7.究極の遅刻法
朝のアラームが鳴り響くと同時に、俺――藤堂美玲はガバッと布団から飛び起きた。
今日はいつになく気合いが入っている。なにしろ、最近は学食事件や清掃当番での大騒動など、学校で目立つトラブルが続いてばかりだった。せめて「遅刻だけは絶対にしないでおこう」と心に誓ったのだ。
朝食をささっと済ませて家を出る。時計を確認すると、いつもより15分早い。これだけ余裕があれば、道端で誰かに呼び止められても間に合うはず――と、今の時点では余裕たっぷりの気持ちだった。
家から出て数分。いつもの通学路を歩いていると、向こうから小柄なおばあちゃんがちょこちょこと足早に近寄ってきた。
ニコニコ笑顔で呼び止められ、「すみませぇん、●●病院にはどう行けばいいのかねぇ?」と尋ねられる。見ると、地図の印刷を持っているが逆さまに読んでいる様子。
「え、あ……そうですね。ちょうどこの道をまっすぐ行って……」
なりゆきで道案内を始める俺。もちろん親切に教えてあげるのは悪いことじゃない。前世でも、お年寄りから道を聞かれたら快く応じていたし、藤堂美玲の身体であっても、その気持ちは変わらない。
(よし、これくらいならすぐ終わる。まだ時間に余裕あるし、大丈夫……)
しかし、おばあちゃんは何度説明しても首を傾げて「えぇ? ここをまっすぐ?」と不安そう。結局「もう少しだけ一緒に歩いて行ってくれない?」と頼まれ、数十メートルほど同行することになった。
思った以上に時間を食ったが、なんとか短い距離で誘導を終え、再び元の通学路へ戻る。
「ふぅ……大丈夫大丈夫、まだ遅刻までは余裕ある。絶対今日は普通に登校してみせる!」
そう自分を奮い立たせて、少しだけ足早に進んだ。
しばらく歩くと、商店街の入り口をウロウロしている別のおばあちゃん。「お嬢ちゃん、〇〇郵便局はどこかね?」と聞かれる。先ほどと同じく、地図を逆さまに眺めて混乱しているようだ。
その時点で「え、また?」と嫌な予感がしたが、これも困っている人を放っておくわけにはいかない。正直、2回目でもまだ「まぁこれくらいはあるだろう」と受け入れられた。
問題は、その後も似たような展開が繰り返されたことだった。まさか同じ朝の通学路で、おばあちゃんたちが次々と迷子になっているとは……。
3人目:「駅前の銀行に行きたいんだけど……」
4人目:「この住所はどこかね? 孫の家に行きたいんだけど」
5人目:「病院の検査があるんだけど、時間がわからなくて……」
気がつけば、立て続けにおばあちゃんたちから道や場所を聞かれ、遠回りしたり説明に時間を使ったり。しかも皆、地図が苦手なのか、印刷した紙を逆に持っていたり文字が小さすぎて読めなかったりで、ひとつひとつが予想以上に長引く。
(う、嘘でしょ……? こんなに迷ってるおばあちゃんが同じ時間帯に集中するなんて!)
普段なら日中の商店街や駅前で見かける光景かもしれないが、なぜか今日は通学路上で次々に声をかけられる。だんだんやばい時間になってきた。
急いで歩き出すが、どういうわけかさらにおばあちゃんと遭遇してしまう。しかも今度は並んで座っていたり、友達同士らしい二人組だったりとパターンも色々だ。おばあちゃんたちも悪気はなく、「すまないねぇ」と申し訳なさそうにお礼を言ってくれるので、どうにも断りづらい。優しい世界はありがたいが、こちらは遅刻の危機に瀕している。
(もう10分前行動どころじゃない! 下手したらタイムリミットすぐそこだよ……!)
