まだ来たばかりで所属というのは一体」
「ずばり仲間入りして一緒に設備を共有して研究資金を稼ぐんだよ」
すかさずネルフィが指を立てて言った。別に的外れでもなくはないが聞きたいのは何かが違う。ディンが額に手を当て、また離して改めて確認してくる。
「……所属する大きな目的は概ねその通りではありますけど、所属というのは一体どういうものなのか、どうしたらできるのか、という質問と思っていいかな」
「あ、はい」
的確にこちらの意図を理解してディンはすらすら説明を始める。
「正式に入学してから改めて説明を受けることになるだろうけど、学内には複数の学生で構成される組織が色々あって、自分が興味ある組織に入りたい場合には相応の手続きを踏んで所属することになる。うちみたいな学内商会組織に所属するのなら、その目的と利点は今先輩が言ったのが真理になるけど、さて学内商会組織を例にとると、実際に所属するためにはまず前提条件を満たす必要がある。それは個人で自己採集した素材の累積素材売上高と、自己採集した素材または第三者から買い取った素材から作成した基礎一類に属する品目の累積総売上高の総合計500,000Mf以上、かつ、自分で作った基礎一類の品目の売上数500単位以上を達成すること。販売先は200売上単位が学内公設市場の総合窓口、通称学総と言うんだけど、そこに指定されてて後は公設市場に場所を借りて出店している団体でも個人でも学内ならどこでも構わない。ただ、素材を売れば良いかというと転売はこの条件に関しては効果が無くて、他にもごまかしは絶対効かないから地道にやらないといけない。けど、上手くやれば結構すぐ達成できるよ。学内商会組織に所属したいかどうかは人によるから、互いに素材を売ったり買ったりして工夫すれば良い。詳しい説明は入学式の時にもあるから」
「な…なるほど。ありがとうございます」
じっくり耳を傾けて聞いていたものの、まだ少し分からない部分もあったが具体的で分かりやすい説明だった。
「折角来てくれたことだし、とりあえず細かい事は抜きにしてここの霊装見ていってよ」
ディンが話題を変えると、すぐにネルフィが手招きしてくる。
「あ、丁度今わたしが作ってるのがあるからこっちこっち」
そう呼ばれてリアンとディンは椅子から腰を上げてネルフィが向かう作業台の傍に立った。ディンが話題作りがてらネルフィに軽く確認する。
「先輩が今作っているのは霊槽に洋紅石を使っている補助型の小型加熱板、ですよね?」
「そだよー。温度を自由に変えられて、放置してても八時間ぐらい加熱できるのが欲しいって友達に言われて。街でプロが作って売ってあちこち拘ってるのはたっかいからねー」
「それでいくらぐらいでしたっけ?」
「代替霊槽一本含めて52,000Mf、多分利益は20,000Mfぐらいになるよー」
「良い利益率ですね」
会話を耳に聞きながら、ネルフィが作っているものを見て観察すると、ほぼ正方形の金属板の表面には同心円状に複雑な紋様がくまなく刻まれており、板の端には小さい正方形の穴の空いた直方体が溶接されて取り付けられているようだった。更にその近くには、細長い直方体に加工され目盛りのついた金属枠に嵌めこまれた鮮やかな深紅の色を帯びた洋紅石が二本置かれ、その表面には金属板とはまた異なる紋様が刻まれていた。
「あの、温度の変更はどういう風にするんですか?」
少し使用方法が気になって質問すると、ネルフィは洋紅石の霊槽を一つ片手に取りながら、直方体をもう一方の手の指で指し示しながら説明を始めた。
「見て見てー。この穴の内側にはここからここまで霊力受帯経路が刻んであって、この専用の霊槽をこうやってどれぐらい差し込むかで設置面積を変化させて霊力供給量を調節して、温度の変更をするの。どう? 凄いでしょー」
穴に霊槽を差し込む量を物理的に変化させるという方法により、本来温度を自由に変化させるという術式で行う場合には幾つもの条件付けが必要となる部分が根本的に省かれている。低温時には装置から霊槽が飛び出すことで見た目にはやや不格好ではあるが、目盛りがつけられているため一目で現在の温度も分かりと、使用面においてはかなり優れているようであった。真剣に説明を聞いていたリアンは、期待を篭めて尋ねる。
「はい。…あの、こういうの、普通に作れるようになれますか?」
「練習してればそのうちできるようになるよー。ディン君も依頼受けてはよく作ってるし」
「そろそろ補助型にも手を伸ばしたいです。これは僕の作った掃除用の塵取り。かなり単純な造りだけどそこそこ人気あってね。試しに少し霊力流してみて」
今度はディンが室内の壁際から紋様の描かれた木製の柄にごみの格納用の箱が取り付けられているものを手にとって勧めて来る。地面に置かれている分には吸い込み口が下側についているからか見えない。
