(10)木材伐採
ノスティア星霊統都に存在する各霊術院の講義はどこも変則的に行われ、毎週決められた日にどの講義があるということはまず無い。一週間という区切りがあるものの、基本的に寮単位や決められた組単位ごとに一日講義が行われた次の日には講義が無く、学生達は自由に時間を使うことができる。それも全ては、無数に組み合わせがありえる講義を変則的でありながら過不足無く完璧に予定を組むことが可能な星霊の存在があったればこそ。
初回自然採集の講義の翌日。いつも通り早朝の畑仕事を終えリアンは1,400Mfの給料を受け取った。そしてゴルドーがクルスに向かって期待して待っていた件の話を遂に切りだした。
「よしクルス、下弦草を25Tまで公設市場時価の30%で売ってやる。買うか?」
「うおおお来たぁぁぁー!! 買います! 全力で買いますっ!」
盛大にクルスは叫び声を上げた。
「クルス以外のお前らはまだだ。もし買いたければ俺が認めるまで働け」
「は、はい」「分かりました……」「了解です」
どこからか例の噂を聞きつけたのか、リアン以外にも数日の間に他の学生が何人か朝の畑仕事に加わっていた。
【学内預金】698Mf【素材売上】698Mf
【買入素材】698Mf【口座預金】698Mf
ゴルドーとクルスの間で決済が行われ、クルスは25T、500gg分の下弦草を買い入れた。戻りながら下弦草を抱えるクルスと話をする。
「先生、本当に売ってくれたね」
恐らく後二週間は早朝労働をこなさなければ、自分は売ってもらえないのだろうと分かったが、リアンはゴルドーが確かに安く売ってくれるという事実を確認できて少し安堵した。しかも、一度に25Tといえば下弦薬の作成には端数がでるとはいえ中々の量。
「やー、超得した気分。リアン、買うか?」
「そうだね。とりあえず今日は試しに4Tぐらい売ってくれると誤差がでることを考えると良いかな。売値は?」
尋ねると、ミラルドは地面に式を書いて計算し始めた。
「んー、ちょっと計算する。一応割り返すと……時価が昨日よかまた1Mfあがってから、って微々たるもんだよな。面倒だし昨日ミラルドに売ったのと同じ1T75Mfで4Tだから300Mfでどうだ?」
「良いよ。御星様、決済お願いします」
昨日と同じ、公設市場時価の約80%相当額。
【口座預金】300Mf【素材売上】300Mf
【素材売原】112Mf【買入素材】112Mf
【買入素材】300Mf【口座預金】300Mf
その場で下弦草を受け取ると互いに霊文が浮かび上がった。
「売買成立だな」
「ああ」
思い出すようにクルスが続けて言う。
「そうだ、俺今日もプリール森林に採集行くから下弦草の採集権売ってくれよ」
「あー、それなんだけどさ、僕も採集行くから、朝食べて寮戻ったらプロスネンス工房の先輩の所に案内するよ」
「お? わかった」
多分権利を売ってくれる先輩の話なのだと納得したクルスに対し、少し控えめに尋ねる。
「で。……採集に行くなら物は試しで頼みたいことがあるんだけど、一緒に木を切って貰えない?」
昨日の素材加工学の講義で資材の部位についての解説を受けた他、木と木を継ぎ合わせて組む木箱の作成を行ったが、最初からほぼ整った木の板を与えられて組み立てただけで、完成したものは回収されたため、設計図は書き写したものの作ろうにも素材がないという状況だった。公設市場に資材は売っているがどれも一応の加工が施され価格がそれなりにするため、加工にまだ慣れておらず失敗する可能性が高いことを考えるといきなり買うには躊躇う。とはいえ、だからといって自ら伐採しに行くのもはっきりいってもっと躊躇するが。
