35.鬼軍曹再び
「……やばい、あとわずかじゃん、夏休み……」
俺はポカンとカレンダーを見つめながら、ひたひたと迫る現実に気づいてしまった。宿題。
まったく手つかず。何もしていない。
(そうだ……旅行やらライブステージやら、色々ありすぎて完全に忘れてた……)
思い出すだけで血の気が引く。普通はこんなことにならないはずなんだけど、この体になってから、うっかり忘れも多い気がする。
とにかく、これは大ピンチだ。
「私、やばいの。宿題どこまで終わってる? 教えて、ね、お願い!」
結月と翔に泣きつく形で連絡を入れ、三人で急遽ファミレスに集合。だが――
「え? オレ? 全然手つけてないよ」
翔があっさり宣言し、さらに結月までもが「私も、ほぼゼロ……」と衝撃の告白。
(何それ、仲間がいたのは嬉しいけど、全然状況が変わらない……)
俺は頭を抱える。結局三人とも同じレベルで詰んでいるという最悪の事態。
「……前みたいに西園寺さんに助けてもらうのはどうかな? あの合宿みたいに……」
俺がそう切り出すと、結月は震えだし、「ひぃぃ、またあの鬼軍曹モードになるよ……」と涙目。
翔は酷くイヤそうな顔をして「オレはもう吐きそう……うっ……」と顔面蒼白。
(そこまで恐れてるのか……まぁ、あのテスト対策合宿、スパルタだったしな……)
内心俺も辛かったのは同じだが、時間がない今、背に腹は代えられない。
「私だって怖いけど……このままじゃみんな宿題終わらなし、なんとか踏ん張るしか……」
結月は目に涙を浮かべながら首を振り、翔はバツが悪そうに唇を噛む。俺は二人を説得するように続けた。
「大丈夫、今回は宿題だけだし……きっと、テスト勉強ほどはスパルタじゃない、はず。……たぶん、うん……きっと」
恐る恐る連絡を入れたら、すぐに西園寺から「いいわよ。別に私が手を貸してあげても」と返事が来た。
夕方、三人で西園寺の家を訪ね、頭を下げる。結月と翔は腰が引けている。
「……ふん、皆して泣きつくのね。まぁ想像はついてたわ」
西園寺は呆れながらも、どこか勝ち誇った表情。その視線に三人ともビクビク。
「今回、宿題どれくらい残ってるの?」
「ほぼ全部……」
と三人同時に答えると、西園寺は深いため息をつく。
「これはまたみっちり合宿が必要ね。……あのテスト対策の時と同じように、しっかりやり遂げるしかないでしょ?」
その言葉に結月は「ひっ……」と縮こまり、翔は「もう勘弁してくれ……」と額に手を当てる。
俺は内心(仕方ない……時間がないんだから!)と奮い立たせる。
――――
「……とにかく、夏休みの宿題、全部片づけるわよ」
鬼軍曹モードに戻った西園寺麗華が宣言した瞬間、俺と結月、そして翔の三人は思わずぎくりと硬直した。
前回のテスト対策合宿を思い出すだけで、冷や汗が止まらない。
「さ、数学が終わったらそのまま英語に移って。休憩は後回し、わかった?」
西園寺の鋭い目線に三人は一斉に「はい……」と力ない返事。
「だ、大丈夫、私、がんばる……」結月は涙目になっている。
「うぅ……寝たい……」翔は床に突っ伏しそう。
そして俺も、内心で(またこのスパルタか……でもやるしかない……)と思いつつペンを握った。
合宿が始まって数時間、沈黙のリビングで宿題のペン音だけが聞こえる。そんなとき――
ゴンッ、バンッ
窓ガラスに何かぶつかる音が続いて、全員がギョッとした。見ると、カラスが外から羽ばたいて激突しているようだ。
「ひっ……カラスってこんなに……?」結月がビクビク。
翔は「こりゃ絶対美玲がいるからだな……」と苦笑するが、それを横で聞いた西園寺が「はいはい、黙ってて」と立ち上がる。
「ごめんなさいね、ここは私の家なんだから邪魔しないで?」
彼女が軽くカーテンを開けて睨みを利かせると、カラスたちはビビったように飛び去っていった。その姿が妙に堂に入っている。
(さすが鬼軍曹、西園寺麗華……カラス程度なら余裕で追い払うのか……)
俺は心の中で感嘆したあと、再び宿題に向かう。どんな邪魔が入ろうとも、西園寺は微動だにしないのが頼もしい。
さらに、少し経ってから翔が「なあ、さっきから黒猫が庭をグルグル回ってないか?」とボソリ。
窓の向こうを見ると、確かに真っ黒い野良猫が複数匹で歩き回っているのが見える。時々こちらをじっと見つめている。
「ね、西園寺さん、あの黒猫……」結月が声をかけると、西園寺は淡々と「放っておけばいいわ」と返事。
「今日は一段と『トラブルの種』たちが気合い入ってるみたいね。まあ関係ないわ、宿題を終わらせるほうが先よ」
そう言い放ち、プイッと視線をノートへ戻す。まったく動じないのが鬼軍曹だった。
(猫とかカラスとか、実際どういう意図で集まってきてるんだろう……でも、今は宿題!)
そして長い時間、ひたすらペンを走らせる三人。西園寺が横で管理表を作って「ここが抜けてるわ」「計算違ってる」と容赦なく追い込みをかける。
何度か「休憩したい……」と泣き言を言っても、「ダメ」と一蹴される。
「うぅ……眠い……」
結月は泣きそうな目で英文を書き写している。
「オレ、もう限界……」
翔は悪寒がするのか、青ざめて汗が凄い。
(でも、あともう少し! 俺もがんばれ……)
やがて深夜に近い時間、ようやく最後の一教科が終わる。
「ふ、ふぅ……お、終わった……!」
その瞬間、結月はホロリと涙をこぼし、「ひぐっ……わああああ!」と号泣。
翔は「オレ、もう我慢できない……」と口を押さえ、トイレへ猛ダッシュ――嘔吐してしまう。
「お、お疲れ……」
俺も息も絶え絶えでノートを閉じる。まるでマラソン完走したような疲労感が全身を支配する。
西園寺は腕を組んで「やれやれ……まったくあなたたち、ギリギリまで放置するなんて」とあきれ気味。
「ごめんなさい、助かったよ、ありがとう……」
俺は頭を下げるしかない。
(次こそは、こんなギリギリにならないよう、日頃からちゃんとやっておかないと……俺は前世での性格上、やればできるはずなんだけど……)
そう思いつつも、なぜかこの体になってから宿題を貯めちゃう運命のような気もする。不思議な事件も多いし、普通に落ち着いて勉強できる時間が少ないというか……。
「とにかく、もうこんな地獄は嫌だ。次は早めに……頑張ろう……」
そう心の中で誓いながら、俺はぐったりとソファに身を投げ出した。