受け取って、言われた通り霊力を少しだけ流してみると、空気を吸い寄せるだけの精霊術が発動し、込める霊力を増やしたり減らしたりするのに合わせて吸引力が変化するのが分かった。
「……おおー」
この程度の精霊術なら別にどうということもないが、意識を殆ど集中させることもなく、ただ霊力を込めるだけで手軽にごみを吸い集められることにちょっとした感嘆の声を上げた。
「吸い込み終わったら下の所から容器を取り出せば、ごみを捨てるのに便利にしてある。遊びみたいだけど、そういう感じ」
「これ、面白いです。ありがとうござます。……でもあの、普通ありそうな装備品類があまり無いような気がするんですが……」
リアンは感想を述べてディンに手渡して返すと、室内を軽く見渡しながら控えめに質問した。
霊装といえば武器や防具といったものが主流であり、昨日街の中の霊装店を外から軽く覗いた分にも、大きな店の店頭には、一目見た瞬間に洗練された機能美を彷彿とさせる見事な装備品がずらりと置かれていた。それに引き換え、プロスネンス霊装工房の室内にはそういった霊装らしい霊装が一部棚に置かれているのを除けば、人によっては何か適当な物でも作っているのかと勘違いしそうな、そんな雰囲気だった。
「普通の霊装はどこの工房でも作ってるからねー。うちも作ってないことないけど、他との差別化として主に日常生活用品を手がけてるの」
いいたいことはわかるよーとネルフィが言うと、ディンも苦笑する。
「正直な話、わざわざ霊装を使わなくても済ませられるのが多いのも事実だけど、こういうのは一級品の装備みたいに、やたら高価な素材を使わなくてもいいからその分原価を安く済ませられるし、しかも作ってる所もそこまで多くなくて需要も敢えて欲しいという人向けだから意外に値段を高く設定できて…」
「それで研究費用が稼げる!」
すかさずネルフィが叫んだ。
「その、研究というのはどういうことを……?」
「独立型の研究だよ。流行らないかなー。というか流行らせたーい!」
ネルフィは両手を上げて声を上げ、ディンが声を抑えて言う。
「うちの代表の先輩は独立型関連で営業に出回っててね。詳しいことは秘密なんだ」
「うちに入ってくれたら教えてあげるよ。で、どう? 入る気になった?」
ネルフィの突っ込んだ問いに、ディンはぎょっとした顔をするが、リアンは思わず口から言葉が出ていた。
「えっと、正直、かなり入りたい、です」
「おおおおおー!!」
両手を叩くネルフィに、ディンがやんわりと忠告に割って入る。
「いやいや、他も見てからきちんと考えて決めた方が良いよ。手作り一点限定、一級品の霊装を作りたいなら、うちよりも他の工房の方が良いだろうし」
「決心鈍らせるようなこといわんでいーから」
「大事なことでしょう」
やりとりする二人に対し、リアンは口を開く。
「ありがとうござます。分かりました。色々考えてみます。でも必ず工房には所属したいので、さっき教えて頂いた条件はできるだけ早く達成したいと思います」
「ああ、それは良いことだね」
「頑張ってねー。時に、これからあと数日入学式までどうするか決めてる?」
リアンは少し考えるように答える。
「……今朝はゴルドー先生っていう先生の畑で働いたんですけど、そんな感じで何か働くか、図書館の蔵書が充実してるので勉強しようかと」
はた、と気づいたディンが手で待ったをかける。
「ん、一つ良いかな。昨日ついたばかりだよね? どうしてもうゴルドー先生の所で働くことに?」
「今朝早く起きて学生寮の掲示板のところで張り紙を眺めていたら、偶然先生の畑で二週間働いてる新入生に声を掛けられて誘われて、それで一緒に」
ディンは一度頷いて、耳寄りな情報を話し始める。
「そうか。そのゴルドー先生の畑、できるならだけどしばらく働いてた方が良いかもよ。実はあそこで働いてると、そのうちさっき言った基礎一類の品目の素材になる下弦草とかの薬草を毎回そこそこ一定の量を安く売ってくれるようになるから」
「えっ、そうなんですか?」
「間違いないよ。新学期始まってすぐは、毎年恒例で新入生が条件達成しようと基礎一類の品目に使われる素材を公設市場に買いに殺到するから確実に争奪戦になるし、恒例なだけあって誰かが予め一気に公設市場で大人買いして誰かしら買えなかった、なんてこともある。そうすると品薄になった素材は一時的な需要の急増に応じて価格が跳ね上がる。なら誰かから買えばいいかっていうと、他の人達も公設市場の値段を基準にそれより高く売ろうとしたりすることがよくあるから、余計な支出が増えたり、色々あるよ。高く売ろうとする人に限って、転売目的で買い占めてる人だったりね。ただ、ほぼ同時期に新入生はプリール森林で自然採集の実習が始まる関係で、時間があるときに御星様に言えば入れて下さるようになるから休日に自分で採集に出かけて持ち帰ったのを売ったり、自分で加工に使ったりするようになるね」
