18.鬼軍曹の勉強合宿
ついに迎えた、中間試験直前の短期合宿当日。場所は、日野結月の実家にある、比較的広いリビングだ。家族の好意もあって、一泊二日でみっちり勉強ができる環境が整っている。
そこに集まったのは、もちろん俺と佐々木翔、そしてホスト役の日野結月。だが、さらにもう一人――最近意外な闘志を燃やし始めた西園寺麗華が、何やら大荷物を抱えて登場した。
「さぁ! 早速始めるわよ。昼から夕方までのスケジュールは、数学と理科の復習に重点を置いてもらうわ。夜は暗記科目の英語と社会を片付ける予定で……」
西園寺が広げたノートには、緻密なタイムテーブルがびっしり。まるで有名進学塾の特別講習さながらの計画書が完成していた。その眼差しは鋭く、いつものお嬢様然とした雰囲気とは違って、まるで軍隊の鬼教官のような迫力すら漂わせている。
「で、でも……少し休憩も挟みたいんだけど……」
結月が恐る恐る言うと、西園寺はにっこり笑う——が、その目は笑っていない。
「勉強会というからには、全力でやるのが当然でしょ? 集中力を保つための短い休憩は設けるけど、無駄にダラダラはさせないわ。特に藤堂さん、あなたが一番危機的状況なんだから、しっかりついてきなさいよ?」
ズバッと指摘され、俺は思わずたじろぐ。
西園寺が準備したテキストとプリント類は、どれも学校の教科書をさらにかみ砕いてまとめたもので、正直分かりやすい。しかし、その指導スタイルは猛スピードかつ厳しい。
「さぁ、連立方程式は頭で考える前にまず書いて! 数字を追うんじゃない、理屈を追うのよ!」
「単語カードは何枚終わった? 終わってないなら夕飯抜きでもいいわね?」
「休憩時間にスマホを見てる暇があったらもう1問解きなさい。ほら、翔! あなたも甘えてるとスコア落ちるわよ!」
結月は「は、はい……」と青ざめ、翔は「うぐっ……」と唇を噛みしめ、俺はもう頭から湯気が出そうになっている。おまけに少しでも集中を切らすと、「ほら、だらけない!」と鬼軍曹のような叱咤が飛ぶ。まさにスパルタ教育だ。
「うう……こんなの、体育祭よりキツいよ……」
「な、なんで全員ここまでビシビシ追い込まれなきゃならないんだ……」
泣きそうになりながらも、俺たちはひたすら書いて覚えて計算して――気づけば時計の針は3時間、4時間と過ぎている。
このメンバーが集まるといえば、いつもは何かしらのハプニングが起きるのがお約束だ。
案の定、勉強の合間に小さなネズミがリビングの隅からひょこっと姿を見せるが――
「キャッ! ね、ネズミ……!」
結月がびっくりして声を上げると、西園寺は目にも止まらぬ速さでゴミ箱のフタを取ってひょいと被せ、ネズミを一瞬で捕獲して家の外へ排除してしまった。
「大丈夫、駆除するつもりはないけど、放り出せば勉強の邪魔にはならないわね」
「は、早っ……!」
驚く俺たちの前で、西園寺は平然とした面持ちだ。
さらに、その少し後には結月の家の飼い猫らしき猫がドアの隙間からリビングへ侵入しようとするが、西園寺は見事な反射神経で扉を閉め、外へシャットアウトする。
「にゃー……」
「あなたも今はダメよ、申し訳ないけど」
猫は少し悲しそうに鳴くが、トラブルになりそうな気配をかぎつけた西園寺が、即時対応で大事には至らない。いつもなら猫が部屋を荒らして教科書ぐちゃぐちゃ……なんて可能性すらあっただろうに、西園寺が完全に封じ込めている。
(こ、これが本気の西園寺麗華……!?)
俺は内心、感嘆せざるを得ない。彼女がいれば、いつもの騒動も一瞬でブロックされてしまうらしい。
日が暮れ、夕食後も夜の勉強会が続行。つかの間の休憩時間中、翔が「ちょっと飲み物取ってくる」と席を外したとき、トラブルの芽がまた顔を出す。いつの間にか、机の上に置いてあったコップが倒れかけて、俺のノートをぐっしょり濡らしそうになった――が、またしても西園寺が素早くコップを掴み取り、未然に防ぐ。
「危なっ……やれやれ、相変わらず注意散漫ね。もしノートが濡れてたら、今までの作業がパーになるところだったわよ?」
「ありがと……ほんとに助かった……」
いつもなら、こういうアクシデントでノート破損みたいな流れになるところが、西園寺の完璧な対応のおかげで被害ゼロ。
(普段のドタバタが嘘みたい……。西園寺が本気になれば、トラブルもあまり起こらないのかも?)
