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01 塗り替えられる「白」

お読みいただきありがとうございます。

ホラーを執筆していたら、途中で怖くなってしまい路線変更した作品です。

十五話前後で完結予定です。最後までお付き合いいただけるとうれしいです。

 ふわりと、地に足がついた。


 たとえるなら、遊園地のフリーフォールで心臓を置き去りにされた後、ようやく硬い地面の感触が靴底に触れた、そんな感じ。


 ああ、戻ってこれたんだ。


 次の瞬間、ライトの眩しさが、すぐ目の前から溢れてきて、反射的に目をつぶる。すぐに、スモークの匂いがして、心臓まで響く重低音と観客の熱気がわたしの全身を包み込んだ。


 この感じ、知ってる。


 ぼんやりしながら、ゆっくり目を開けた。


 電飾で彩られたステージ。

 舞台の上に、横一列に並んだ女の子たちが見えた。黒、青、赤、黄色。それぞれが、魔法少女みたいな可愛いコスチュームを着ている。薄暗い中、ペンライトが波みたいにうねっていた。


 あ。これ、ライブだ。

 しかも、かなり大きな箱。

 どこだろう。


 視線を上げる。八角形の屋根が、信じられないくらい高い。

 脳内に直接響く大歓声の出どころは、すり鉢状に高く積み上がる客席の群れ。


 ゆっくりと、記憶の糸をたぐり寄せる。でも頭の中はまだ、遠心力で中身をかき混ぜられたような、ぐにゃりとした感覚が消えない。


 見たことあるのにな。

 どこだっけ、ここ?


 視線を泳がせると、舞台袖の壁に貼られたセットリストが目に入った。


『Baby☆U at 日本武道館』


 え、武道館?

 嘘でしょ?


 みんなで「いつかここに立とうね」って、楽屋で笑いながら言ってた、あの武道館?


 そのとき、マイクを持った天音あまねちゃんの声が、スピーカーを通して響いた。


「一年前、花南かなんが……」


 天音ちゃんの少し大人びた声が、詰まる。

 わたしは、ぴたりと固まった。


 天音ちゃん。

 わたしが所属する地下アイドルグループ「Baby(ベイビー)U(ユー)」の黒色担当で、一番の親友。そして今、彼女が声を詰まらせながら呼んだ「花南」というのは、わたしの名前だ。


 でもなんか天音ちゃん、雰囲気違くない?

 髪の毛、ボブじゃなかったけ?


 気のせいかな、って首を傾げた瞬間、天音ちゃんの震える声が耳に届いた。


「花南が、突然私たちの前からいなくなって」


 また黙り込んだ彼女は、ステージ衣装のまま、涙をこらえるように唇を噛んでいる。


 ちょっと、いなくなってってどういうこと?

 わたしはここにいるけど。


「天音、泣かないで」


「頑張れー!」


 客席のあちこちから声援が飛ぶ。メンバーたちが天音ちゃんに駆け寄って、肩を抱く。


 なんで泣いてるの。

 なんでわたしがいなくなったことになってるの。


 えー、そういう演出だっけ?


 だとしたらやりすぎだよ。こんな状況で出て行ったら、ブーイング確定。炎上必須じゃん。


 混乱しながら、もう一度辺りを見回す。


 あ、あの人知ってる。


 黒いスーツを着て、袖の壁に背を預けて立っている女の人。マネージャーの瀬戸さんだ。


 いつもなら「ほら、鏡見て! 笑顔忘れない!」ってテンション高めで厳しく声をかけてくるはずの彼女が、今は信じられないくらい静かにそこに立っている。


 なんか変だと思ったら、広げた紙の束を握りしめる指先が、白くなるほど強張っていた。視線はステージの四人に向けられているけれど、どこか遠くの場所を見ているような、そんなひどく冷たくて悲しい目。


「瀬戸さん、大丈夫ですか?」


 彼女の肩に手を伸ばす。

 すり抜けた。


 え。


 もう一度やったら、やっぱりすり抜ける。

 わたしは、自分の手を見つめた。


「嘘」


 透けていた。ぼんやりと、背景の幕が透けて見えるくらいに、薄く、透けている。


 ステージの上では天音ちゃんが、涙をぬぐいながら一生懸命、言葉を紡いでいた。


「花南がいなくなって、私たちも彼女の抱えるものに気付けなかったって、すごく後悔して悩みました。けど、泣いている私たちを見て、花南は喜ばないと思います」


「そうだ!」


「花南も天国でそう言ってるはずだぁぁぁ!」


 地鳴りのような歓声が渦巻く客席。


 そこには、わたしが知っている『いつもの客席』とは決定的に違う光景が広がっていた。


 色とりどりに輝いていたはずのペンライトの海が、まるで雪原のように真っ白な光に染め上げられている。それはわたし、花南のパーソナルカラーだ。けれどその白さは、どこか手向けの花の色のようにも見えて、胸の奥が冷たくなる。


 さらに、光の海の間を縫うように、無数のタオルが洗濯機の中に入ったように、振り回されていることに気付く。


「……うそ」


 視界に飛び込んできたタオルに書かれた文字は、見慣れたグループのロゴじゃない。白地に、太く、無機質な黒い文字。


『R.I.P. KANAN』


 その文字が、何百枚、何千枚と波打っている。

 Rest In Peace。安らかに眠れ。


 かつてわたしの名前を呼んで、笑顔で振られていたはずのタオルが、今はわたしを過去に葬るための旗印に変わっていた。


 文字が、目に焼き付いて離れない。


「RIP……? 安らかに、眠れ……?」


 客席の最前列で、顔を真っ赤にして泣きながらタオルを掲げているファンの男の子が見えた。彼はわたしの生誕祭で、誰よりも大きな声で「かなん、大好きだー!」と叫んでくれた古参の人。

 そんな彼の隣にいる女の子も、嗚咽を漏らしながら、祈るようにタオルを胸に抱きしめている。


 彼らが振っているのは、応援じゃない。

 わたしに対する、お別れの合図だ。


 一万人の『さよなら』が、物理的な圧力となって、半透明になったわたしの体を押し潰そうとしてくる。

 ステージの床を叩く重低音すら、わたしの意識を闇の底へと引きずり込んでいくようだった。


「そして今日、ようやく新たなメンバーを迎え入れる準備が整いました」


 わたしの体を、まるでセミが脱皮したみたいに誰かがすり抜けていく。


 白い衣装の女の子。わたしが着ていたのとそっくりな白い衣装を着た見知らぬ女の子が、瀬戸さんに背中を押されてステージへ駆けていった。


「花南ちゃんの代わりに本日から加入することになった、二代目白色担当、みくるちゃんです!」


 ステージの上で、メンバーたちが新しい白色担当を囲む。客席から割れんばかりの歓声が上がる。数秒前まで号泣していたはずのファンたちが、一変して「みくるー!」と新しい名前を絶叫し始めた。


 その光景は、あまりにも残酷で、あまりにも鮮やかだった。


 客席を埋め尽くしていた『さよなら』の白が、一瞬で『はじめまして』の白へと変わっていく。

 振られていた『R.I.P. KANAN』のタオルは、まるで役目を終えたかのように次々と下ろされた。代わりに新しいメンバー『MIKURU』と名前が入ったタオルが掲げられて、彼女を祝う熱狂が武道館を飲み込んだ。


 わたしは一人、舞台袖に残されているというのに。


「ねえ、わたしはここにいるんだけど」


 声に出してみた。でも、誰にも届かなかった。


「もしかして、わたし、死んだの?」

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