(1)到着
良く晴れた空の下、往来の賑わう街道を帆馬車が行く。小気味良い拍子を刻む馬の蹄の音がどこか耳に心地よく、幌の中を風が吹き抜けていくのを肌に感じる。
馬車の端の席に座るリアンは顔を右に向けて前方の景色をじっと眺めていた。街道には他の車の姿、獣に乗って車を追い抜いて行く者の姿、道の脇を徒歩で行く者の姿や、かと思えば風のごとく己の足で駆け抜けていく者が過ぎ去っていく。視線を上げれば大鳥が翼をはためかせ、獣は空を駆け抜けていく。
それらが行き交う先には風光明媚な広大な街がある。ノスティア星霊統都。そこはいかなる国にも属さず、星霊が自ら統べる世界有数の学問の都にして、世界最先端の精霊文明が発展していると謡われる都。
不意に薄い膜を通り抜けたような感覚が体に走る。涼しげだった空気はほのかに暖かくなり、透き通るような薄い青だった空の色は少し色合いが深まった。それと同時に、知り合い同士と思われる小声の会話が時々飛び交っていた車内はしんと静まりかえる。
「御星様、ただいま戻りました。今季もよろしくお願い致します」
向かい側の席に座る胸に星霊統都の紋章があしらわれた外套を纏った年上と思しき男子学生が空に独り言を呟き一礼した。慣例なのか、それを期に他の者達も挨拶を述べて礼をするか、あるいは目を閉じて黙礼のみを次々にしだす。突然の出来事に自分と同じような普通の旅姿の少年少女達がやや戸惑う中、リアンはそういうことか、と気づき、倣うように目を閉じて黙礼をした。
霊域傾向が変化した。それは、もう既にここから星霊の統べる霊圏に入ったということ。有名な話によれば、この霊圏にいる限り、いついかなる時も星霊は全てを視ているのだという。
そう思い出した瞬間、向かい側左端の席に座っていた女子学生がこの時を待っていましたとばかりに籠を抱えて突然立ち上がった。
「御星様、決済お願い致します。さあ、お腹が少し空いたという方、ユミル名物の焼き菓子はいりませんか。美味しい焼き菓子はいりませんか。どれでも一つ50Sfですよー」
「はい四つ!」
「はい、お買い上げありがとうございます!」
すぐに手が上がり彼女が客に近づくと続いてあちこちから声が掛かる。
「俺にも三つ」
「私も三つお願い」
「こちらにも五つ頼む」
御者の男までもが低い声で注文をし、
「はーい!」
彼女は返事をすると順に客を回り、焼き菓子を渡していった。買った学生達はその場で菓子をすぐに食べ始め、その車内販売の様子をリアンはぽかんと眺めた。というのも、売買が成立する度、客と彼女の眼前中空にそれぞれ一瞬霊文が浮かびあがるのだ。
御者の男が焼き菓子を受け取ると、
【生活費用】250Sf【口座預金】250Sf
【口座預金】250Sf【持込商品販売益】250Sf
二人の眼前の中空に文字が浮かびあがった。世界二箇所のみで発行が行われている最も信用力のある主要国際通貨単位Sf、発音にしてスフィアは俗に星貨と呼ばれることもあるが、今まさに目の前で行われている取引には実体物としての紙幣も硬貨も一切使われていない。
「お買い上げありがとうございます。他に欲しい方はまた声を掛けて下さいねー」
彼女は一通り販売を終えると、慣れたように席に戻っていった。
「あの……すみません、文字が見えたんですが今のは一体……」
我慢できなかったのか困惑した表情の近くの少年が買った焼き菓子を食べている学生に尋ねた。
「毎年恒例の反応待ってました。初めて見たら驚くよね。聞いたことぐらいあるかもしれないけど、互いにノスティアに口座を持っていると御星様が圏内なら商取引の決済を口座間で行って下さるんだ。今一瞬出たのがその取引記録ってわけ。ま、着けばじきに分かるよ。一足先にノスティアへようこそ、新入生諸君! ってね」
彼は両手を上げて笑って言った。星霊の統べる都。その片鱗を実際に目にして、説明を聞いて何となく分かった。まさに話に聞いていた通り、いついかなる時も星霊は全てを視ているのだ。
和やかな車内販売の行われる馬車はかたかたと穏やかな音を立てて目的地へ一路進み、しばらくして街に入った。
大通りの両脇には様々な商会や商店の建物が立ち並び、広場には個人商人達の露店が軒を連ね、街は活気に溢れる。他の車は先へ進むにつれて徐々に停まっていくのをよそに、馬車は更に先へ進んでいった。
所狭しと建物が立ち並ぶ区域を抜け、開けた場所に出る。美しい庭園に囲まれた先には、壮麗な円塔が聳えているのが見えた。庭園に入った馬車は石畳の道を進み、その中央に至る。御者の男が「とぉちゃーく」と野太い声を出すと馬の嘶く音と共に馬車は停止した。
学生達は順に降り始め、リアンも荷物を持ってひょいと馬車を降りた。
改めて見渡すと新入生達は思わず庭園の余りの美しさに目を奪われる。彩り豊かな花畑からは良い香りが漂い、精霊達が自由気ままに空を飛び交う。
「馬車を移動させるからそこをどいてくれ。さあさ、新入生は星霊廟に行った行った!」
ぼーっとしていると御者の男が声を掛け、急かすように手で追い立てた。
「は、はい!」
思わず我にかえり、慌てて馬車から離れた。目を前に向ければ学生が軽く振り向いて手招きし、また背を向けて円塔に向かって歩いていくのが見え、リアンも足を踏み出した。