10.スポーツテスト勝負
4月も半ばを過ぎた頃――今日の学校行事はスポーツテスト。校庭や体育館で、体力測定を行う日がやって来た。
各クラスごとに種目を回っていく予定で、立ち幅跳びや握力測定、ハンドボール投げ、反復横跳び……誰もが一度は経験するあれだ。
クラスの女子たちは「やだ~、全然やる気出ない」「せめて記録は普通くらいがいいな」と口々に言いながら準備運動をしている。
俺――藤堂美玲も、同じく「普通」の記録が出せればいいなと内心で思っていた。なにせ、ここ最近は何をやってもトラブル続きだ。スポーツテストくらいは無難に済ませたい。
しかし、そんな平穏な思いは、あの西園寺麗華の登場とともに儚くも打ち砕かれる。
体育館脇の開けたスペースで準備体操をしていると、麗華がスタスタとこちらへ歩み寄ってきた。いつ見ても洗練された姿勢に加え、しっかりまとめたポニーテールが映えている。
彼女は俺の前にピタリと立ち止まり、周囲の視線を意識するかのように、張りのある声を発した。
「美玲さん、せっかくのスポーツテストなんだし……わたくしと勝負しない?」
一瞬、俺は耳を疑った。
「勝負……? スポーツテストで……?」
特に競技会というわけでもないし、タイムや記録は個人ごとに採点されるだけだ。なのに、わざわざ対決を申し込むあたり、相当ライバル心を燃やしているのが伝わってくる。
「どういう意味……? わたし勝負なんてする気は……」
「いいえ、ここで決めましょう。どっちが“華”として相応しいか。わたしだってまだ引き下がるつもりはないの」
『小学生男子みたいな提案してくるな……』と思わず俺は心の中で呟く。
普段はお嬢様然としている麗華だが、こうやって直接勝負なんて言葉を持ち出すあたり、かなり負けず嫌いなのかもしれない。隣で日野結月が慌ててフォローしようとするが、麗華の意思は固そうだ。クラスメイトの視線も集まってきて、なんだか妙な空気になっている。
「そ、そういうことなら……ま、まあいいけど。別にわたしは目立ちたくもないし、高い記録が出るとは思えないし……」
「あら、やけに弱気ね? 『絶世の美少女』がスポーツもできるかどうか、確かめさせてもらうわ!」
相変わらず挑発的な笑みを浮かべる麗華。俺は(どうしてこんなことに……)と困り顔で言葉を失ってしまった。
午前中は主に、校庭でハンドボール投げや反復横跳び、立ち幅跳びといった種目をこなす流れ。
勝負といっても特別ルールがあるわけではなく、単にどちらが高い数値を出すかで張り合う程度らしい。
「次、女子のハンドボール投げ、前の列から順番に6人ずつ行って! しっかり測定するからねー!」
体育教員の声に合わせ、みんなで列を作る。先陣を切るのは、やる気満々の麗華。広い助走を取ると、しなやかなフォームからハンドボールをぐんっと遠くへ放った。
「おお……遠い……!」
「すごいよ、西園寺さん!」
「女子としてはかなりの飛距離じゃない?」
ざわつくクラスメイト。麗華は自信たっぷりに胸を張り、「どう? これがわたしの本気よ」とでも言いたげな表情だ。
その後も反復横跳びや立ち幅跳びでも、きれいなフォームで確かな結果を残し、既にクラス上位は間違いない。彼女がスポーツ万能とは聞いていたが、これほどとは。
「ふふ、そちらの番も楽しみにしてるわ、美玲さん」
と、わざわざ耳元で囁いてくるからタチが悪い。「普通に測定できればいいんだけど……」と弱気に返す俺。その心配が、後ほど現実になるとは、このときまだ誰も知らなかった。
そしてやってきた俺の番。なぜかクラスメイトの期待(?)を背中に感じる。もうすでに翔や結月、さらには麗華も真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「そ、それじゃあ……いきます……」
生まれたての小鹿のように緊張しながら、ボールを握る。前世が男子だったとはいえ、今の身体は華奢でパワーもそれほどない。せいぜい並の距離が出れば御の字だ。
が、俺が助走を始めた瞬間――「カァー! カァー!」という鳥の鳴き声が、校庭上空から響き渡った。見ると、なぜか一羽のカラスが低空飛行でぐるぐると旋回している。
「えっ……? なんでこんなに近くに? 危ないから逃げ……」
投球のモーションに入ろうとしたそのとき、唐突にカラスが急降下してきて、俺の手から離れたハンドボールをスッと引っ掛けるように掴んで飛び去ってしまったのだ。
シュルルッ――遠くへ放られるはずのボールは、なんとカラスの足にぶら下がって空の彼方へ……。クラスメイトの悲鳴と驚きの声が同時にあがる。
「え、嘘……!? ハンドボールを……盗られた……?」
「なんだあれ、カラスがボールを持っていくものなの……?」
もう目が点だ。体育教員も「えええ……?」と唖然として、測定どころではない。つまり、投げた結果がどの地点に落ちたのか分からないのだ。完全に測定不能。