時計を見るたびに焦りの色が濃くなる。でも、目の前のおばあちゃんが本当に困っていそうなら、放置するのも気が咎める。
「もしかして前世で善行を積んだら、こうやって“善行試験”をされるんだろうか……?」とわけのわからない思考に陥りながら、それでも懸命に道案内をしていく。
ようやく駅の近くまで来たところで、またしても遠くから手を振る姿が。
「すみませーん、ちょっといいかい?」
――振り向けば、そこには優しそうなおばあちゃんが一人。9人目まで相手した後だ。ついにこれで10人目に到達してしまった。
「ええと……もしかして、道をお探しですか?」
自分の声が半ば震えている。それでも、おばあちゃんは「そうなんだよ、〇〇スーパーが見つからなくてねぇ」とまたも紙を広げる。俺は「これで最後……本当に最後だから!」と強く念じながら、簡単に行き方を伝えようとする。しかし、このおばあちゃんもまた「えぇ? どこだっけ?」と戸惑いモード全開で、気づけば腕時計の針は完全に遅刻確定の位置へ。
(うわーん! もう間に合わない……!)
こんなに親切心を使ったのに、遅刻という事実に直面する悲しさ。けれど、困ってるおばあちゃんを見捨てるわけにもいかず、最終的には近くの交差点まで付き添って案内した。見送りを終えた時点で、もうホームルーム開始の時刻を過ぎている。絶望しつつも、教室へ走るしかない。
校門を飛び込むと、門番よろしく立っていた生活指導の先生に「おい藤堂、遅刻だぞ」とキツく言われる。なんとか息を切らしながら教室にたどり着くと、そこにはホームルームの途中で黒板の前に立つ小早川先生の姿。クラスメイトたちが一斉にこちらを注目する中、俺は「す、すみません……遅れました……」と額に汗しながら謝る。先生は呆れ気味ながらも、ため息をついてから
「ああ、藤堂さん、珍しいね。どうしたの?」
と聞いてくる。当然、何かしら理由を述べなきゃいけない。だが正直、「道に迷ったおばあちゃんが10人もいて……」という言い訳は信じがたいだろう。
「じ、実は……その、登校中に困ってるおばあちゃんが、10人くらい続けて道を聞いてきまして……」
クラス中が一気にどよめく。そりゃそうだ。普通、1日1人くらいならまだしも、10人は常識の範囲を超えている。「うそでしょ……? どんなファンタジー?」と言う人がいるが、本当なのだから仕方ない。小早川先生も苦笑いを浮かべている。
「ええと、それはまた……藤堂さんらしいというか……。でも、道案内をしてたんじゃあ仕方ないのかな? ……って、いやいや、それで許されるわけじゃないんだけど……」
なんとも言えない微妙な表情で、先生は黒板のチョークを机に置き、半分投げやりのように首を振る。そして、結局は「次からはもう少し余裕をもって登校してね」という、曖昧な指導で終わることになった。
クラスメイトからは「さすが美玲ちゃん」「いや、さすがじゃないでしょ」とか、「ほんと不思議体質だよな」なんて声が飛び交う。佐々木翔は頭を抱えつつ、「もう笑うしかねえじゃん……」と呆れ顔だ。
朝のホームルーム終了後、周囲に取り囲まれる形でツッコミの嵐を浴びる。でも、中には「おばあちゃんたち喜んだだろうね~」「優しいところは美玲ちゃんの長所だよ」と好意的に言ってくれるクラスメイトも少なくない。
「はぁ……でも、遅刻は遅刻だから、本当はまずいよね……」
悪気はないにせよ、学校側からすれば問題行動に違いない。反省の色を示しながら机に突っ伏していると、隣の席の日野結月が優しく肩を叩いてくれる。
「美玲ちゃん、優しさがあだになっちゃったけど、しょうがないよねぇ。10人も来るなんて、私だってビックリしちゃう」
「うん……自分でもびっくりだよ。普通なら1人に道案内するだけでレアだよね……」
そう呟くと、後ろから翔が声をかけてきた。
「まあ、そこが面白いところじゃん? 明日はもっと時間に余裕持ってきた方がいいんじゃないか?下手すりゃ、明日は11人目が現れるかもしれねーし」
「やめて、そのフラグ……」
ふざけ半分のやり取りにも、俺は苦笑いせざるを得ない。まさかこれを超える展開が起こるとは思いたくないが、何しろこの世界に来てからの俺は普通を望むほどに異常事態が増している気がする。こうして『10人の迷えるおばあちゃんを案内したせいで遅刻』という、仰天エピソードが加わった朝の一幕だった。