36.蛍鑑賞
「……もう最終日かぁ……」
俺はカレンダーを見つめながら、日付をしみじみと噛み締めていた。夏休みが始まったときは長いと思っていたけれど、気がつけばあっという間。あれこれ波乱もあったしな。
「美玲ちゃん、いる?」
結月の声が玄関から聞こえてきた。どうやら家まで来てくれたようだ。
「あ、はいはい、今開ける!」
ドアを開けると、結月がスニーカー姿で立っていて、妙にワクワクした顔をしている。
「ねえ、美玲ちゃん、夏休み最終日だし……」
と前置きしながら、結月は満面の笑顔で言った。
「蛍、見に行こうよ! 私、前に地元の人から聞いたんだけど、ホタルがたくさんいる河川敷があるんだって!」
「ホタル……?」
俺は一瞬戸惑う。暑い夏も終わる頃、ホタルなんてもう時期的にはギリギリなのでは?
と思い、聞いてみると、どうやらその河川敷は晩夏まで鑑賞可能な場所らしい。
「でも、確かにまだ見られるところもあるなら……行ってみるのもいいかもね。最終日だしさ」
(……平和なイベントなら嬉しい。俺も賛成だ)
「じゃあ、翔や麗華さん、それに神崎とかにも声かけてみようか?」
結月が笑顔で頷く。
「うん、みんなで行こう! ホタルを見て、夏の終わりを感じよう!」
そうと決まれば行動は早い。電話やメッセージで声をかけると、翔は「まあ暇だし、いいんじゃね」と即答。西園寺は渋りながらも「せっかくなら……」とOK、神崎も「いいね、行こう」と快く応じた。
―――――
夕方、川辺の駅で集合。5人が並ぶと、さすがに賑やかだ。
「さっそく行きましょ。まだちょっと明るいから、日が暮れるころには蛍が見えるかも!」
結月がやる気に満ちた笑顔で先を歩く。
川沿いの遊歩道を進み、小さな橋を渡ると、そこには少し草が生い茂った河川敷が広がっていた。湿地っぽい場所もあって、蛍がすみやすい環境らしい。
やがて、空が薄闇に包まれ始めると――
「あ、見て……あそこ……」
神崎が指差す方向に、ひとつ、ふたつと緑色の光が点滅している。蛍の光だ。
「わあ……本物、久しぶりに見た……」
俺は内心、夏らしい風物詩に心を奪われる。子供のころに見たきりで、こんなにちゃんとホタルを観るのは久々だ。
しばらくすると、さらに数十匹の蛍があちこちで点滅を繰り返し、暗がりに瞬く幻想的な世界が現れ始めた。結月は手を叩いて喜んでいるし、翔や神崎も静かに見入っている。
西園寺もどこか穏やかな表情を浮かべて、じっとその光景に見惚れていた。
「こんなに綺麗だとは……正直、侮ってたわ」
西園寺がぽつりと漏らす。あまり動物や虫が好きそうには見えない彼女だけど、この光景には魅了されているようだ。
「そうだね、なんかもう、夏の終わりって感じ……」
結月が少し切なそうに呟く。確かに、蛍の淡い光は一瞬で消えてしまいそうで、儚い。
翔もぼそりと、
「いいね……何か、儚いっていうか、風情があるよな」
と遠くを見ている。
俺も内心しみじみと思う。
(この夏は色んなことがあったけど……こうして静かな夜、蛍の光を見て過ごすのって最高に素敵かも。何も起きない普通のイベントだし……)
「ねぇ、美玲ちゃん、神崎くんも……ありがとう、誘ってよかった~」
結月が微笑むと、神崎が照れたように小さく笑う。西園寺は「ま……悪くないわね」とツンとしながらも楽しそうだ。
(夏休みの最後に、こんな綺麗なものを見られて幸せかも……)
俺はほんのりあたたかい気持ちで、闇に揺れる蛍の輝きを見つめ続けた。
――――
「私、ちょっと向こう見てくるね」
そう言い残して、結月や翔、西園寺、そして神崎のもとから少し離れた場所へ一人で歩いていく。みんなで見たスポットも十分幻想的だけど、もう少し近くで見たい気もして散策してみたくなった。
暗い川辺の草むらに近づいたとき、ぽっと淡い光が視界に入った。蛍だ。うっすら光が漂っていて、一匹だけならとても綺麗――と、思った直後。
「あ……え……?」
ふと気づくと、二匹、三匹……十匹…… それどころじゃない――次々と蛍が寄ってきて、いつの間にか俺の周囲を飛び回り始めている。
その数がみるみる増えて、最終的には百匹に届きそうなほどの蛍が一斉に光を放ちながら俺の身体にまとわりつくように飛んでいる。
(な、なにこれ……? 嬉し……いや……さすがにこんな数は怖い……!)
瞬きをするたびに蛍の光が視界をぐるぐる回って、まるで俺が発光しているように見える。大自然の神秘ってレベルを超えて、異様な光景だ。
「ちょ、ちょっと待って……や、やばいって!」
声を出したところで、蛍たちは離れるどころかさらに近づいてくる。まるで妖精のように俺を取り囲んでるみたいだ。でも冷静に考えれば、こんなに一度に虫が寄ってきたら怖い。
(俺、何でいつもこうなるんだ……イルカとかイノシシとか、今度は蛍まで……!)
パニックになった俺は、思わず振り払うように腕を振りながらダッシュで来た道を戻る。
「タ、タ・ス・ケ・テェェ……!」
焦りと恐怖で声が裏返ってしまう。
やがて仲間たちがいる場所に戻ると、俺の姿を認めて結月がぱっと振り返った――
「……ひ、ひぃっ!!」
彼女は瞬時に悲鳴を上げる。なにせ、全身がうっすらと光の粒で包まれ、怪異のようだったからだ。
「お、お化け!? きゃあああ!!」
結月が後ずさりしながら叫ぶと、翔は「うわっ、な、なんだ……」と構え、神崎も固まったまま言葉を失っている。
「……あわわ……」
一方、西園寺はさらにショックが大きかったのか、目を見開いたまま泡を吹いて気絶してしまった。
「ま、まって……私だよ! 美玲!!」
でも皆はすぐには信じられない様子で、光るシルエットの俺を見ていた。
数秒後、蛍がぷわーっと飛び散って、俺の姿がはっきり見える瞬間が来た。結月と翔はようやく「あ、あれ? 美玲ちゃん……?」と呟く。
「そ、そう! 私だよ……蛍が全部くっついてきて……はぁ……怖かった……」
俺がゼェゼェ言いながら説明すると、仲間たちは全員愕然。
「これ……蛍に襲われたってこと?!」
翔が困惑しながら聞いてくる。結月は「またか……」というように目をぱちくりさせ、神崎は首をかしげて「ほんと……不思議だよな」と呟く。
「というか、美玲には生き物が群がってくる理由でもあるのか? どれだけ面白いフェロモン出してんだよ……」
翔は深刻というより苦笑気味に言い、結月も「う、うん、なんか引き寄せ力がすごいんだよね……」と半分呆れ。
「とにかく……私、もう蛍もいいから……」
俺は疲労と恐怖で足が震える。後ろを見ると、西園寺が気絶したままで、神崎があわあわしながら介抱しようとしている。こりゃまた大変だ。
(結局、最後まで普通になんてならないんだな……)
心の中でそう嘆きつつ、俺は呆れ半分で蛍の光が散っていく夜空を見上げた。夏の終わり――どうしていつもこんなトラブルで締めくくられるんだろう。心底がっくりしながらも、少し笑えてきてしまう自分がいた。