「あー、昨日のあれでか。や、面白いな。現地で五人の同意が取れればいいから、何とかなるんじゃね? ハインツも行くだろうし。どうせならミラルドも誘ってみるか。そうすりゃ後一人。寮の他の誰か誘っても良いしよ。先生の管理してる資材林は外部向けらしいからまず売ってくれねぇだろうし、いきなり市場で整った木材買うと加工の失敗で最初は損するしで、一本切って自力調達しときゃ、何かしらに使えて便利だろ」
「そうだね、ありがとう」
大食堂で朝食を取り、丁度良く合流できたハインツとミラルドに採集に行く話をすると二人からも了解を得られ。先に寮に戻り、クルスと四階に部屋のあるディンの所に採集権利を買わせて貰いに向かった。
「御星様、お願いします」
【口座預金】181Mf【契約収益】181Mf
【採集権利】181Mf【口座預金】181Mf
「ありがとうございますっ!」
クルスがディンから採集権利を買った。
「またどうぞ。それでリアン君も採集に行くのかい?」
「はい、できたらなんですが、木を一本切りに行こうかなと」
「木材伐採か。人数は足りてるの?」
「後一人探すつもりです」
答えると、ディンが少し虚空を見上げて話し始める。
「……そうか。少し待って貰えるかな。……御星様、キール・スタンレーに伝言をお願い致します。今日リアン君がプリール森林に加工用の木材伐採に行くつもりですが、同意人数が一人足りていません。そろそろ伐採に行く、と言っていたので連絡しました。手伝ってあげられるのであればリアン君をそちらに行かせるので返信して下さい。以上です」
言い終わると、ディンは視線を戻す。
「後はこれで少し返信を待とう。うちのキール、リアン君会ったことあるよね。男子寮B棟の507号室に住んでるから」
「あっ、はい。分かりました。どうもありがとうございます」
クルスがぱかっと口を開いてディンに質問する。
「すんません、たまに見るんですけど、伝言利用できる条件って何ですか?」
「学内配達員、累計100時間労働。それで一日五回まで、御星様の管轄領域、つまりノスティア全域内ならどこにいる第三者に対しても伝言をすることができる。相手も条件達成してないと本当にただの伝言になるけどね。まあ、精霊術で通信しても良いけど、使わせて貰えるのだから使わせてもらった方が霊力温存できるし、ありがたいよ」
ディンは言って笑った。実際、他者との通信は精霊術でできる人はできる。しかしながら、この伝言の最大の利点は、ノスティア全域に霊域の干渉を一切受けずに確実に言葉を伝えられることだといわれる。
「はー、わかりました。ありがとうございますっ! 今度俺も配達員やるか」
そこへディンの眼前に美麗な霊文が現れる。
【伝言】
【送主】キール・スタンレー
【宛先】ディン・クラスト
【本文】
把握しましたァッ! 軽く刈ってくるんでェ、リアンこっちにやってください。我が真空断裂鋸弐号が唸りを上げる時が来たァッ!
文字の美しさとまるで一致していない本文に一瞬吹きそうなになったのを堪えてディンが苦笑する。
「……ノリノリだよ。それじゃあ、一度行ってどうするか話してみて。一緒に行けば彼が鋸で文字通り多分軽く刈ってくれる筈だから。もう一度言うと、男子寮B棟の507号室ね」
「分かりました。ディン先輩、色々ありがとうございます!」
「ありがとうございましたっ!」
礼を述べて、ディンの部屋を後にすると、一階まで下りてB棟に向かった。507号室の前で声を掛けて戸を叩くと、勢い良くキールが出てくる。
「来たな少年ッ! いや、少年たちかァッ! この時を待っていたぞ!」
両手を広げ仁王立ちになって軽く叫んだ。眉毛が濃く、爛々と瞳は輝き、振る舞いから色々何だか少し暑苦しい二回生。
「おはようございます、キール先輩。木材の採集を手伝ってくれること、ありがとうございます」
「うっす、よろしくお願いしますっ!」
「良い挨拶だ! さあ少年達、予定はどうする? 時を指定さえすれば、私は現地に向かう。他の採集もするだろう。荷が多いと原木の運搬には支障を来すため程々にしておくのが良いだろうが」
