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守り人と金色の狐  作者: 高千穂ゆずる
狐狸ん堂の設立
9/22

狐狸ん堂の設立<7>

 地面を踏みしめる度に足元から土の湿気た臭いと一緒に芽吹いた緑の匂いが上がってきては、街育ちの沙奈の鼻をくすぐった。

 自分の背丈をはるかに超える木々の下を、アキとチカを伴って進む。

 もちろん先導しているのは山の中を熟知しているアキとチカだ。ブナの原生林を抜けてずんずんと山奥へと向かっていくアキに、沙奈は少しだけ不安になって声をかけた。

「ちゃんと帰れるよね」

「あったりまえだろ。この山は老松さまの土地だからな、俺にとっても庭みたいなもんよ」

 足を止めたアキが振り返って、自信満々の笑顔を見せた。

「人間がたくさんいるところにはあんまりアヤカシは近づかないから、山の中に向かっているんだと思うよ~」

 不安げな表情を見せる沙奈の手を、チカは安心させるようにぎゅっと握った。

 アヤカシは山の中にしかいないわけではない。人々の生活の中に溶け込んでいるアヤカシはそれなりにいるが、柿谷と土地神の関りについてあまり聞かされていない様子の沙奈にはこちらの方がずっといいと2人は判断したのだ。

 今まで街で暮らしてきてアヤカシを視てこなかったのに、柿谷の本家を訪れたことをきっかけにその才能が芽吹いてしまったのだから、少しずつ慣れておくべきなのだ。

 狐狸ん堂を通して沙奈にアヤカシと土地神のことを知ってほしいと、アキとチカは考えていた。

「困ってるアヤカシさんたちのお手伝いをするんだもんね、山の中こわいなって思ってごめんね」

 沙奈はチカの手を力強く握り返した。

「アキがどんどん進むからいけないんだよ~。アキもほら、沙奈ちゃんと手をつないであげなよ~。そしたら不安じゃないよね~」

 先を歩いていたアキにチカがおいでおいでと手招きする。

 仕方なさそうに戻ってきたアキは、

「しょうがねえなぁ」

 と言いつつ沙奈のもう片方の手を握った。

「へへへ」

「だらしない顔すんな」

「これぞ仲間って感じがしてうれしいんだもん」

 ケヤキやミズナラの葉が春風に吹かれて心地いい音を奏でていた。見上げた沙奈の頬に、木漏れ日が優しく降り注いだ。

 森を抜けると舗装された道路に出た。路上には乾いた泥がタイヤの跡を象って伸びている。

「ちゃんとした道があるんならこっちを通った方が早かったんじゃない?」

「アヤカシが道路を歩いてると思ってンのか?」

「い、いるかもしれないじゃない」

 不毛な言い合いを繰り返しているアキと沙奈を笑ってみつめていたチカの耳に、微かだが助けを呼ぶ切実な声が届いた。

「ね~、どこからか声が聞こえなぁい?」

 チカの言葉にアキと沙奈も慌てて耳を欹てた。

 沙奈は耳に手を添えて神経を集中させた。遠くから農作業に勤しんでいる大人たちの声と、風の音、それから野鳥のさえずりが聞こえる。

 沙奈はちらりとアキとチカの様子を見た。2人は同じ方向から声を捉えているらしく、なにやら頷きあっていた。

(もう一度、やってみよう。さっきよりもうんと集中して……どうやるのかわかんないけどっ)

 ひとまず彼らと同じ方角に頭を傾けて、両目をぎゅっとつむって聞き耳を立てた。

 さわさわと風に揺れる葉擦れの音の中に、野鳥の声とは少し違った音が聞こえた。それを声だとは断言できないが、鳥のさえずりとも言い切れなかった。

「沙奈、行こう」

 ぐいっと手首を掴まれた沙奈は、アキに引きずられるように走り出した。

 道路を渡って反対側の林の中へ向かった。こちら側は間伐が施されていて見通しもよく、走りやすくもあった。

 3人が飛び出したのは造成予定地の一角だった。広々とした場所の端の方に大きな杉の木があり、それを目指してアキとチカが一気にスピードをあげる。

「ちょ、ちょ、ちょっとぉ」

 運動神経にはそれなりの自信があった沙奈だが、如何せん2人は狐と狸だ。ひとの姿に化けていても本気で走られるとついていけない。それでも沙奈の手を掴むアキは加減してくれているようにも感じた。

