95.今年の花火は…… 後編
「ほ、ほんとに人違いなんですってば!」
大男に腕をぐいっと引っ張られ、俺はまるで荷物のように人込みから連れ出されてしまった。祭りの喧騒から少し離れた路地裏は、夕闇が迫っていて薄暗い。周囲には人気もない。ドキドキと心臓が高鳴る中、なんとか状況を説明しようとするが――
「バカ! 顔を見られたらどうするんだ!」
黒服の大男は、俺がサングラスを外そうとするのを制止し、手で押し戻してくる。いや、それ外させてくれたら人違いってすぐ分かるでしょ……!
「な、何を言ってるんですか。これじゃ私が誰だか分からないでしょうに……!」
「当たり前だろう。だからこそ安全なんだ。エージェントM、お前、今回のミッションを忘れたのか?」
大男は「まったく……」という表情で頭を振る。こっちとしては「いやいやいや」とツッコミたい。
手荒に扱われるまま、壁際に立たされると、彼は双眼鏡のようなものを俺に押し付けてきた。
「見るんだ。……あそこに鋭い目つきの男がいるだろう。あれが『ボルボ26』だ」
「ボ、ボルボ? 何その車みたいな……ってか殺し屋?」
恐る恐る双眼鏡をのぞくと、確かに遠くに鋭い目つきの男が立っていた。ジャケットに短髪、腰にはいかにも怪しげな銃の影――って怖すぎるだろ。
「やつは有名な殺し屋だ。何十人も始末してきたと噂される大物だ。今夜はこっちの動きに気づいて、祭りに紛れ込んでいる。俺たちが始末する」
「ええぇ……そ、そんな物騒な話、巻き込まないでください……!!」
先ほどまで、祭りで綿あめ食べてくじ引きしてたのに、いきなり殺し屋とか銃撃戦とか、ギャップが激しすぎる。
さらに双眼鏡越しに見ていると、ボルボ26と呼ばれた男が急にこっちを振り返り、鋭い目線で俺たちを捕捉したみたいに見える。
「気づかれたか!」
「ちょ、こっち見てる……うわ、なんか走ってくるんですけど!?」
殺し屋とおぼしき男は、ジグザグにステップを刻みながら一気に距離を詰めてきた。大男は焦ったように懐から銃を抜き、カチャリと構える。
「来るぞ! エージェントM、やつを倒すんだ!」
「いや、だからエージェントじゃないし!」
いくら否定しても、大男はまるで信じない。とうとうボルボ26が、息を切らせながら目の前に立ちふさがる。こちらをギラッと睨む瞳が完全に殺気に満ちている。
「伏せろ!」
大男が怒鳴り、思い切り俺の頭を押し下げた瞬間――
「バァン!」
鋭い銃声が路地裏に響いた。その衝撃で頭上の壁が粉砕され、コンクリの破片がバラバラと散る。首筋に冷や汗が流れる。
(ああ……今年は花火を正面から見たいと思ってたけど……こんな花火は一生見たくなかったよ……)
怖すぎて思わず涙目になる俺。大男も地面に伏せながら、「応戦しろ!」と声を張り上げる。
「その銃を構えろ! 撃つんだ!」
「え、えええ!?」
よく見ると、俺の手にはまだ射的屋で借りてきたおもちゃの銃が握られている。いや、これコルク弾しか入ってないんですけど!?
「ちょ……よく見てくださいよコレ! これで戦えとか無理に決まってるじゃないですか!」
俺が必死に銃口を向けてみせても、当然ながらこんなオモチャで殺し屋と対峙などできるわけがない。ボルボ26はまったく躊躇なくこちらを狙ってくる気配だ。
しばらく睨み合いが続くなか、突然、ターゲット――ボルボ26は「ハッ」と何かに気づき、横へ跳んだ。
先ほどボルボ26がいた地面にパーンと何かが当たる音。銃弾が弾けたような痕跡がある。
「……誰だ?」
大男が鋭い視線を向けると、路地の脇から浴衣にサングラスをかけた女が姿を現す。その体格はムキムキで大柄、しかも手には明らかに本物の銃らしきものが握られていた。
「先輩、探しましたよ。大丈夫でしたか!?」
その女は大男を「先輩」と呼び、駆け寄ってくる。この女こそが本物のエージェントMというやつでは……?
