決断 その3
ウィンが執務室に入ってきた。
「お久しぶりです、公爵」
「お、おう。久しぶりじゃの、セレイス卿」
エメレネアは部屋の隅に下がりながら、「先ほど会ったばかりだろう」と心の中でつぶやいてため息をついた。
そのまましばらく沈黙が続いたが、ようやくウィンが口を開いた。
「カーリルン公、いやアルリフィーア様……リフィ。私の妻になっていただきたい」
「え」
アルリフィーアは言葉を失った。力が抜けて膝から崩れ落ちそうになったが、辛うじてこらえた。ウィンの言葉が頭の中を飛び回って、頭が破裂しそうだった。大きな目をさらに見開いて、目の前にいる男を凝視する。ウィンがそこにいた。確かにウィンだった。彼が発した言葉は、あまりにも予想外だった。
とてもウィンの顔を見ていられない……。アルリフィーアはウィンに背を向けて、深呼吸した。心臓が肋骨を突き破って飛び出しそうだ。頭がくらくらする。
「な、何をたわけたことを。そんなことができるわけがなかろう」
「お父上が残し、それを守るために多くの者が死んだ。リフィが公爵の地位を捨てる訳がない。そんな女性ではないことは分かっている。だからリフィが公爵のままでいられる方法を探す。そうして見せる。だから私を帝都に行かせてほしい」
「そ、そのようなことができるはずが……。いや、とにかく、そのようなことワシの一存では決められぬ。セレイス卿が帰還する旨は相分かった。好きにするがよい。結婚については重臣ともはかった上で追って沙汰致す」
ウィンは、背を向けたままのアルリフィーアに礼をすると部屋を出ていった。アルリフィーアは最後までウィンの顔を見ることができなかった。
「行ったか?」
「はい。セレイス卿は退室されました」
「そうか」
大きな目から、大粒の涙がぼたぼたとこぼれ落ちた。
「公爵……」
「エメレネア、ワシは女に生まれたことを何度も悔やんだ。女でなければと思い続けていた」
「……」
「今、初めて女に生まれてよかったと思えた。女でよかったと思った。女でなければあんなに嬉しい言葉をもらえなかった。ワシは幸せじゃ。幸せ者じゃ。生まれてきてよかった。女でよかった。一生分の幸せをもらった」
涙が止まらなかった。嬉しい分だけつらかった。ウィンがいくら知恵の回る男だとしても、身分の差を埋めることはできない。ウィンは爵位もない下級貴族で、アルリフィーアは貴族最高位の公爵。2人の間には山よりも高く海よりも深い断絶がある。ウィンが帝都で何をするつもりなのかは分からないが、どうすることもできないことは明らかだった。
だが、ウィンがくれた言葉だけで十分だ。「妻になってほしい」。そう言ってもらったという事実を胸に抱いて生きていける。この先、誰と結婚して誰の子を産むとしても、あの言葉を思い出すだけで幸せになれる。夫になる男には不誠実かもしれないが、一握りの想いを心の奥底に秘めるくらいは許してもらいたい。
「ワシは幸せじゃ」
そう言って、アルリフィーアは笑った。雪解け水が流れる川を照らす春の朝日のような、穏やかな笑顔だった。
しかし涙がこぼれ続けた。




