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04 お父さん

 お父さんの名前は、赤瀬(あかせ)健太(けんた)。四十七歳で、再婚はしていない。職業はルポライター。


 本人は事件専門の社会派ライターとか言ってるけど、国民的人気女優の不倫現場をすっぱ抜いたとき、お母さんが「結局は人の不幸で食べてる不吉な人」と吐き捨てていたのを覚えている。


 離婚してから、お父さんとは年に数回会う程度。高校に入学してからは、一度会ってそれっきり。しばらく会っていない。

 お父さんと話したいとか、会いたいとかいう気持ちはなかった。けれど、芸能関係に詳しそうだし、事件を追う仕事をしている人だから、わたしのことも何か知っているかもしれない。


 こう見えてわたしは、それなりに知名度があるアイドルだったから。

 SNSのフォロワー数は三十万人超えで、Baby☆Uの中でも一番人気だったし、街を歩けば視線を感じることもあった。

 もしフォロワー数がその人の価値だとしたら、わたしはそれなりに『価値のある人間』だったはずだ。


「ま、地下アイドルだったけど」


 そのおかげで、みやびくんと知り合えたから、地上とか地下とかどうでもいい。


「地上波なんて、今や視聴者は高齢者しかいないオワコンだし」


 夜景を見下ろしながら、どこかで目にした言葉を口にする。


 わたしはBaby☆Uの中でも、家族の中でも、この世界の中でも。もちろん、みやびくんの中でも価値ある人間だったことは間違いない。


「でも、今のわたしは、なぜか幽霊なんだよなあ……」


 一人呟きながらふわふわ空を飛んで、お父さんの事務所を目指す。



 *



 お父さんの事務所は、代々木にある築四十年は超えていそうな雑居ビル。一階に場違いなほど明るいコインランドリーが入ったビルの三階だ。


 みやびくんに早く会いたかったわたしは、迷わず事務所の窓をすり抜ける。

 その瞬間、鼻についたのは安物の缶コーヒーと、何日も放置された吸い殻が混ざったような、男臭い、生活のおりみたいな匂いだった。


「相変わらず、不健康そうな場所……」


 スチール製の棚には、パンパンに膨らんだクリアファイルが、整理されることもなく無造作に突っ込まれている。床には、週刊誌やスポーツ新聞が地層のように積み重なり、その隙間を縫うように、延長コードの束がヘビみたいにのたうっていた。


 部屋の奥、スチールデスクの上には、割り箸が突き刺さったままのカップ麺の残骸が放置されている。そのすぐ隣には、付箋がいっぱい貼り付けられた資料の山が崩れそうに積み上がっていた。


 どう見ても最悪な状態の中で、青白い光を放つモニターの前に、一人の中年男性が椅子に深く腰掛けていた。


「……お父さん」


 最後に会った三年前より、少し白髪が増えたみたい。人相の悪さは相変わらずだけど。


 お父さんは、ボサボサの頭を掻きむしりながら、灰皿に溜まった吸い殻を気に留める様子もなくモニターを見つめていた。


 モニターには、見覚えのある光景が映っている。


 《Baby☆U 日本武道館公演、大盛況のうちに閉幕。二代目センターみくる、涙のデビュー》


 お父さんはネットニュースの記事をなぞりながら、独り言を漏らす。


「……二代目センターか」


 その声にはどこかやりきれない、ひどく苦い感情が混じっている気がした。


「……結局、使い捨てかよ」


 吐き捨てるように言って、吸い殻が山盛りになった灰皿に、まだ火のついたままのタバコを押し付けた。立ち上る細い煙の向こうで、お父さんの目は濁ったモニターの光を反射している。


 どうやらここにきたのは、正解だったようだ。


「お父さん、相変わらず……その、不吉な顔してるね」


 斜め後ろに立って呼んでみた。

 お父さんが振り返った。


 うわ、目が合った。


「……花南?」


 あ、これってもしかして、声が聞こえてる?


 やっぱりオソロの赤い血は最強的な?


 少し嬉しい気持ちで確認してみる。


「見えるの?」


「見える」


 お父さんが立ち上がる。椅子がデスクに当たって、不快な金属音を立てた。

 それから、まるでもろい硝子細工にでも触れるような手つきで、ゆっくりとわたしの頬目掛けて手を伸ばす。けれど、その指先はわたしの輪郭を虚しくすり抜け、ただの冷たい空気を掴んだ。


 お父さんの虚を突かれたような顔に、心臓があった場所がドクンと跳ねた。


「触ることはできないよ。わたしは幽霊で透けてるから」


 暗い雰囲気とか苦手だから、できるだけおどけた調子で言ってみた。


「ほら、見て。完全なホログラム状態。最強でしょ?」


 お父さんは、空を切った自分の手を凝視したあと、またわたしを見た。その目は、まるで白昼夢でも見ているような、極限まで追い詰められた時に、うっかり見てしまった、自分に都合の良い幻覚を疑っているような、とにかく、危ない目だった。


「なんで、お前が……」


「それを調べたいんだけど、手伝ってくれる?」


 にっこり微笑んで、首を傾げた。

 カメラを向けられたとき、自然にできるようになった渾身のアイドルスマイル。この笑顔でお願いすると、みんなわたしの言うことを聞いてくれた。

 例外はみやびくんだけ。彼は本当にわたしを愛していたから「作り笑いをするな」って、心配してくれて怒ったこともあったけど。


 お父さんは、わたしをじっと見つめてから静かに言った。


「……わかった」


 その時確信した。幽霊になってもわたしの笑顔は、最強に可愛いんだなって。


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