06 オムライスは、誰の味?
ふわふわと、宙を浮きながら思考に耽っていると、お父さんがわざとらしく咳払いをした。
「……で、その。篠原涼雅とかいうやつと、本当に付き合っていたのか?」
お父さんは、手元の資料に視線を落としながら、さりげなくチェックしてきた。
「うん。わたしたち、愛し合ってたよ」
恥ずかしかったけど、事実だから伝えておいた。
「そうか」
短く返したお父さんは、腕組みをして、目を閉じてしまう。
娘の熱愛なんて、やっぱりショックなのかな。
目の前のくたびれたお父さんは、ある日突然事故死したわたしについて、色々調べていた。今だって幽霊になったわたしの話をちゃんと聞いてくれている。
それって、お父さんがわたしをちゃんと愛してくれているってことだよね?
でもごめんね。
わたしはみやびくんを愛してるんだ。
お父さんより、ずっと。
空中で、体育座りをするみたいに膝を抱え込む。
お父さんに彼氏バレした恥ずかしさと、隠し通せなかった気まずさで、透き通ったわたしの体は、接触の悪い充電ケーブルみたいに、ついたり消えたりしながら頼りなく揺れた。
「みやびくんは、いまどこで何をしてるんだろう」
膝を抱えたまま、しょんぼりした声を漏らす。
雨のアスファルト。
ヘッドライトの眩しさ。
わたしは、死んだ。
もし、みやびくんがそこにいたとしたら?
目の前で最愛のわたしが車に轢かれて、彼はどれほど悲しんで、傷ついて、後悔したんだろう。
わたしの死に責任を感じて、今も立ち直れずにいたらどうしよう。
幽霊なのに、目尻に熱い雫がたまったのがわかる。
「みやびくんが自分を傷つけることがあったら、わたしは死んでも死にきれない……あ、もしかして、だから幽霊になってるとか?」
突然のひらめきに、顔を上げてお父さんを見つめる。
「わたしが幽霊になったのって、ボロボロになったみやびくんを救うためなんじゃないかな?」
そうだ、きっとそうに違いない。
「お父さん、一刻も早く行かなきゃ。こうしているあいだにも、彼はわたしの名前を呼び続けてるに違いないから!」
悲劇のヒロインになりきって、今にも駆け出さんばかりの勢いで浮き上がった。そんなわたしに、お父さんは冷や水を浴びせるような声を放つ。
「心配するな。あいつは今、お天気お兄さんとして絶好調だよ」
「……えっ? お天気……お兄さん?」
あまりの衝撃に、空中でバランスを崩しそうになった。
アイドルを辞めて、天気の世界へ?
え、芸能界を追放されたんじゃなかったの?
「驚くのはまだ早いぞ。篠原は、お前との交際を潔く認めることで、その地位を築いたんだからな」
お父さんは苦々しく、一枚の週刊誌を差し出した。そこには、キラキラしたアイドルの面影を脱ぎ捨て、少し大人びた表情でインタビューに答える「お天気お兄さん・篠原涼雅」の姿があった。
「あいつは、お前が死んだ直後、カメラの前で涙ながらにお前との関係を語ったんだ」
「みやびくん……」
思わず胸を押さえる。手がすり抜けたけど気にしない。
だっていつも、「花南ちゃんが困ることになるから、匂わせとかダメだよ」って、しつこく言ってたみやびくんが、カメラの前で交際宣言しちゃうとか。
やっぱりわたしのこと、ちゃんと好きでいてくれてた何よりの証だし。
胸の奥がじんわり温かくなる。
「これが、配信のアーカイブだ」
お父さんがモニター画面をスクロールする。そこには、動画のサムネイルが表示されていた。どうやら、わたしの事故から三日後の緊急会見みたいだ。画面上部には「フラッシュの点滅にご注意ください」とテロップが表示されている。
画面の中では、黒いスーツに黒いネクタイ姿のみやびくんが、深く頭を下げていた。
「……やっと会えた」
気付いたら、引力に引き寄せられるみたいに、モニターに顔を近づけていた。
「流すぞ」
頷くと、マウスカーソルが再生ボタンに重なった。
シャッターを切る音と共に動き出した彼は、わたしが知っているどのみやびくんより、凛々しくて、美しかった。
ライトに照らされたその頬は少し痩せこけていて、唇は震えている。でも、まっすぐ前を見据えた瞳には、何か大きな決意が宿っているように見えた。
『この度は……世間をお騒がせして、本当に申し訳ありませんでした』
あ、みやびくんの声だ。少し低くて、落ち着いた声。この声で何度も「かなん」って呼ばれて、わたしはそのたびに胸がきゅんとなって、苦しかった。
『私は、女性アイドルグループ、Baby☆Uの赤瀬花南さんと、交際していました』
みやびくんが震える声で告げると記者たちがざわめき、フラッシュが光る。
『私達は、結婚も視野に入れ、お互いの両親にも紹介するつもりで……真剣にお付き合いをしていました』
画面の中のみやびくんは、そこで一度言葉を切り、ぎゅっと目をつぶった。こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えているその姿は、あまりにも痛々しくて、画面越しなのに「泣かないで」と手を伸ばしたくなる。
『彼女は……花南さんは、どんなに過酷なスケジュールの後でも、どれほど心身が疲れ切っているときでも、私の前では、ステージに立っているときと全く同じ、眩しいほどの笑顔を見せてくれる人でした』
大勢の記者が向けるカメラのフラッシュを浴びながら、みやびくんは震える声を押し殺し、一文字ずつ丁寧に言葉を紡いだ。
『その笑顔に、私は何度も救われました。彼女はいつだって、自分よりも周りの幸せを優先するような、強く、優しい人だったんです』
みやびくんは、力なく微笑む。
「そんな無理して笑わなくてもいいのに」
充分愛が伝わったから。
映像じゃなくて、早くリアルなみやびくんに会いたい。「わたしはここにいるよ」って、耳元で囁いてぎゅっと抱きしめてあげたい。
動いていないはずの心臓が、きゅんとなる。
『料理も上手で……彼女の作ってくれたオムライスを、もう二度と食べられなくなると思うと……』
みやびくんが声を詰まらせると、パシャパシャと激しく焚かれたフラッシュの光が、画面を白く染め上げる。眩しく点滅する画面の中、彼がハンカチで目元を拭いている。
それを眺めていたら、脳内に、真っ白なノイズが走った。
「お父さん、今の……聞こえた?」
「ああ。オムライスがどうとか言ってたな」
動画を一時停止しながら、お父さんは興味なさそうに吐き捨てた。でも、わたしの指先は、実体なんてないはずなのに、冷たく凍りついたみたいに動かなくなる。
あのね、みやびくん。
わたし、オムライスなんて一度もあなたに作ったことないよ。
だって前に一度、何かで喧嘩した時。理由なんてもう覚えてないくらい些細なことだったのに、みやびくんがすごく怒って、わたしに「死ね」って、包丁を突きつけたことがあったよね。
あとで冷静になった時、みやびくんは泣きながら土下座して謝ってくれた。「もう二度としない。ごめん、かなん」って言って、わたしの手を握ってくれて。
その時の涙を信じることにして、二人で家にある刃物は全部捨てたじゃん。
だから、みやびくんと部屋で過ごすときは、いつも駅前のコンビニで買ってきたパスタとか、宅配を頼んだりしてたよね。
オムライスって、なにかな?
誰に作ってもらったのかな?
ねえ、みやびくん。そのオムライス、ケチャップでなんて書いてあった?
画面の彼は、停止したまま、答えてくれない。




