11. 体育祭準備!
放課後のチャイムが鳴り響くやいなや、クラスのあちこちで机や椅子がガタガタ動き始めた。来週に迫る体育祭に向けて、出し物決めや応援合戦の練習など、やることは山積みだ。
いつもなら「早く帰りたいな」と呟きながらのんびりしているクラスメイトも、今日ばかりはやる気に満ちている。若干の熱気を帯びた雰囲気の中、俺は自分の席からちょこんと立ち上がった。
(うぅ、できればあんまり目立たないポジションでいたいんだけど……)
そう、ここ最近はどんな行事でも必ずトラブルを起こしてしまう。自分自身はただ普通にしているつもりなのに、周囲の空気を巻き込んで大騒動になってしまうのが常だ。
しかし、これまでの流れを見れば、体育祭で大人しくしていられる可能性は限りなく低い。何しろクラスのみんなから「美玲ちゃん、応援合戦で前に立って!」などと期待されているような気配がある。
「やめて~……私は裏方でいいんです……」
誰にともなくぼそりと呟きつつ、ひとまず話し合いの輪へ入ろうとすると、不意に背後から耳慣れた声がした。
「裏方なんて言わせないわよ。前回のスポーツテストも中途半端に終わったんだし、次こそ勝負よ、藤堂美玲さん!」
振り返ると、そこにはまばゆいオーラを放つ西園寺麗華が仁王立ちしていた。まるでステージ上の女優がスポットライトを浴びているような雰囲気だ。教室中が再びざわめく。麗華は少し突き出した顎とキリリとした目線で、あからさまに対決ムードを醸し出してくる。
「今度の体育祭こそ、はっきり決着をつけさせてもらうわ。前回のスポーツテストの時は、測定不能なんて……正直、全然納得いかなかったもの。」
まるで「あれは事故で勝ち負けが曖昧になっただけ」という言葉を含んでいるかのようだ。後ろで聞いていたクラスメイトが、気まずそうに視線を交わす。俺はというと、視線を彷徨わせながら曖昧に笑うことしかできない。
「え、えっと……うん、あれは私もいろいろごめんね……。でも、勝負って言われても、そういうの苦手なんだよね……?」
前世が地味サラリーマンな分、余計に「戦う」とか「張り合う」というのは性に合わない。麗華が何度も競争を仕掛けてくるたびに、内心ちょっと後ずさりしてしまう。しかし麗華は首を振り、口元に薄い笑みを宿らせる。
「ふふん。あなた、いつもそう言いながら結局目立ってるじゃない。私としては、このまま見過ごすわけにはいかないの。」
確かに、「結果的に目立ってしまう」のは事実で否定できない。結月や翔が「また美玲が……」と苦笑いするのが目に浮かぶ。それにしても、麗華がここまでエネルギッシュに勝負を挑んでくるのは、プライドが高いのだろうか。体育祭で勝負と言うのも、見た目とは裏腹に脳筋感を感じる。
「じゃあ、応援合戦のチームごとに別れて! 出し物や衣装の担当はこっち、道具の補修はあっちで集まって~!」
クラス委員の一人が指示を出すと、生徒たちはてきぱきと動き始める。思いのほかスムーズだ。いつもは「あれが足りない」「時間がない」とバタバタになることも多いが、今回は事前にしっかり準備していたらしく、装飾品や音響機材などがすでに整っている。
そして何より不思議なのは、俺が絡んだ作業すら、なぜかトラブルなく順調に進んでいることだ。モップが倒れたり、道具が壊れたりといったお約束の大惨事も今のところ皆無。
「わぁ、今日の美玲ちゃん、大人しいね?」
「ね、意外と普通に準備できてる」
クラスメイトが口々に驚くが、正直、俺が一番ビックリしている。
(助かった……。このまま何も起きないで終わってくれたらどんなにいいか……)
ただ、それを隣で聞いていた麗華は、面白くなさそうにフッと鼻を鳴らす。
「ふん……今はまだ『嵐の前の静けさ』じゃないの? どうせあなた、何かやらかすんでしょう?」
