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サン・ペリグリノ

作者: 渡辺律

ワイングラスにこぽこぽと注がれていく様子を見ながら、あれは一体いつのことだったかしら、と思った。





++







サン・ペリグリノを飲むのは本当に久しぶりだった。日本ではあまり炭酸入りの水が好まれていないせいか、どこでも飲めるということはない。

勿論、それなりのところへ行けば飲むことは可能だが、とある理由から飲むことを、そのボトルを見ることすら避けていたのだった。


「二年前、からかしらね」


ぽつり、と誰に聞かせるわけでもなく呟く。

薄暗い店内には落ち着いた音楽が流れていて、ここに来るのは随分と久しぶりだというのに何一つ変わらない安心感を覚えた。


「それくらいになるのではないでしょうか」


顔なじみのバーテンが柔らかな笑顔で応えた。

彼の動作は二年前と変わらず、流れるように自然で美しかった。


「ここは変わらないのね」


「この空気が好きだとおっしゃってくださるお客様がいなくならない限りは」


彼の注いでくれたサン・ペリグリノをそっと口に含んだ。

想像通り、泡がしゅわりと舌の上で弾けて消えた。


彼は知っているはずなのに何も聞かない。

それはどこか安堵を覚えるとともに、一種のもどかしさを感じた。

自分が聞いてもらいたいのか、聞かれたくないのか。それすらどこか曖昧なように思える。


二年前までこの店に一人で来ることはあっても、一人で帰ることはなかった。

必ずとなりにいた。


お酒に弱いくせにバーの雰囲気が好きで、必ずサン・ペリグリノを飲んでいたひと。

もう、あの人はいない。

私と離れて、遠い異国の地へ行くことをあの人は望んだ。

待っていて欲しいとも、ついてきて欲しい、ともあの人は言わなかった。

私を何かに縛り付けることを極端に恐れるような人だった。


あの人も臆病だったし、私はもっと臆病だった。

言葉にしたらなにかを失てしまうのではないか、と常に怯えていた。

そんなことあるわけないのに。





私とあの人は大学のサークル仲間だった。

とはいえ、大所帯のテニスサークルでメンバーの半数以上は飲み会のみ参加、というサークルだったけれど。

だから、私は最初、彼のことをまったく知らなかったし、彼も知らなかったはずだ。

知り合ったきっかけはなんとなく飲みたくなって、サークルの飲み会に参加したとき、彼も来ていてまったくお酒を飲んでいない彼に興味を持ったのがはじまりだ。

自由参加の飲み会にわざわざ来て、お酒を飲まないなんて。


大学生にしてみれば、飲み会の費用というのはそれなりに家計を圧迫する。

食べられる料理の量なんてたかが知れているのだから、飲まなきゃ損だ、と思っていた。

幸いにして私はお酒に強かったし、飲むのも好きだったから、たまの飲み会はいい息抜きとして利用していた。



「ねぇ、なんで飲まないの?」

飲めないってことはまさかないよね、と思って質問してみたら、照れくさそうに頭をかきながら、

「のめないんだ」

と彼は言った。


「飲めないのに、飲み会に参加してるの?」


「飲み会の雰囲気は好きだからね」


「ふぅん。変な人」


「そうかもね、よく言われる」



あとで付き合うようになってから、飲み会のどういう雰囲気が好きなのか、と彼に尋ねたことがある。

彼は、大勢人がいるけれど、自分はひとりなんだってわかるところ、が好きなのだ、と言った。

わかるようでさっぱりわからない。




大学を卒業して、私は一般企業に就職した。

彼は大学院へと進学し、さっさと外国へと留学してしまった。


そうして私たちは終わった。












今、私の左手薬指にはまっているのはあの頃とは違う指輪。

あの人が飛び立ってから二年間、サン・ペリグリノにまつわるものには何一つ近づけなかった。

新しくとなりに立ってくれる人は、泣きたくなるくらい優しいひとで。

指輪をそっと差し出されたときに、全てを思い出にしなければならないのだとそんな風に思った。


そしてひとりでこのバーを訪れたのだ。






久しぶりに飲むサン・ペリグリノは記憶していた以上に舌に残る味をしていた。

今頃あの人は本場の太陽の下でこの味を楽しんでいるのかもしれない。


少しのせつなさを残したまま、店を出た。





サン・ペリグリノに昔日のしあわせを思い描きながら。


初投稿です。のんびり気ままに書いていけたらいいなぁと思います。よろしくお願いします。ブログでちょこっと別の話もあります(http://unbalanceblue.blog.shinobi.jp/)。

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