ナルファスト
ウィン、アレス副伯ヴァル・フォロブロン・アンスフィル、騎士ソド・ムトグラフ・ポーウェン、傭兵隊長ベルウェン・ストルム、傭兵ラゲルス・ユーストの5人がナルファスト公国の首都ワルフォガルに入ったのは帝国歴223年1月24日だった。
1月のナルファストは、モルステット山脈から吹き下ろされる寒風で肌を裂かれるような寒さだった。ワルフォガル一帯は平野なので風を遮るものがなく、ますます寒い。ウィンは防寒着を重ね着したためムクムクモコモコしていた。
「セレイス卿、それでは動きにくかろう」とフォロブロンにたしなめられたが、「機敏に動く必要性がないからこれでいい」とウィンは強弁した。逆に「アレス副伯はやせ我慢しているだけでは?」と言い返され、フォロブロンは沈黙した。寒かったのである。
ナルファスト公レーネットは一同を大いに歓迎し、謁見の間ではなく応接室に直接案内して長旅をねぎらった。挨拶もそこそこに、まずは上等なぶどう酒を開けて特にベルウェンとラゲルスを喜ばせた。
「遠路はるばるよく来てくれた。こちらから出向くのが筋なのだが、アトラミエも話がしたいと言っていてな」
単に婚礼に出席するだけではない、ということだろうか。レーネットの含みのある言い方に、ウィンは少し引っ掛かった。
「ところで、カルロンジ宮内伯がナルファストに干渉していたというのは確かなのか」
やはり気になっていたか。ナジステオ家をめちゃめちゃにした犯人に関心がないわけがない。
「カルロンジが干渉していたのは確かです。彼の自宅からも物証が出てきました。ナルファストの複数の貴族をスハロート派に寝返らせ、ルティアセスを操っていたのもカルロンジです」
「やはりそういうことなのか」
「カルロンジはナルファストに接する帝国直轄領まで下向し、そこから指示を出していた。帝都からにしては妙に反応が早かったのはそのためです。ですが……」
「他にもまだいる、ということなのだな?」
「ティルメイン副伯を攫わせたのは別人だと思われます。カルロンジが操っていたルティアセスはティルメイン副伯を見つけられなかった。そのため、カルロンジの線からたどってもティルメイン副伯は発見できませんでした」
「リルフェットを攫ったのは、やはりスハロートの代わりにするためか」
「だと思います」
レーネットはそこでしばらく沈黙した。一瞬沈痛な顔をした後、ウィンの目を直視した。
「セレイス卿は、リルフェットはもう死んでいると思うか?」
一同は息をのんだ。ウィンだけは、その質問を覚悟していた。だが、返答は難しかった。変わってアデンが答えた。
「7、8割がた、ティルメイン副伯は殺されていると思われます。しかし、何らかの理由で生かされているという可能性は捨て切れません」
「理由?」
「それは分かりません。情が移ったとか、別の思惑で利用価値が生じたとか、意思決定者の指示が届いていない、届かない場所に居るなど、可能性だけであればいくらでも挙げられます」
ここでレーネットに希望をつなぐようなことを言うのが適切なのか、リルフェットのことは諦めて明日に目を向けさせるべきなのか、ウィンには判断できなかった。
レーネットはふと笑みを浮かべると、ため息をついた。
「いや、詮ないことを言った。まあ飲んでくれ。酒ならまだまだあるぞ」
「やってますよ、公爵」と言って、ベルウェンがガラス製の杯を掲げた。杯は縁が薄くて透明度が高い高級品だった。さすが公爵家だ。縁が薄い杯は口当たりが良く、ぶどう酒がうまい。
「アルテヴァークとも講和が成立したそうで」とフォロブロンが話題を変えた。
「うん。公国内には批判もあるがな、とにかく終わらせた」
ナルファスト公国は、前年の8月にアルテヴァーク王国と正式に講和を結び、戦争を終結させた。アルテヴァークがダウファディア要塞をナルファスト公国に返還し、国境は旧来のままであることを確認し合った。実質的な戦勝国であるナルファスト公国が何も賠償を要求しないという異例の条件で、これに反発する貴族も多いと聞く。
アルテヴァーク王スルデワヌトに対する反乱に乗じてアルテヴァークに侵攻すべし、反乱軍と共同してスルデワヌトを倒すべし、といった強硬論も強い。だがスルデワヌトの後に誰がアルテヴァーク王になるのか。スルデワヌトなきアルテヴァークには不確定要素が多過ぎた。であればスルデワヌトに恩を売る形で終結させた方が益が多いというのがレーネットの判断だった。むろんそれは建前で、戦争継続自体に意義を見つけられなかったのだ。
アルテヴァーク戦争においては得るものがなかったが、ナルファスト継承戦争において多くの有力貴族が領地没収となったおかげで加増の原資は潤沢だった。適切な加増によって、内政重視のレーネットの方針は受け入れられつつある。
アルテヴァーク王国もまた、ナルファスト公国との戦争に区切りを付けたことで国内に集中できるようになり、反乱は沈静化に向かっている。レーネットはアルテヴァークと不可侵条約を結ぶ用意があると表明しており、これが実現すれば両国の長年の確執が終わりを迎えるかもしれない。
行方不明の公女ウリセファとティルメイン副伯リルフェットの件を除けば、ナルファスト公国はレーネットによる新体制に順調に移行しつつある。監察使として口出しすべきことは何もなかった。そんなことを考えていたウィンは、結局これは帝国としてその後のナルファスト公国を視察してこい、ということだったのではないかと思い当たった。