「そ、そんなことないよ……! できれば何も起こしたくないんだよ、わたしは……」
失礼なことに、麗華の言うことが当たらずとも遠からずと思えてしまうのが悲しい。
とはいえ今のところは、驚くほどスムーズ。慣れていない道具の扱いも特に問題なく、ポスター貼りも無事完了。小早川先生も「今日は静かだね……?」と不安げに見守るほどだ。
ところが、日が暮れ始めて「そろそろ帰るか」という時間帯――異様な光景が、校舎のガラス窓越しに目撃される。
「え……? あれ、猫……?」
廊下を歩いていた結月が気づいて声を上げる。続いて窓辺を覗き込んだクラスメイトの何人かも息を呑む。グラウンド脇のフェンス沿いに、黒猫がズラリと並んで歩いているのだ。それもざっと100匹近くに見える――そんなバカな、というほどの大行列だ。
「な、なんでこんなにいるの……? しかも全員真っ黒……?」
猫好きにはたまらない(?)光景かもしれないが、あまりにも不自然だ。何かしら不吉なイメージを連想してしまう。
ざわざわとクラスメイトたちが騒ぎ出し、校庭へ出てみようかという話になったが、「いや、あれは何かヤバそうだから関わらない方が……」という意見に落ち着き、ただ遠巻きに見守るだけになった。
さらに気味が悪いことに、学校の周辺や校舎の上空に、カラスが大量に飛び回り始めたのも同時刻だ。
俺は無意識に背筋をゾクリとさせながら、その様子を見つめる。なぜか、あのカラスたちがひっきりなしに俺の頭上を旋回しているような気がしてならない。
「またカラス? この前もスポーツテストでボール盗られたりしたけど……」
「うーん、なんか不吉すぎない? 黒猫にカラス……」
翔や結月もさすがに顔をこわばらせている。あまりに数が多く、まるで何かの前兆みたいだ。
「わ、わからない。でも変だよね……わたしのせいじゃないはずなんだけど……」
正直俺には何一つ心当たりがない。だが、今までの前科を考えると「やっぱり藤堂美玲がいると何かある」と思われるのも仕方ない。かといって、猫もカラスもコントロールできるわけじゃない。
すっかり暗くなった頃、クラスメイトと一緒に校舎を出ると、猫の群れはいつの間にか跡形もなく消えていた。カラスも少し減っているような気がするが、まだ何羽かが校門付近の電柱にとまっているのが見える。その異様な光景を背に、みんな気味悪そうに口をそろえる。
「なんだろうね、あれ……体育祭前にあんなことがあるなんて、いやな予感しかしない……」
「明日からの準備は大丈夫かなぁ……」
「ま、まぁ、準備自体は今日は順調だったし……大丈夫だよね?」
誰ともなく声をかけ合うが、不安な空気が拭えない。
家に帰る道すがら、俺は思い返す。体育祭の準備自体は驚くほどスムーズで、教室の飾り付けや道具の整備も順調に進んだ。いつもならひとつくらい大惨事が起きても不思議じゃないのに、どういうわけか全てが普通以上に上手くいった。
それゆえに、あの黒猫とカラスの大群がまるで暗示のように感じられて仕方ない。自分のせいで猫やカラスが動いているとは思いたくないし、そんなオカルトじみたことはあるはずない。
(でも、嫌な予感が消えない……。体育祭が無事に終わるといいんだけど……)
西園寺麗華の『勝負』はもちろん、クラスの皆も張り切っている一大行事。できればトラブルなしで成功してほしいと思う。
だけど、それが実現するかどうかは分からない。すでに不気味な雰囲気が漂い始めているのだ。
「はぁ……普通に、ただ普通に楽しみたいだけなのにな……」
そうつぶやいたとき、頭上でカァァとカラスの鳴き声がしたような気がする。思わず振り返ると何もいない。
――嵐の前の静けさ。胸に重たく沈む感覚を抱えたまま、俺は夜の街を足早に歩き続けたのだった。