鴨
どうでもよかった。
河岸段丘のマンション群も、本田技研の開発センターも、高水敷にブルーシートを広げる夫婦も、啼いて川面に降りる小鷺も、五分咲きのソメイヨシノも、若者たちのバーベキューの煙の匂いも、火先で揺らぐ三月の空気も、足元にざっざと鳴る自分の足音も、いくらか感じる空腹も、どうでもよかった。
一時間足らずで青葉台公園の観察に飽きた俺は、城山通りを無意味に北上したあと「↓滝の根公園」と書かれた案内板に反射的に従い、意味もなく左折して意図もなく地形の先のパークタワーを視認したあと意思もなく同公園に入って吊り橋を渡り、水遊びをする児童らを横目に急な階段を降りて住宅街を抜けて市民センターだかから聴こえてくる『イン・ザ・ムード』と行き交う車の群れを無視して新高橋の袂を左に折れ、黒目川の土手に入っていた。歩いているうちに暑くなってきたのでダウンジャケットは脱ぎ、半分だけ麦茶を入れた水筒と共にバックパックに突っ込んでいた。代わりに着たのは胸にひとつ星の入ったいつかのスペイン代表の赤いジャージだったが、ジャージでありさえすればそれが他人の名前の入った埼玉県立朝霞西高等学校のジャージであっても構わないぐらいにどうでもよかった。
頭が重く、ぼんやりとしていた。底の白い三月の空よりもぼんやりしていた。頸を後ろに倒せば、鼻汁が喉の奥に落ちてきた。軽い花粉症になったのかもしれない。そんなことも思ったが、なったらなったでどうもこうもない。それもまたどうでもよかった。
土手の砂利の上には二台の小さな自転車が並んで停まっていた。足元にはいかにも自転車らしい形の影が伸びていた。近づきながらふと見れば、籠の中には財布が残り、芝生と砂利の境には落としたように無造作に携帯電話が置かれていた。川遊びをする男児たちの所有物なのだろう。彼らにはまだ世界に対する信頼があるのだ。程なくして裏切られ、損なわれるはずのそれが。俺は無意識に自転車をよけて歩いた。
第三中学校を過ぎて子どもプールに差し掛かる頃にはすでに歩くことにも飽き、これ以上歩き続けることになんらの関心も抱けなかったので、近づいてきた溝沼黒目橋を渡って下流に戻ることにした。上流から下流までそれなりに把握している川ではあったが、四キロだか五キロだか下った水門で休むサイクリストたちの姿を想像することに喜びを見出だすべき理由はなかったし、三キロだか四キロだか上った妙音沢で戯れる児童たちの姿も同様だ。傾きつつある陽射しはいくらか眩しく、俺は歩きながら眉をひそめた。
橋の上には僅かな風があり、それは涼しくて少し心地よかった。ジャージに着替えて正解だ。N十年の不毛な人生は、少なくとも俺に春の気候のなんたるかを教えた。視野の先には飼い主に連れられた二匹の犬が尻尾を振りながら肛門を見せており、俺は風と同じぐらい僅かな満足を得て、左岸に降りた。バックパックの下の背中には、微かな汗を感じていた。
左岸から眺める風景も、相変わらずどうでもよいものだった。カメラを構えた眼鏡の男も、川面に映る第三中学校の校舎と対岸の老人も、向こうに見えてきた総合病院も、グラウンドの防球ネットに垂れたなにかの枯蔦も、家に置いてきた認知症の母親も、その尿と便の臭いもどうでもよかった。
咲き始めた菜の花を写真に撮る気も起きなかった。どのみちすぐ向こうは駐車場だ。汚い絵柄にしかなるまい。馬鹿と田舎者は車に乗りたがる。電車の乗り方もわからないのだから仕方がない。どうせ四月になればまた、満員電車の乗り方も道の歩き方も知らない田舎者どもが駅に町に溢れ、加害の自覚なき間抜け面でもたもたと我々にフラストレーションを押しつけてくるのだ。田舎者は変わらない。百年後だって同じ顔をしているだろう。