「先輩、通信が途絶えていて、ようやく合流できました!」
大男はポカンと驚いた表情で、エージェントMを見つめている。そりゃそうだろう。浴衣にサングラスをかけた女――俺と同じコーデだ。
よく見れば背丈や肩幅はまったく違うけど、サングラスを掛けて浴衣を着ているという点だけは共通しているわけで……だから俺を間違えたのか。いい加減すぎる……!
「……その人と私では、そんなに似てないじゃないですか! なんでろくに確認もせずに連れて来るんですかぁ!」
思わず涙ぐんで抗議すると、大男は気まずそうに目をそらす。どうやら本当に申し訳なさそうにしている。
そのとき、不意に俺の手元のオモチャ銃から「ポコンッ」とコルク弾が飛び出し、間抜けな音を立てて地面を転がっていく。張り詰めた空気の中で、その音だけが妙に情けなく響いた。
「……なんかごめん」
大男はぽつりと呟き、苦い顔で頭を下げる。そしてエージェントMと呼ばれた浴衣女が「ターゲットを追いますよ、先輩!」と声をかけると、二人はそそくさと走り去ろうとする。
「くっ……ボルボ26を仕留め損ねたか。急ぐぞ、エージェントM!」
「了解です、先輩!」
彼らはすぐに路地の角を曲がり、祭りの喧騒とは別世界の暗闇へ消えていった。取り残された俺は、ようやく大きく息を吐きだす。
「はあああ……なんなのさ、もう……」
屋台のお菓子と荷物を置きっぱなしでここに連れて来られて、銃撃戦には巻き込まれそうになるし、そりゃへとへとだ。ほんとに勘弁してほしい。
しばらくぼんやりしていると、遠くから「美玲ちゃーん! 美玲ちゃん、大丈夫!?」という声が聞こえる。
「結月……!」
見れば、先ほど人混みに阻まれていた結月が荷物を抱えて息を切らしながら走ってくる。あちこち屋台でもらった品をまだたくさん持っていて、苦労が丸見えだ。
「はぁはぁ……追いかけて来たけど、なんか破裂音が聞こえたような……?」
「あ、うん。色々あって、危うく死にかけたよ……」
俺は力なく笑い、どっと疲れが押し寄せてくる。結月は驚きながらも、「とりあえず無事で良かった!」と胸を撫で下ろしてくれた。
「あんな大男に連れて行かれるから、また神輿事件みたいな変なことが起きるのかと……」
「まったく……毎年なんでこういう騒ぎに巻き込まれるかな。普通に花火見たいだけなのに……」
二人でお互いを確認し合った後、ほっと安心したところでバァンッという大きな音が夜空を震わす。見上げると、何発もの打ち上げ花火が夜空を彩り始めていた。
「あ……花火……」
まだ完全には意識が追いつかないまま、俺は暗い路地から見上げる。花火の光は建物の合間からチラチラ見える感じで、盛大に空へ花びらのように広がっていた。人混みが多い場所で正面から……というわけにはいかないが、それでも十分綺麗だ。
「ねえ、美玲ちゃん、とりあえず安全なところに移動して、花火を落ち着いて見よっか。まだ時間あるし」
「そうだね……少し遠回りして、人込みの方へ戻ろうか。もう変な連中に捕まるのはゴメンだし」
結月が頷き、俺の手をそっと取る。荷物まみれの腕だが、それでも心強い。
「あ、ちなみに、さっきの大男とかってどういう人たちだったの?」
「……エージェントとか言ってたけど、もう関わりたくないよ……」
そういえば本物のエージェントM達はどこへ消えたのか。それも気になるけど、ここで深く考えるとろくなことにならない気がする。
「うん、じゃあ今日のことはもう忘れよう。せめて最後に、花火が綺麗に見える場所に行こ!」
結月は俺のサングラスを軽く直して、笑顔で言う。俺は「そうだね」と大きく息をつき、空を再び見上げた。
遠くに上がる花火がドンドンと夜空を彩る。まばゆい閃光と共に、鮮やかな残像が一瞬遅れて目の奥に焼き付く。
(結局、正面から花火は見られたっちゃ見られたけど……あんな危険な『殺傷系花火』は絶対もうごめんだ……)
そんなことを考えながら、俺は結月と一緒に人込みの方へ戻り始める。人違いから始まった殺し屋騒動は、どうやら俺たちとは別の世界で終焉を迎えてくれるだろう。
俺は、できれば平和な美しい光だけを見ていたい……。
空に広がる花火の残響を背に、俺はそう思うのだった。




