閑話 西園寺のバレンタイン
わたくし、西園寺麗華は、普段クラスで誰にも媚びず凛としている……という評価を受けているらしい。まぁ、自然体なのだけど。
しかし、そんなわたくしにも少しだけ気になる人がいる。名前は神崎駿。学園で王子様扱いされている彼だけれど、彼の無理に取り繕わない自然体や、ふとしたときのさりげない優しさが、どこか心に引っかかるのだ。
そして今日は、バレンタインデーの前夜。いつものわたくしなら「くだらない行事ね」と冷ややかに傍観するのが常だけど、ふと「チョコレートを渡してみようか」という気持ちが湧き上がり、こうして台所に立っている。
「……手作りチョコ、子どもの遊びみたいだわ……」
独り言で照れを隠しながらも、ボウルにチョコを入れて湯煎している。
本格的な製菓知識はあまりないが、レシピサイトを片手に、ある程度までは真面目に頑張ろうと決めている。なぜなら、わたくし自身が納得したいから。
「ちょっと苦めのビターチョコ……でも甘みもある……そう、彼にはどんな味が合うのかしら……」
自分でも可笑しいくらい気恥ずかしいが、手は止まらない。湯煎で溶かしたチョコをテンパリングしようと一生懸命に混ぜる。ボウルに映る自分の頬が赤いのを見て、すぐに目をそらす。
「……こんなの、わたくしらしくないわ……」
けれど、なぜか嫌じゃない。ほんの少し浮き足立つ気分。わたくしはその感覚を楽しんでいる。
翌朝、学校へ行くと、なぜか廊下に人だかりができている。彼らはみな、神崎駿を待ち受けている様子らしい。
実際、神崎が登校してくると、女子が「神崎くん、これ……!」とか「受け取って!」などとチョコを手渡ししているのが見える。わたくしは少し離れた位置で眺めていたが、その数が多すぎて若干引いてしまう。
「あら……随分もらっているのね」
小声で呟きながら、自分の鞄の中にある小さな箱をギュッと握る。これ、わたくしの手作りチョコ。
(あれだけ女の子からチョコを山ほど受け取っているのだから、わたくしがわざわざ渡す必要もないのでは……?)
「神崎君には今さらチョコを差し出しても『ああ、そう』で終わりかしら」
そんな弱気が湧き上がる。プライドもあるし、どうしても近寄れない。
(……べ、別にチョコなんて渡さなくてもいいわよね。どうせ彼はチョコには困っていないし。それに、この後クラスでなんだか変な反応されると嫌だし……)
わたくしは結局、朝のタイミングで渡しに行く勇気を出せず、ホームルームが始まる時刻になってしまった。なんだかモヤモヤするけど、プライドが邪魔して行動できない。
ホームルーム後、教室には別のチョコ騒動が始まっていた。美玲が山ほどチョコを抱えて「みんな食べてー!」と配りまくってるのだ。
「ねえ、これどんだけ作ったの……?」「それ、何人分?」「すげぇ……」などとクラスメイトがどよめいている。わたくしはそれを端っこで眺め、ちょっと呆れる。
「……朝から何してるの、あの子は……」
自分のことで頭がいっぱいのはずなのに、美玲のド派手なバレンタイン作戦が目に入ってしまい、ため息が出る。
(わたくしなんて、一つの小箱に何度も失敗しながら作ったのに…… あれは大量生産にも程があるでしょう……)
どうやら美玲のチョコはやたら美味しいという評判になっている。もらった生徒が「うまっ!」と驚き、大騒ぎの末に他クラスや先生にまで配りに行っている様子。
(なにやってんの……ほんと、いつも騒動が大きくなりがちよね)
わたくしは冷めた目でそれを見つめながら、自分の鞄の中の小箱をさらに意識してしまう。
(大勢に配るより、一人の人に渡すほうが緊張する……)
その日一日中、わたくしは神崎に話しかけるチャンスを伺ったが、彼はあちらこちらで女子からチョコを渡されたり、部活関係の人と話したりしていて、うまく二人きりになる機会がなかった。
(……ま、別に無理に渡さなくてもいいじゃない……)
そう思いながらも、帰りのホームルームが終わると、なんだか胸がチクチク痛む。結局プライドなのか緊張なのか、彼に一言も話しかけられなかった自分を情けなく感じている。
「せっかく作ったのに、これでおしまいか……自分で食べるのも虚しいわね……」
そう独りごちて、下駄箱に向かいながら鞄から小箱を取り出して見つめる。キャンディ包みのリボンを少しだけ引っ張り、どんな出来栄えか確認してみたくなる。
(うん、見た目はそこそこ可愛い。味もそこそこ……たぶん……)
と自分を慰めていると、ふと視線の先に神崎駿の姿が見える。大きめの袋や箱をいっぱい持っているらしく、どうやらもらったチョコらしい。校舎を出たところで一息ついているのか、荷物を整理しているっぽい。
ドキリとするが、わたくしはもう暗い気持ちだったため、一応声をかける。「……あら、神崎くん……すごい荷物ね。やはりチョコを大量にもらったのかしら」
彼は苦笑しながら「まあ、なんかありがたいけど、食べきれないよね」と答える。そこにわたくしは何故か苛立ちと落胆が入り混じり、思わず吐き捨てる。
「そんなにいっぱいチョコがあるんだから、わたくしがわざわざ作ったものも迷惑でしょう? 今さら渡す必要なんてないわ。だから自分で食べてやるの!」
そう言い放ち、チョコの箱を開けて取り出して少しかじる。ここでプライドがまた発動して、わざわざ見せつけるようにかじった。が、その瞬間、神崎がスッと手を伸ばしてきて、そのチョコを横からひょいと奪ってしまった。
「え!? ちょ、な……」
一瞬の出来事。わたくしは唖然としながら顔を上げると、彼がそのチョコを口へ放り込み、「ん、うん……」と噛み締めているではないか。
「ちょ……何するの? 」
反射的に言葉が出たが、神崎は満足そうに笑いながら言う。
「いや、僕は嬉しいよ。君のチョコなら大歓迎だから」
(こ、こんな……何このシチュエーション……口に入れたチョコを横取りされて、間接キスってこと……!?)
わたくしは一気に顔が熱くなるのを感じ、思わず視線をそらす。
「君のチョコが一番うれしいよ」
さらに彼が何気なく、まっすぐ言ってくるから、もう頭が真っ白。
(な、何それ……そんな言葉、気軽に言うなんて……馬鹿じゃないの?)
胸がドキドキして、鼓動が止まらない。照れを隠すようにわざとらしく顔を背け、「な、何を言ってるのかしら、もう……」とつぶやくしかない。
神崎は笑みを浮かべ、「ありがとうね」と言い残して、そのまま荷物を抱えて歩き出す。周囲に人はいないけれど、もし誰かが見てたら勘違いしそうなほどの空気。わたくしは動揺が止まらず、その場に立ち尽くす。
(な、なんなのよ……まったく……)
手に残っているチョコの箱を見つめ、さっきの半ば強引なやりとりを思い出すと、どうしようもなく顔が熱くなる。プライドや意地とか関係なく、胸が締め付けられるこの感覚が悔しいほど恋らしい。
(でも……少し嬉しいかも……)
口には出せないけれど、わたくしの今年のバレンタインはこうして、甘い熱を残して幕を下ろした。
(……次はもう少し素直に渡してもいいかしら……)
ふとそんな思いが湧いてくるのを感じ、ふわっと笑みをこぼしてしまったのだった。