麗華は「な、何よこれ!?」と叫び、翔と結月は凍り付いたまま唖然としている。
「す、すみません……やり直し……いや、またボールが……!」
急いで別のボールを取りに行こうとするが、驚いたことに同じ状況が続く。カラスが団体で集まってきて、ハンドボールを次々と持ち去ろうとするのだ。一体なぜここまで執拗に狙われるのか分からない。
結局、俺が投げようとするたびにカラスが横やりを入れるので、まともに測定できず仕舞い。最後には先生が「す、すまん、もう測定不能だ……次の種目に回って!」と匙を投げたのだった。
みんな若干ショックを受けつつ、次の種目へ移動。体育館のフロアで反復横跳びの測定が行われる。
これは素早くライン間を往復し、何回成功できるかを記録するお馴染みのテスト。さすがにカラスは来ないだろう、と周囲は胸をなで下ろしていた。
が、ここでまたしても異常事態が発生する。
測定時に使うストップウォッチが、なぜか爆発してしまったのだ。
「えぇっ!? なんで、ストップウォッチに火花が……!?」
「ちょっと待って、そんなことある!? ……壊れてるんじゃない?」
先生が携帯していたデジタル式のストップウォッチから、バチバチッと青い火花が飛んだかと思うと、小さな破裂音を立てて煙を噴いた。
当然、記録計測は中断。物騒な音に、生徒たちが次々と悲鳴を上げる。俺は反復横跳びをまだ始めてもいないのに、そのスタート合図が鳴った瞬間にストップウォッチが自滅した形だ。もう誰もどう反応していいか分からず唖然。
「いや、測れないじゃん……」
「最悪予備を取りに行けば……って、予備がないの?」
「他のクラスも共有してる機械だから、すぐには用意できないって……」
そうこうしているうちに、何とか原因究明を試みる先生たちが大慌て。結局「次の種目に移ってくれ」と言われ、反復横跳びも測定不能で終わってしまった。
こうしてハンドボール投げと反復横跳びの2種目が、ほぼ不発に終わった俺の測定。他の立ち幅跳びや握力測定も機器トラブルなどで測定できず、時間が足りないのと予備器具が足りないなどでうまくいかない。
いわゆる『公式の記録』がゼロ行進に近い状態だ。
一方、当たり前だがトラブルに巻き込まれなかった麗華は高得点を連発。握力も女子平均をはるかに上回り、学年でトップクラスになる可能性大と評判になっていた。
「ちょっと! これじゃあ勝負にならないわよ! わたしがせっかく実力を見せつけても、藤堂美玲が記録不能じゃ……どっちが上か分からないじゃない!」
意気揚々としていた麗華だが、いざ蓋を開けたら、俺のほうはまともに記録できず。実力比較すら不可能。
悔しそうに床を踏みながら、「どうしてあんなカラスなんか呼び寄せるのよ!?」「なんでストップウォッチが爆発するのよ!」と憤慨している。
「い、いや……わたしだって謎だよ……。むしろ真面目に測定したかったんだけど……」
心の底から、「せめて1種目でも普通に測定したかった……!」という気持ちが沸き上がる。周囲を見れば、翔や結月、そしてクラスメイトたちが「また美玲がやらかしたか」と呆れ顔。それでも誰も真剣に俺を責めるわけではないのが、この学園の優しさだろう。
「なんか知らないけど、やっぱり藤堂がいるとトラブル起きるね」
「ここまで徹底して測定不能になるなんて、ある意味天才的……」
「逆に伝説じゃん。スポーツテストで0点量産とか」
クラスメイトたちからは、ため息混じりの声と笑いが交錯する。担任の小早川先生に報告すれば、また頭を抱えるんだろうな……と想像して肩が落ちる。
麗華はというと、勝ったのか負けたのか曖昧なまま、なんとも言えない表情で腕を組んでいる。
「はぁ……。全然気分が晴れない。これでわたしが一方的に勝ったなんて言っても、面白くないし……」
どこか納得できずに眉をひそめる麗華。せっかくの“勝負”がこんな形で終わったのだから、無理もない。
とはいえ、俺も別に意図してこうなったわけじゃない。むしろ、記録すら取れなかったことに若干のショックを受けている。
最終的に先生たちが「どうしようもないから、後日時間があれば再測定してもいいよ」と提案したものの、周囲は「いや、また何か起こりそう」と微妙な反応。
やはりこのまま『藤堂美玲のスポーツテストはゼロ記録』という形で処理される可能性が高い。そのうち校内で変な伝説として広まってしまいそうだ。
「まさかこんな結末なんて……」
麗華が唇を噛みしめ、呟く。
俺は疲弊しながらも、「……せめて一つくらい普通に測定したかったよ……!」と、半ば空虚な気持ちでつぶやく。
こうしてスポーツテストの日は、麗華の悔しさと俺のショックを残したまま終わっていく。
ああ、いつになったら普通にできるのだろう――。そんな空しさを抱えつつ、ふと見上げた空には、いまだに怪しげなカラスがカァー!と鳴き声を上げていた。