比較的よく咲いた桜の木の下には、じいさんとばあさんとばあさんが座っていた。そのまま死んでくれ、死体になって埋まってくれ、美しい透視術だ、と俺はぼんやりと思い、それから草むらに止まった白い蝶に視線を移した。蝶は少なくとも老人どもよりは俺の関心を引いた。尊いというならば、蝶の方が遥かに尊い生き物だろう。蝶を眺めるのにもすぐに飽き、俺はまた歩いた。
さらにいくらかの人間とすれ違い、その誰がなんであるかもどうでもよかった。近づいてきた鈴の音が老婆からのものであること、老婆があきたこまちの空袋を提げて歩いていることを俺は認識していたが、彼女に対する関心の程度はだれでもトイレの貼り紙に対する関心ほどには重要なものではなく、通り過ぎれば貼り紙の文言も忘れ、それを自分が認知していたのかも忘れ、本当に貼り紙がしてあったのかさえすぐに忘れ、忘却もまたどうでもよかった。
新高橋をくぐって過ぎた。擁壁のブロックに赤紫色のなにかの花が咲いていた。高水敷の芝の上には橙色や紺色のテントやキャノピーが張られ、人々はそこらでそれらしき活動を営んでいた。自転車が通り過ぎ、男女が通り過ぎ、犬が通り過ぎた。朝霞第十小学校の善良な児童たちが描いた燈籠の並びはどうでもよかったが、頭上に連なる提燈の群れはいくらか俺の気を引いた。提燈は僅かな風に合わせて僅かに揺れ、きゅっきゅと僅かな音を立てていた。物理現象はよいものだ。物理現象に終始する物体もまたよいものだ。俺は歩みを止め、しばし提燈を眺めた。上部に裂け目の入った提燈は特に俺の気に入った。
喉の奥に鼻水が垂れてきたので俺はまた歩き始め、ほどなくして洲に繁る草の向こうになにかを見つけた。
鴨だ。
鴨はどうでもよくなかった。まったくどうでもよくなかった。この世界に鴨以上に大事なものごとなどあるものか。鴨を眺める以上に重要な活動などあるものか。そうか、俺は今日このために出てきたのか。鴨を眺めさせるために、この日このときに神は俺を黒目川に使わしめたのか。そんなぼんやりとした数秒の思考の中でようやく自分の使命を悟った俺は、適当な空間を見つけて土手の斜面を降り、バックパックを降ろし、土の上に尻を定めた。僅かに開いたジーンズの腰に、冷たい空気が入ってきた。
視界の中には九羽の鴨がいた。手前に三羽、その向こうに二羽、右手の寄洲の向こうに四羽。いずれも申し分なく鴨だった。寄洲では陽に焼けたキャップの男がしゃがみこんで草を刈り、その背後では四人家族がきょろきょろと写真を撮っていた。対岸の上方には中年の夫婦が座り込んで語り、その下の斜面にはムラサキハナナが群れて咲いていた。夫婦の位置から遊歩道は上下に分かれ、一方は左手の橋に向けて上がり、もう一方はゆるやかな斜面を描いて橋の下を抜け、下流へと続いていた。自転車の女が立ちこぎで斜面を上がり、やがて加速しながら橋の彼方に小さくなって消えていった。
神が定めたもうた場所に我が身を落ち着かせ、ひとまずの状況の把握を終えた俺が改めて鴨を眺めようとすると、後ろから男の声が聞こえてきた。軽く薄く中身のない、戦後生まれの今どきの老人の声だ。オシドリがどうの、こっちで毛繕いをしているのは別の種類の云々と、老妻に解説でもしているのだろう。
馬鹿が、と俺は思った。この川にはオシドリはいない。仮にいるとしても、それを目にすることができるのは生涯の大半を住宅街の野鳥の観察に費やした奇特な愛好家だけだ。そしてそこには一種類の鴨しかいない――ヒドリガモだ。老人は愚かだ。愚かで無知で盲目だ。自らの愚かさに気づくことなく無駄に生きて無駄に死ぬだけの畜生だ。
