3.昨日の出来事と友人
「昨日の学食の件」って、何をやらかした!?
先生の机に案内されると、小早川先生が開口一番、苦笑い混じりに切り出す。
「昨日の昼休み、学食に向かった途端、長蛇の列が崩れちゃったよね? それで、さらに注文待ちだった他の生徒と軽いトラブルがあったって報告があがってて……」
どうやら『藤堂美玲』としては、並び方をちょっと間違えた(らしい)結果、他の生徒から「割り込みだ!」と騒がれてしまったらしい。そこに「美玲の味方」をするクラスメイトや野次馬がどっと集まって、一時的に学食が大混乱に。そんな顛末だったようだ。
「いや、別に故意じゃないのは分かってる。藤堂の場合、悪意があるわけじゃないんだけど、なぜか人を巻き込む力があるというか……」
そう言って、小早川先生は苦笑を深くする。申し訳なさすぎて、俺も平謝りだ。
「す、すみません……。以後、気をつけます。なるべく列から外れないようにしたり、静かに並んだりとか……」
「ええ、まぁそれなら大丈夫だと思う。あんまり大騒ぎにならないように気を配ってくれると助かるよ」
先生がやや疲れた笑みを見せたところで、俺はきっちり頭を下げて職員室をあとにした。
(はぁ……どうやら美玲は普通じゃない女の子らしい……)
前世ではちゃんと電車でも並ぶタイプだった。それなのになぜか、今は学食に並ぶだけで周囲が大騒ぎになるらしい。ミステリーすぎる。
ため息まじりに廊下を歩いていたその時――
「おい、藤堂! 大丈夫か?」
不意に背後から声がかかり、振り向くと、そこに立っていたのは男子生徒。長めの前髪をざっくりと上げた、ややクールな印象だけど、どこか親しみやすい雰囲気を持つ男だ。制服の着こなしもラフで、ちょっと不良っぽいところもある。しかし目は優しそうだし、きっと同級生だろう。が、俺はまだ彼の顔を知らない。
「……えっと……」
誰だっけ? と内心で悩むのを察したのか、彼は少し呆れたように笑う。
「おいおい、もしかしてオレのこと忘れたとか言わないよな? 佐々木翔、同じ2年B組だぞ。それに、昨日だって色々ツッコんだろ?」
「え、あ、あぁ……そう、だよね。ごめん、ちょっとぼんやりしてて」
どうやら彼は佐々木 翔という名前らしい。クラスメイトとしては古株(当たり前か)なのに、俺にとっては初対面みたいな感覚なのが申し訳ない。翔はそんな俺の様子に少し首を傾げながらも、苦笑いを浮かべる。
「昨日の昼休みさ、美玲が学食で騒ぎ起こしたろ? あのとき、オレが途中で止めようとしたんだけど、余計盛り上がっちゃったんだよな」
「あ……そうだったんだ。ごめん、迷惑かけて……」
「いや、オレは別にいいけどさ。先生に怒られなかったか? 大丈夫か?」
自分のことよりもこちらを気遣うような口ぶり。外見だけ見るとクールで近寄りがたい雰囲気だけれど、実は面倒見がいいタイプなのかもしれない。
「先生にはちょっと注意された。でも、落ち着いて行動してねってさ……」
「だろうな。お前、悪いことしてるわけじゃないしな。何かと周囲を巻き込んじゃうだけで……」
「ほんと、そうらしいね……どうしてだろう」
心底疑問だ。並んでただけで争奪戦の渦中に立たされるってどういう状況だ?前世の地味サラリーマンっぷりからは想像もできない状況だが、これが『絶世の美少女』の宿命なのか。
そんな俺の嘆きを聞きながら、翔は思い出したように指を鳴らす。
「藤堂……お前、すごいよな」
「え……?」
「お前って不思議なほどに周囲の人間に構われるから、余計に大騒ぎになるんだよ。ま、そこが面白いけどな」
そう言って笑う姿は、なんとなく楽しそうだ。その『面白い』という評価に、俺は少しだけ救われる気がした。翔のようにあっけらかんと受け止めてくれる人がいると、少し安心できる。
「ごめんね、今後なるべく気をつける。あんまり余計なこと言わないようにしないと……」
「いや、そこはそのままでいいんじゃね? むしろ、オレがツッコミ担当になるからさ。お前の天然体質のおかげで、楽しい学生生活を送れてるんだぞ」
翔はまるで漫才コンビのようなノリで言う。こっちはそれどころじゃないんだけどなぁ……と思いつつ、きっとこれがクラスメイト同士の何気ない軽口ってやつなのかもしれない。
突然、美少女の身体で、そりゃあ戸惑いまくる。だけど、こうして笑い合いながら普通にコミュニケーションを取れる相手がいるって、思ったより救いになるものだ。
「じゃ、昼休みの学食も気をつけろよ。って言ってもまた何か起こすんだろうけど……。何かあったらオレ呼べ。すぐ行くから」
「……ありがとう、助かるよ。今度こそ大人しく並ぶから、また騒ぎにならないといいけど……」
翔は気さくに手を振り、そのまま「教室戻るわ」と歩き出す。去り際に「またなー」とあっさりした笑顔を見せてくれた。その背中を見送りながら、俺も自然と笑みがこぼれていた。
(なんだろう、この感じ。前世では、同僚とこんなふうに軽い冗談なんて言い合わなかったな……)
まったく違う人生を始めた戸惑いはまだまだ消えそうにない。だが、翔は俺の珍妙だったらしい言動を「面白い」と言ってくれるし、日野結月だって気にかけてくれる。
俺は、ほんの少しだけ口元をほころばせて、翔の後を追って教室へと足を向けた。