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居眠り卿と純白の花嫁  作者: 中里勇史
ナルファスト公国へ
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ロレンフス

 皇帝の長子、大公のロレンフスは怒っていた。手にした長剣で、生物無生物を問わず視界に入るもの全てをなぎ払ってやりたい程度には怒っていた。

 だが表情には表さない。基本的には無表情で通し、必要に応じてほほ笑んだりもする。幼い頃から帝王学をたたき込まれ、大公として、帝位継承者として、ふさわしい振る舞いをすることを自らに課している。目の前にいる男を鈍器で滅多打ちにしている映像を思い浮かべながら、涼やかな顔で話を聞いていた。

 「なるほど。貴公の話はよく分かった。いったん下がれ」と言って相手を退室させると、拳を執務机にたたきつけた。


 ロレンフスは、領地としてオデファルス公領を皇帝から与えられている。ここでの税収がロレンフスの収入源であり、これを元に大公としての務めを果たしている。帝室の一員としてふさわしい装束を整え、交友費用や皇帝の名代として下向する際の費用など賄う。大公としての威儀を整えるのはなかなかカネがかかるのである。もちろん、領地を経営するという経験は皇帝になるための準備としても重要だった。

 ロレンフスはオデファルス公として、まずまずの治績を上げていた。皇帝がロレンフスのために配したダウポロス副伯ヴァル・テルメソーン・マルテノガスとプルテワイト副伯ヴァル・フィーンゾル・カルターフェスという2人の付家老の助けを得ながら、日々の政務をこなしている。

 領地経営は順調だったが、不測の事態は避けられない。去年、つまり帝国歴222年の冬、オデファルス公領は大規模な山火事に見舞われた。原因は分からない。恐らく山に入った者の火の不始末に端を発すると思われるが、それを追究しても仕方がない。原因をうんぬんしている場合ではなかった。冬のよく乾燥した山や里は、あっという間に炎に包まれた。火の勢いは凄まじく、人間の消火活動など全く相手にならなかった。鎮火したのは、季節外れの雨が数日間降ったからだった。まさに僥倖だった。

 このときロレンフスは、外交使節の一団を率いて帝国西方の大国、フェンエルス王国にいた。フェンエルス王国に対しては、主にワルヴァソン公国が外交と防衛を担っている。だがフェンエルス王国とワルヴァソン公国の間には何らかの密約があるとも噂されており、帝室としても両者の関係に睨みを利かせておく必要があった。

 フェンエルス王国にいるロレンフスに知らせるにしても1カ月以上を要し、ロレンフスがオデファルス公領に戻るのにも1カ月以上かかる。そのため火事の発生がロレンフスに知らされることはなく、ロレンフスは予定の日程をこなして帝都に帰還した。そこで初めて領地で火災が発生したことを知らされた。ここまでは仕方のないことだった。

 オデファルス公領には、留守居役としてフィーンゾルを残しておいた。問題はフィーンゾルの対応だった。彼は被害が比較的軽微だった村々の様子だけを見て、徴税額を算定した。被害を考慮して減額はしたが、実情には合っていなかった。むしろ被害が大きかったオデファルス公領東部のための荒政が必要だった。

 被害が大きかった東部では、家屋も倉庫も焼け落ちて路頭に迷う領民であふれた。税を納めるどころか、自分たちが食べるものも寒さをしのぐ家も焼失し、冬を越すこともできない状態だった。当然、焼死した領民も多数発生した。

 彼らは救済を求める嘆願書を提出したが、フィーンゾルはここでも事態を見誤った。嘆願書を出してきた村々に対して、税を「さらに減額してやった」のである。

 オデファルス公領東部の村々は、生きるためにすみかと食料を求めてオデファルス公領西部になだれ込んだ。火災被害がなかった西部の村々にしても、余裕があるわけではない。招かざる闖入者を実力で排除しようとして、領民同士の殺し合いに発展した。これによって自分たちの村も荒廃すると、彼らも西部に向かうという事態に発展した。こうして、オデファルス公領はその6割が騒乱状態に陥った。ロレンフスは、こうした事態になってから報告を受けたのである。

 ロレンフスは驚愕した。急ぎオデファルス公領に入って、留守居役のフィーンゾルに事の経緯の説明と、収拾案を出せと命じた。しかしフィーンゾルの口から出てくるのは自己正当化と言い訳だけで、建設的な提言はなかった。こうして、ロレンフスは拳を執務机にたたきつけることになった。


 「責任を問う前にまずは解決を」と思ったが、あれはダメだ。いっそのこと領民の前でヤツの首をはねてやりたいところだが、帝国爵位を持つということは皇帝の直臣である。付家老なので、任免権も皇帝が持っている。忌々しいが、フィーンゾルの地位をロレンフスが奪うことはできないし、罰することもできない。心の中でフィーンゾルを4回ほど斬首にした後、3回火あぶりにしてやったが留飲は下がらなかった。

 もう1人の付家老であるテルメソーンは、気遣わしげにロレンフスを見ていた。ロレンフスが心の中で何をやっているのかは察しがついているが、言及は避けた。ただし、そろそろ思考の方向性を変えるべきだろう。

 「兵を、出しますか?」

 「馬鹿を言うな。一度血を流してしまったら和解は不可能になる」

 ロレンフスはテルメソーンを一瞬睨んだが、彼の真意を悟って苦笑した。思考が非建設的になっていたことに気付いたのだ。

 「まずは騒動が比較的穏やかなところを幾つか挙げてくれ。そこから説得を始める。それから、ナルファスト行きは見合わせたいと帝都に伝えてくれ」

 ロレンフスは皇帝の名代としてレーネットの婚礼に出席する予定だったが、領地がここまで荒れ果て、近隣の他領にも影響を及ぼしかねない状況では領地を離れるわけにはいかない。レーネットにも久しぶりに会いたかったが、公爵領一つ満足に治められずに帝国の頂点に立てるわけがない。

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