アトラミエ
「セレイス卿。アトラミエが貴公と2人だけで話したいそうだ。私は同席を禁じられてしまった」と言って、レーネットは笑って肩をすくめた。
とはいえ、公妃と2人きりになるわけにはいかない。ウィンが難色を示すと、レーネットは苦笑した。
「問題が生じるとも思えんが、貴公は変なところで律義だな。ならば、アトラミエが帝都から連れてきた侍女を付けるということでどうだろう」
その条件をアトラミエがのんだので、ウィンと公妃の会談が成立した。
2人で話がしたいとはどういうことだろう。アトラミエとの接点といえば、レーネットについて聞かれたことだけである。やはりそれに関連しているのだろう。「話が違う!」と叱られるのだろうか。間違ったことは言っていないはずだが、女性視点では違って見えるということもあるかもしれない。
「ナルファスト公についてセレイス卿に質問してから1年もたつのですね」
と、アトラミエは話を切り出した。相変わらず表情はほとんど変わらないが、気のせいか無表情というほどではない。
「そういえば……継承戦争が終わった直後だから一昨年の10月ですね」
「あのとき私は、父上からナルファスト公に嫁ぐか否か、選べと言われていました」
「選べ? それはまた珍しい」
女性の結婚相手は親が決めるものだ。特に貴族において結婚とは政治に属する領域であり、当人に選択権などない。
帝国において、貴族の女性には外交官としての資質が求められる。実家の利益の代弁者でなければならず、同時に婚家の利益と擦り合わせる才覚がなければならない。実家の利益を主張するだけではうまくいかない。
女性は政略結婚の駒であり、なおかつ馬鹿には駒は務まらないと考えられている。ゆえに、貴族の女性は作法のみならず政治についても教育される。女として愛され、政治的なパートナーとして信頼されなければ駒たり得ない。美しいだけではだめなのだ。
そのため、皇帝の言葉はアトラミエにとって複雑だった。
大国かつ戦乱状態にあったナルファスト公国に嫁げというのは、アトラミエの能力が高く評価されたことを意味する。アトラミエであれば、この難しい国とティーレントゥム家の架け橋になると期待されたのだ。帝国に生きる貴族の女性としては最大級の名誉であった。
だが、「選べ」とはどういうことか。皇帝の、父の真意を測りかねた。何より、判断材料がなかった。女とは、行けと言われたところに行くものとして育てられた。行く先がどんなところかなど知らない。知らなくてもよかったのだ。選択権がないのだから。だから選択権が与えられると逆に困惑する。
兄たちに相談することもできず、1人首をかしげていたところに、ちょうどナルファストから帰ってきたウィンに出会った。父の真意は分からないままだが、ウィンに聞けば多少は判断材料ができるかもしれない。それがあの質問だった。
「セレイス卿の話を聞いて、ナルファスト公をお支えしたいと思いました。家族になって差し上げたいと思ったのです」
こうしてアトラミエはナルファスト公に嫁ぐという選択をしたと父に伝えた。
「ナルファスト公に嫁ぐに足る能力があるとお認めいただき、ありがとうございます。この名誉ある務めを必ずや成し遂げてご覧に入れます」
皇帝はアトラミエの決断を是とし、「多くの家族を失ったナルファスト公を支えてやるがいい」と言った。まさにアトラミエがしようと思ったことだった。皇帝がアトラミエにその任を期待していたのだと思うと、自分の決断がより誇らしかった。
「実際のナルファスト公はいかがでしたか?」
その質問に、あまり表情を変えなかったアトラミエは少しほほ笑んだ。1年前よりも、もう少し柔らかく。
「セレイス卿から伺った以上の方でした」
どうやらこの政略結婚は幸せな形で進んでいるらしい。
もちろん、互いに不幸な結果になる政略結婚も多い。だが政略結婚が即不幸というわけではない。当人たちの努力で結果を変えられることもある。
ウィンが安堵していると、アトラミエが急に表情を硬くして姿勢を正した。
「前置きが長くなりました。2人でお話ししたかったのはここからです」
「えっ」
美女が表情を硬くすると、とても迫力がある。まさに「氷の美貌」であった。ウィンは急に帰りたくなった。
「何でしょう……」
「セレイス卿のことを、父から聞きました」
「……」
「兄たちも知らないとのことです。あ、ロレンフスは知っているのでしたね」
自分のことを知られるというのは、実に居心地が悪い。どんな顔をしたらよいのか分からず、ウィンは視線を泳がせた。
「私はセレイス卿を何と呼べばいいのでしょうか。やはり……」
「これまで通りセレイス、とお呼びください。あ、ウィンでもいいですよ」
「セレイス卿……ウィン……ああ、ウィンがいい。ウィンにします」
「ではナルファスト公妃のよろしいように」
「ウィン、これからもナルファスト公と私を助けてくれますか?」
「もちろん。いつでもお気軽にお呼びください。でも、できれば暖かい季節に」
そう言ってウィンはわははと笑った。
アトラミエも、ふふっと笑った。