帝都・冬
帝国監察使ヘルル・セレイス・ウィンは、平民街の一画にあるごくありふれた酒場でやる気が感じられない目に磨きをかけていた。
「旦那、死んだ魚みたいな目になってますぜ」
「その言い方はやめてよ、ラゲルス」
ウィンは顔をしかめて麦酒をあおった。
帝都に戻ってから1カ月がたち、季節は冬になっていた。帝都は内陸部なので乾燥しており、雪が降ることはめったにないが気温は低い。寒さに弱いウィンにとってはつらい季節である。ちなみに、暑さにも弱い。
ウィンはこの1カ月何をしていたかというと、実は何もしていない。部屋でごろごろしたりアデンと話したりするのに飽きると、こうして酒場でぼんやりしている。
ウィンが怠惰な時間をむさぼっている間にも、事件は起こっていた。最近では、スソンリエト伯が逃亡した。当初はおとなしく尋問に応じており、カーリルン公位簒奪計画について素直に供述していた。スソンリエト伯やその家臣、ウィン、傭兵隊長ベルウェン・ストルムの証言によって、宮内伯のヴァル・カルロンジ・サルナーガがカーリルン公位簒奪に関与していたことも明らかになった。
そうしたさなか、スソンリエト伯が突然脱獄して行方をくらましてしまった。まるでカルロンジの破滅を見届けるまで待っていたかのように。少なくとも、ウィンはそうだと考えていた。
帝国司法院の追及によって、カルロンジがナルファスト公国の近くまで下向してナルファスト公国の貴族たちに指示を出していたことも判明した。この件については宮内伯のヴァル・マーティダ・ディーイエから聞いただけなので詳しくは分からないが、カルロンジの関与は限定的だったようだ。
それについてはウィンの肌感覚とも一致している。カルロンジはあまりにも「底が浅い」。あれはやはりただの使い走りだ。マーティダとしてはその背後まで探りたかったようだが、カルロンジが牢で自害してしまったためうやむやになってしまった。あの男が自害などするとは思えないのだが、詳しい調査は行われなかった。自害ということで、早急に幕引きとなった。
帝都の闇は深い。どうすれば闇の中を探れるのか。マーティダは、今でも深入りするなとウィンに言い続けている。
そのマーティダに呼び出されたのは12月16日だった。その日はとても寒く、出かけるのは嫌だったがマーティダの呼び出しとあらば行かないわけにはいかない。
「こんな寒い日に何の用だろう」
「用の有無に気温は関係ないと思いますが」
「またどうでもいいことに突っ込む……」
アデンとくだらないことを言い合っているうちに、皇帝宮殿に着いた。外廷にあるマーティダの詰め所を訪ねると、彼は怖い顔で待ち構えていた。
「遅い」
「参内用の服が見つからなかったもので……」
「言い訳はいい。本題に入る」
「はい……」
「今回は仕事の話ではない。ナルファスト公国に行ってきなさい」
「はい?」
「2月にナルファスト公と大公女の婚礼が執り行われる。非常に異例なことではあるが、セレイス卿、アレス副伯、ムトグラフ卿、ベルウェン、ラゲルスの5名を招待したいと、ナルファスト公直々のお話があった。行ってきなさい」
「公爵の婚礼に!?」
公爵の婚礼といえば、ベルウェンら平民はもとよりウィンやムトグラフのような下級貴族が招待されるなどあり得ないことである。資格があるのは帝国爵位を持つフォロブロンくらいだろう。
「だから、異例だと言っている。旅費は先方持ちだ。行ってきなさい」
「はあ」
こうしてナルファスト公国行きが決まった。
ナルファストについては気にもしていたので行きたくもあるが……。
「寒いのが嫌なんですね」
アデンが痛い所を衝く。
寒風が吹きすさぶ中を約1カ月も旅するのはつらそうだ。今回は歩兵を連れて行く必要はないから日程は短縮できるが、そもそも1日でも嫌だった。
「でも行かないという選択肢はありませんよ」
「分かってるよ。でも、急に病に倒れたりどこかの諸侯の調査に行かなきゃならなくなったりするかもしれない」
「諸侯の調査に行くならナルファストに行くのと同じじゃないですか」
「……それもそうか」
そして、出発日まで何ごともなく、無事ナルファストに出発することができた。