ひとしきり罵ったあとで俺は背後の老夫婦から関心を引き上げ、ようやく落ち着いて鴨を眺め始めた。
鴨は鴨の顔をしながら丸々とした身体で水面をたゆたい、時おり頸を捻っては嘴でぴるぴると羽根を繕っていた。水中に顔を突っ込んでは水上に伸び上がり、羽根をばたばたと羽ばたかせてはきらめく飛沫を散らし、川岸にゆるやかな波紋を広げながら、ついついと水面を動いていった。それはまさしく鴨であり、鴨が鴨であって鴨でしかないことに、俺は安らかな満足を覚えた。
水は浅く澄んでいた。陽光が水面に反射して、橋桁の側面に揺れていた。橋の上を自動車が通り過ぎ、さらに下流の橋の上を東上線が通り過ぎた。鳩たちは喉を鳴らしながら土手の斜面を歩き、風を起こして飛び去った。川面に鳩たちの影が落ち、それから消えた。デニム越しの土はひんやりと湿っていた。浮腫んだ足をシューズがじんわりと締めつけていた。右頬には太陽の熱を、左頬には春の冷気を感じていた。陽射しの中を羽虫が舞っていた。草刈り鋏の湿った音が鳴っていた。川と土と草と幽かな甘い匂いの中で、菜の花が静かに揺れていた。
視界のどこかに女児が現れた。近くではなく、遠くでもなかった。危険を感じるような現れ方ではなく、平和で自然な現れ方だった。二歳児なのか三歳児なのか、あるいは四歳児なのか五歳児なのかは俺にはわからなかったし、なにを着ているのかもどんな表情かも、どんな髪型でなにを持ち、なにを愛し、なにを夢見、どんな人生を生きて死ぬべき女児なのかも認識する気がなかったが、いずれにせよ女児ではあり、女児がいるのは対岸の斜面ではあった。
あれは女児である、という認識に満足した俺が、僅かに乱れた関心を水面の鴨たちに戻しつつあるとき、女児が声を発した。春の空気に似合う、高くやわらかな声だった。
「あっちがー、めすでー、こっちがー、おすー」
予定通りに視線を鴨に向けて降ろしながら、そうだ、その通りだ、と俺は思った。模様の違いは雌雄の違いに過ぎない。決して種の違いを示すものではない。女児はものを知っている。老人どもとは違う。俺は鴨を眺めながら対岸の女児にいくらかの――
「きたないほうがー、めすでー、きれいなほうがー、おすー」
俺は苦笑した。女児の言葉が真実だったからだ。真実はときどき我々を苦笑させ、それから慰める。
俺は視線を上げて女児を見た。春色の半袖のシャツを着た女児だった。女児は携帯電話を手にプラスティックのポシェットをぱたぱたさせながら遊歩道を駆け下りて鴨を撮り、橋の下まで降りてなにかを撮り、再びぱたぱたと遊歩道を駆け上がっていった。今どきの女児はスマートホンが使えるのか、とぼんやりと感心しながら、俺はその光景を眺めていた。土手の上では老女が待っていた。女児は嬉しそうに老女になにかを語り始めた。老女は日除けのついたストローラーを支えながら、女児の言葉に頷いていた。祖母なのか曾祖母なのかはわからなかったが、おそらくは白いマスクと眼鏡の向こうで目を細め、穏やかに微笑んでいるのだろう。ストローラーの中には赤子が眠っているのかもしれない。いまだ歩き始めない、そして、じきに歩き始める赤子が。
やがて女児と老女とストローラーは去り、俺はまた鴨を眺めた。いくつかの足音が背後でざっざと鳴り、時おり立ち止まり、それから通り過ぎていった。いくつかの考えが頭に浮かび、それから消えていった。かもいる、かも、おたまじゃくしー、てんとうむしとんでたー、そんな声がぼんやりと耳に入っていた。遠く懐かしい、春の声だった。