キールの質問を受けて、クルスに確認する。
「えーと、じゃあどうする?」
「十時に森の入り口でいいんじゃないか? 採集早めに切り上げてよ」
「分かった。キール先輩、十時にプリール森林の入り口に来てもらえますか?」
「承知した。リアン少年、下弦薬の採集権利も買ってゆくか?」
「あっ、お願いします」
堂々と大きな声でキールが申請する。
「御星様、お願い申し上げます!」
【口座預金】181Mf【契約収益】181Mf
【採集権利】181Mf【口座預金】181Mf
「後で合流しよう。では失礼!」
そして、キールは戸を閉めて部屋の中に戻っていった。軽く取り残されるように、
「あ、ありがとうございました……」
「何か、熱い先輩だったな」
「うん。さ、ハインツとミラルドと一緒に採集行こう」
「おう」
準備を整えて四人でプリール森林に向うと、今日初めての自然採集の講義を受ける一回生達に混じり、昨日と同じように精霊達から霊力を吸われつつもそれぞれ採集をこなし、予定の時刻に森の入り口に集合した。
「これで揃ったなァッ! さて、少年達、木を切るとすると何の木が良いか? 初めて加工に挑戦する木材ならば私は白椹を提案しよう。程よい硬さ、水湿に強く、匂いも少なく、殺菌効果がある。学総の木箱にも良く使われている代表的な木だ」
ハインツとミラルドがキールに挨拶して早々、縄を肩にかけ、背に紋様の入った鋸を担いだキールは熱弁を振るった。
「は、はい。白椹でお願いします」
「良かろう、実は我々が丁度欲しかった所だ。いよいよ時は満ちた! 少年達よ、私に続けェッ!」
満足そうにキールは頷き、目をカッと見開くと大仰に手を招くように振って、森の中へといきなり走りだした。
この展開は何となく予想はしていた。落ち着いて追いかけるとミラルドも割と順応したのかついてきて、意外にもハインツも平静としてそれに続いた一方、ミラルドはついてきながらも軽く唖然としていた。
運搬距離を短くするため、森の入り口付近を重点的に探しまわった所、キールが周囲にそれなりの空間もある場所に生える一本の白椹を見つけて立ち止まった。
「ぅむ、これは中々良いな」
「ちょ、随分大きいように思うんですが、切って良いんですか……。もう少し、こう小さいのを想像してたんですが……」
首を思いっきり上にやって眺め見ると相当樹高のある、樹皮がやや白い木。
「問題無い。木を伐採する場合の注意事項は説明されただろう。切るのならできるだけ良い木を選んだ方が得だ」
そう言われると、そうだ、と何か大事なことを忘れているような気もしたがうなずいた。
「……そう、ですね、分かりました」
「他の少年達もこの木で良いか?」
「うっす!」「はい」「構いません」
クルス達の確認を取った所で、キールが両手を上に上げて宣誓する。
「良かろう。では、御星様、ここに集う五人の同意を以てこの白椹を伐採させて頂きますッ!」
【伐採同意者】
・キール・スタンレー
・リアン・レガーレ
・クルス・ハルート
・ハインツ・ディスト
・ミラルド・デナーズ
【所有権内容】
有効範囲:枝を除く幹部分。
有効期間:伐採から三日間。これを過ぎた場合、以上の五人の所有権は直ちに失われ、第三者の取得も認められる。
【注意事項】
プリール森林での樹木の伐採権利を一度行使した者は再び伐採権利を行使可能になるまで120日間を要する。この期間が経過するより前に、警告にも関わらず樹木を故意に伐採した場合、悪意があるとみなし、罰金5,000,000Mfを課す。
伐採の承認と同時に警告を受けた。五百万Mf、とても今の自分達に払えた額ではなく、精神的に悪かった。
「うげぇぁ」
クルスが思わず声を上げた。
「いざ、伐採を始めるッ! 少年達よ、ここは大船に乗ったつもりで私に任せて貰いたいッ! そちらに離れていろ!」