そう思いながらも、同時にあの軍隊式のスパルタ教育に消耗している自分がいる。
時計を見れば夜の9時を回った。まだまだ続く西園寺の猛指導に、俺たち3人はクタクタだ。
英語の長文問題に苦手な翔が「もう目がチカチカする……」と呟き、結月もノートの文字がゴチャゴチャに見え始めたのか、ペンを持つ手が小刻みに震えている。
そして俺は――言うまでもなく限界寸前。頭に詰め込んだ公式と単語がごちゃ混ぜになり、目の前が白黒反転しそうだ。
「……も、もう勘弁して……」
思わず漏れた弱音に、西園寺はどこか呆れたように笑う。
「あら、こんなのまだまだ序の口よ。明日も残りの範囲を総確認するんだから、しっかり体力を温存しなさい。まだ寝ちゃダメ」
「だ、ダメ……?」
まるで部活の鬼コーチのような厳しさに、結月は涙目で「あと何分勉強するの……?」と聞くが、返ってきたのは「この範囲を全部終わらせるまでよ」ですまされてしまう。
(すげぇ……どれだけ気合が入ってるんだ、この人は……)
翔が唖然とし、俺も同感だ。もはやこの合宿、勉強合宿というより軍隊式猛特訓になりつつある。
夜10時を過ぎたあたりで、ようやくノルマが完了。西園寺はチェックリストを見ながら頷く。
「うん、まあまあ達成したわね。あとは明日の午前中に復習すれば定着も進むはず。あなたたちも頑張ったじゃない」
いつもの高飛車な口調だが、彼女なりの褒め言葉らしい。結月は「はぁ……もうダメ、倒れる……」とクタクタに横になり、翔は「うぅ……でも意外と頭に入った気がする……」となんとかモチベを保っている。
俺も机に突っ伏して、「普通の勉強って、こんなにきつかったっけ……」と心の中で叫んでいた。
教科書やプリントを片付けながら、ふと今日一日を振り返る。いつものように猫やネズミが騒動を引き起こしそうになったが、西園寺が全て最速で対応してくれたおかげで、トラブルはほぼ皆無だった。
「もしかして、西園寺が本気で周囲を管理すれば、私に起こるトラブルもだいぶ抑えられるんじゃ?」という淡い期待すら湧いてくる。しかし、それと同時に、あの軍隊式の熱血指導を毎回受けるのだとしたら、もう勘弁というのが正直なところだ。半日でこれほど疲弊させられるのだから。
「……い、いつも通りのドタバタも嫌だけど、これもこれで厳しすぎる……」
小声でつぶやくが、その言葉は沈黙のリビングに虚しく溶けていく。
――こうして迷惑系美少女たちの中間試験対策合宿は、予想以上にスパルタ色を帯びながら進行していくのであった。
鬼軍曹顔負けの短期合宿を終え、あっという間に本番の中間試験が終了した。
長かったようで短かった数日間の猛勉強を経て、息つく間もなく迎えた採点結果の返却日――教室中がざわめきに包まれた。
「じゃあ、まずは英語の答案を配るね。呼ばれた人は前に取りに来て」
短期合宿の間、西園寺麗華の鬼のような指導に耐えながら英単語を詰め込んだが、果たして結果はどう出るのか――。
「……藤堂、63点」
「え、63……?」
思わず受け取った答案を見つめ、唖然とする。決して高得点ではないが、自分としてはかなりの進歩だ。以前は赤点スレスレだった英語が60点台に乗るなんて、合宿前には想像もしていなかった。思わず胸を撫で下ろす。
「ま、まだ国語と数学があるけど……でも英語は助かった……!」
心臓バクバク状態で、ほかの教科の返却も待ち構える。結局どの教科も60~70点程度でまとめることができ、赤点を回避できたことが確定した。
一方で、合宿仲間の佐々木翔と日野結月は、より高得点を叩き出しているようだ。
特に翔は苦手としていた英語が合宿のおかげで伸びたらしく、80点台を記録。結月はもともと得意だった科目に磨きがかかり、90点近い教科も多い。
「うわー、さすがに結月はレベル違うな……!」
翔が感心しながら隣を覗き込めば、結月は「えへへ、私もいつもこんなに取れるわけじゃないんだけどね。でも合宿のおかげで本当によく勉強できたよ」と笑う。
ただ、二人ともその満足げな笑みの奥には妙な疲労感が漂っている。なにしろ、夜中まで特訓してきた結果なのだ。まわりから「すごーい!」という称賛の声が飛んでも、翔と結月は口をそろえて「いや、もう二度とやりたくない……」と苦笑する。
そして、合宿の鬼軍曹だった西園寺麗華はどうだったのか――。その答えは教室にある学年順位表が物語っていた。テスト後、学校で集計された順位表には、1位:西園寺麗華という名前が堂々と載っている。隣の2位に名前を連ねているのは神崎駿。二人は以前から学年トップ争いを繰り広げていたが、今回、西園寺がわずかに差を広げた形だ。
「やっぱり西園寺さん、すごいよね……あの合宿でも自分の勉強を一番にやってたわけだし……」
結月が感心しながらつぶやくと、翔も「鬼軍曹モードだもんな……俺らの面倒見ながらよく自分の勉強まであのレベルで……」とため息混じりに同意する。
放課後、廊下で西園寺麗華と神崎駿が遭遇する場面を、たまたま目撃した。
神崎はスマートな笑みを浮かべながら、さりげなく肩をすくめて言う。
「今回は負けちゃったね。やるじゃん、西園寺さん。でも次は負けないよ」
「ふん……当然でしょう? 私も中途半端が嫌いなの。次はもっと差をつけてあげるわ」
一見普通のやりとりだが、よく見ると西園寺の頬がほんのり赤い。神崎の言葉が嬉しいのか、「次も負けないわ」と小さく返す声に、ほんのり照れの混じった響きがあったのを、俺は見逃さなかった。
その後、教室に戻ると結月と翔が待っていて、3人でふと顔を見合わせる。
みんな一様にやつれた雰囲気だが、それでも「全員合格圏内」の結果を喜び合う時間はある。
「とりあえず、合宿は成功だったんだね……赤点なしだし……」
「うん……ほんと、死ぬほど疲れてるけど……」
「お前ら、打ち上げでもするか? ただしオレはもう勉強しないぞ、しばらく……」
クスクス笑いながらも、どこか解放感で少しだけテンションが上がる。テスト勉強の地獄を経た分、達成感も大きいのだ。
ただし――俺は心の中で静かに誓う。「次はもう少し計画的にやって、鬼軍曹に頼らなくてもいいようにしなきゃ……」と。