しばらくして寒くなってきたことに気がつき、俺はジャージのポケットから携帯電話を取り出してサブディスプレイを点灯させた。一五時三十七分。二十分ほど鴨を眺めていたようだ。対岸の夫婦はいつの間にかいなくなっていた。寄洲ではキャップの男が草を刈り続け、湿った音を響かせ続けていた。俺はバックパックのハンドルを掴んで立ち上がり、ストラップを右肩にかけながら土手の斜面を上がり、遊歩道のスロープを上がりながらジャージのジッパーを首まで引き上げた。軽い立ち眩みと左足の痺れを感じていた。土手の上では知的障害者の女が老親と手を繋ぎ、脚を半円形に引きずりながら嬉しそうに歩いていた。俺は弾みをつけてバックパックを両肩に背負い、左ストラップの捻れを整えた。もう少し歩きたくなっていた。
東林橋を右岸へと渡った。橋の上では髪を結ったフーディの少女が、すっごい虫いる、と顔の前で手をぶんぶん振りながら、とんとんと縁石を渡っていた。隣には友人のような母親が歩いていた。橋の中ほどでは自転車を停めた男が写真を撮り、その頭上にはまだ灯の入らない提燈が連なって揺れていた。高欄の影が落ちていた。
橋の袂を右に折れた。川は上流に向けてゆったりとした右へのカーブを描き、遊歩道の縁には燈籠が消失点に向けて小さくなりながら点々と連なっていた。俺は女児たちがいた場所からもう一度鴨を眺めた。鴨は十五羽に増え、少しだけ上流に移っていた。こちらから見る水面はきらきらと輝いていた。俺はしばらくなにかを思い、それからまた歩き始めた。光を反射させながら、向こうの橋の上をバスが渡っていった。
コンクリートの階段を降り、新高橋をくぐった。橋の下の空気はひんやりと冷たく、頭の上を車の音と振動が通り過ぎていった。陰の向こう、光の中の水面には岸辺の緑が揺れて滲み、その中にひとりの女児がいた。女児は膝丈のパンツの脛までを水に浸からせ、後ろに回した両手に袋を持ち、上体を傾けて無心に水中を覗き込みながら、ゆっくりとした流れの中をゆっくりと歩いていた。柔らかに膨らんだ頬には微笑が浮かび、女児が動くたびに透明な波紋が川面に広がった。
橋を過ぎ、軽い息切れと心臓の動きを感じながら階段を上がった。土手の砂利の上には相変わらず二台の小さな自転車が並んで停まっていた。影は先ほどよりいくらか長くなっていた。俺は土手に上がり、二台の自転車を眺めて過ぎた。籠の中には財布が、芝生と砂利の境には携帯電話が、元のまま無造作に残っていた。俺は少し微笑み、ふっと息をついた。
前方から鈴の音が聞こえてきた。聞き覚えのある音だった。さっきの老婆だ。俺と逆回りに、ゆっくりと歩いてきたのだろう。すれ違ってからふと気がついた。あきたこまちは空袋ではなかった。そこにはなにかが入っていた。それがなんなのかは俺にはわからなかったが、おそらくは、老婆にとっては大切ななにかが。俺は振り返り、老婆の小さな後ろ姿を眺めた。
俺は歩いた。頭はまだぼんやりとしていたが、気分は悪くなかった。光の中で石を投げる兄弟のシルエットも、「わーきれいだねー、すごいねー」という桜に対する初老の女の善良で凡庸な感想も、比較的よく咲いた桜の木の下で三脚を立てて記念撮影をする真新しいランドセルを背負った男児とその両親も、二年十八組の児童が燈籠に描いた桜まつりの絵も、フェンス越しに見える子どもプールの青い四本のスライダーも、袋を手に花を摘むばあさんも、対岸の産婦人科病院で産まれるべき新生児たちも、芽吹き始めたけやきも、橋に描かれたくじらの絵も、土手の斜面に落ちる自分の影も、高水敷に四輪だけ咲いた黄色い水仙も、今はそれほど、どうでもよくはなかった。