「で、そのうち価格が一気に暴落して、転売に失敗して素材が売れずに古くなって処分再売却時に損したり、なんて人が出たりしまーす」
ディンの怒涛の説明に続き、ネルフィは間延びした声で言った。一気に言われて少し理解が追いつかない。
「……は、はい」
「ていうかもう公設市場の下弦草の価格なんかはじりじり上がり始めてなかったっけ? 御星様、お願いしまーす」
するとすぐに霊文が浮かび上がる。
【下弦草1T:89Mf(1↑)】
ネルフィが思った通りだと言う。
「ほらやっぱ上がってるよー。一昨日88Mfだったし」
「例年通りの上昇傾向ですね」
ディンも冷静に言うが、リアンには目に入ったものが信じがたかった。恐る恐る尋ねる。
「えっ、あ、あのー。今のは……そういうのって、良いんですか?」
「わたしはねー。ディン君はまだ駄目だっけ?」
「まだです。今季にはいきたいです」
両手を合わせ感謝をあらわしてネルフィが説明する。
「超助かるよ。御星様ありがとー。所定の条件を達成すると、御星様にお願いすれば、学内の市況変動とか情報を教えて貰えるようになるの」
「そ、そうなんですか……もしかして図書館の蔵書の検索支援も似たような条件があるんですか?」
思い出したようにリアンは尋ねた。
「蔵書検索は学生は常に平均【A】以上の成績が必要だよー」
ディンが笑って言う。
「こういうのは他にも色々あるけど、追々分かるよ。あとそうだ、入学式まで日中の仕事するなら、学内配達員が結構おすすめ。御星様監修の下っていうのがまず初めてだと新鮮だし、働きながら自然と学内をあちこち行くことになるから色々発見がある上に、便利な特典もある」
「それはどうすればできますか」
「事務所で配達員の腕章と籠を受け取ればおけー。後は御星様の指示に従えば良いから」
「分かりました。事務所に行ってやってみます。ありがとうございます」
礼を述べると、ネルフィが確認してくる。
「あ、配達員やる?」
「はい」
ネルフィは自分を指さす。
「ならリアン君、わたしと優先配達と代理売買の契約しない?」
「えっ?」
言葉からある程度推測はできるが、またも初耳の言葉に戸惑っていると、ネルフィが説明する。
「優先配達はそのまま、私が配達して欲しい品物を御星様にお願いして、契約相手、つまりリアン君に優先的にその品物を配達してもらう契約。代理売買は優先配達に加える契約で、やっぱりそのまま、わたしが売買してきて欲しいものを代理で買ってきたり、売ってきたりして貰う契約のことなの。報酬はリアン君が配達員をしている間にわたしが頼んだ配達と売買代行するたびに支払われるんだけど、どうかな?」
「……大体分かりました。契約お願いします」
「ありがとー。ディン君はまだ代理売買できないからやめとく?」
「その通りです」
「では、御星様お願いしまーす」
ネルフィが御星様にお願いすると、直ちに霊文が浮かび上がった。
【契約関係】(主)ネルフィ・ハイド→(従)リアン・レガーレ
【契約内容】優先配達・代理売買
【契約状況】下記事項を確認の上、再度意志表示を要する。
【有効範囲】
・従契約者が学内配達員に従事している期間。尚、従契約者が学内配達員に従事開始した時、主契約者にはその旨を通知する。
【注意事項】
・主契約者の対象物を従契約者が損壊又は逸失し、かつ、その原因が第三者にある又はそれがやむを得ない事情によるものであったと認められる場合を除き、原則として従契約者に損害賠償責任が発生する。
・賠償額が従契約者の口座預金額を超過する場合
①ノスティア星霊統都より主契約者に対し不足額が補填される。
②従契約者に不足額分の債務(年率利息1%)が発生し、従契約者はノスティア星霊統都への返済の義務を負う。
・対象物の損壊が軽微で補修可能な場合には……
一瞬躊躇するような内容に声を漏らす。
「えっ……」
ネルフィが指で注意事項の部分を示して補足する。
「でー、こういう、あくまで、な注意事項があるんだけど、わたしはそんなすぐ壊れるような物は頼んだりしないし、御星様も慣れてない人には壊れやすい物の配達は指示しないから安心していいよ。品物無くすのも、そもそも落としたりしたら御星様が教えてくれるのでほぼありえません。おけーだったら了解してね」
「は、はい……。お願いします」
言うと、
【契約状況】有効
契約が成立した。
「ありがとー」
「ありがとうございました」
「多分何かしら頼むと思うからよろしくね」
「はい。では失礼します。色々ありがとうございました」
リアンは深々と礼を述べた。
「こちらこそ見学来てくれてありがとう。先輩の配達で来ることになりそうだけど、その時はまた」
「またねー」
「はい、またよろしくお願いします」
ディンとネルフィに見送られて、リアンはプロスネンス霊装工房を後にした。