叫んで、キールは持ってきた鋸を降ろし、一度キッと目を見開くと掌程度の大きさの精霊が数体飛び出し、実体化してキールが肩に掛けていた縄を持って勢い良く飛び上がった。そのまま白椹の幹に結びつけ、近くのしっかりとした木に引っ掛けて行く。
「おおー! すげぇ!」
言われたとおり離れた所でクルスが歓声を上げると、ハインツとミラルドも興味津々にその様子を見つめ、リアンも「すごい」と呟いた。
キールは鋸を両手で持ち霊力を流し込んだ。
「唸れェッ、我が剣ッ!」
鋸ではないのか、という突っ込みを入れる間もなく、鋸の刃の表面付近から風切り音が言葉通り唸るように鳴り響き、キールはそのまま幹に刃を当てた。全身に霊力を纏い、勢い良く鋸が引かれる度にけたたましい音が発生し、見る見るうちに受け口と呼ばれる部分の切り込みが入る。
「すげぇ! すげぇ!」
同じ言葉ばかり連呼するクルスに対し、残りの三人で黙って真剣に見ていると、キールは続いて斜めに切り込みを入れて受け口を完成させ、更に反対側にかなり深く追い口を入れていく。
「切り込みを入れる作業は終了だ! 前方、後方、確認ッ! 良しッ! これから倒すぞォッ!」
瞬間、鋸と共に大きくキールは後退し、同時に詠唱を開始した。
「喝ッ!」
奇声と共に術が発動し、拳から局所的な空圧が飛んで幹の上方を直撃し、別の木に縄を引っ掛けて待機していた精霊が持っている縄を強く引いた。掛けられた力によって白椹は傾き、ある所で勢いをつけて一気に倒れていく。枝が空気を振るわせる音がざぁぁと響き、その重い衝撃が地面と空気から振動となって伝わった。今さっきまで立っていた木が倒れたという目の前の現象に言いしれない感動を覚え自然に肌が粟立ったが、同時にあることを思いだし先が思いやられた。
「少年達、怪我はないな!」
「はいっ!」
そこから、ようやくリアン達も作業に加わった。大きな枝はキールが鋸で切り、それ以外の枝を、元々手頃な木を切ろうと持ってきた鉈を手に次々処理していく。粗方枝を除去し終えると、キールが幹を一定間隔で切断し、運び易い大きさに揃えていった。
そして、運搬する段になって、不意にミラルドが丁寧に尋ねた。
「先輩、つかぬ事をお聞きしますが、この量、どのように運搬するのです?」
「気合いだァッ!」
「気合いですか!?」
リアンは既に分かっていたので遠い目をしていたが、ミラルドの驚きは尤も。正直、この大きさの木を切ると言い出した時点で運搬するのが大変なことになるのは自明のことだった。元々五人いれば何とか抱えていけるぐらいの小さい木を切るつもりでいたのであって、決してずっしりとした存在感を放つ木材を切るつもりでいたのではない。白椹を切ることに同意した瞬間には、余り深く考えず、曖昧な予想では必要な分だけそれこそ気合いで適当に持って帰り、残りは所有権を放棄するならそれまでと思っていたが……そういうことにはならない。
「案ずることはない。気合で運搬するのは森の入り口まで。その後は我々の組織力に任せて欲しい。御星様、ディン・クラスト先輩に伝言をお願い申し上げます。先輩、伐採完了しました。運搬作業にプロスネンス工房の力を貸して頂きたく連絡申し上げました。つきましては、お手数ですがプリール森林入り口付近まで荷馬車の手配をお願い致します。以上であります」
キールはそうディンに冷静に伝言をすると視線を戻した。
「これで、入り口まで運べば後は学院まで馬車で運ぶことができる。さあ、少年達! 気合だ! 気合で運ぶぞォッ!」
「うっすッ!」「は、はい!」「了解!」「分かりました!」
一瞬落ち着いたかと思うとキールはすぐにまた暑苦しくなり、リアン達は霊力を全身に纏って身体能力を強制的に上昇させ、まさに気合いで森の入り口まで木材の運搬作業に入った。