 杉の木の下に到着すると、沙奈は倒れこむように両手を地面についてせき込みながら呼吸していた。

「声がちいさいのは仕方ないね~、きみたちだもの」

 くすくす笑うチカの言葉が気になって、沙奈は顔をあげた。するとそこには真っ白でふわふわな毛に覆われた小さな綿帽子たちがチカの周りを飛び回っていた。

「たんぽぽ? あの綿帽子」

「あれもアヤカシの仲間。べつに悪さとかしねーから近づいても平気だぞ」

「たしかに、そうだと思うけど」

 まとわりつかれているチカはくすぐったそうに笑っているだけだから、無害だとわかる。

「そいつらなんて言ってんだ」

「あのね、仲間が風に飛ばされてこの杉の木のてっぺんに引っかかってるんだって~」

「マジか」

 空を仰ぐように見上げるアキに倣って沙奈も樹上に視線を向けた。

「あ、いた。う~ん、確かにあの高さだとこいつらには無理だな」

「アキ、みつけたの?! どこどこ」

「てっぺん近くに一本だけおかしな動きしてる枝があるのがわかるか? その先に引っかかってる」

「……ん~、見えないっ。くやしいっ」

 せっかく教えてくれたのに、おかしな動きの枝がわからなければその先端に引っかかっている綿帽子などさらにわからない。なんども目を細めてチャレンジしたがまったくわからなかった。

(これが人間とキツネの能力差なのかな)

 沙奈はアキが土地神『老松』の後継だということも忘れて、普段の姿を思い浮かべていた。

「なにやってんだよ、おまえら。みっともねーなぁ」

 木の根元辺りでぴょんぴょんと跳ね回っている綿帽子をアキが笑うと、

『なんだと アキ きさま。 もういっぺん いってみろ』

『ただじゃ おかない ぞ』

 ぴょいんぴょいんと跳ねながら移動してきた綿帽子たちが、一斉にアキの顔面に飛びついた。

(うわぁ、アキの顔に真っ白な毛が生えたみたいになってる。おっかしいのっ。ふふっ)

 綿帽子の言葉がわからない沙奈は、まさかケンカしているとは思わずに楽しそうに笑っていた。

「ぺっぺっぺ。おまえらの毛はくすぐってぇんだよ、くしゃみが出ちまうぜ」

『うるせー』

 小競り合いを始めたアキと一部の綿帽子を横目に、チカが自分の周りにいる綿帽子たちに声をかけた。

「いったいどうしたの~? きみたちは原っぱが住処だよね~」

『ごはんを たべおわって おうちにかえるのに ちかみち しよって』

『そうしたら なかまが かぜに ふきあげられて き の てっぺんに』

『つれて いかれた の』

『ここ は まだ もりのなか だったのに きゅうに おっきなひろば に なってて』

『ぴゅう って かぜが ふきぬけた の』

「え~、それはたいへんだったね~」

 綿帽子たちの話に耳を傾けているチカは、うんうんと相槌を打っているが沙奈にはどんな話をしているのか詳しいことはまったくわからなかった。それでも綿帽子たちの必死さは伝わってくる。

 近くにいるとチリチリと鈴の音のような小鳥のさえずりにしか聞こえない綿帽子の訴えを聞きながら、沙奈は、

(アヤカシのおじいさんとは話せたのに、言葉がわからないアヤカシもいるんだ。言葉がわかるってうらやましいなぁ)

 ほんの少しだけ寂しさを感じていたが、今は彼らの困りごとを解決する方が大事なのだ。

「今こそ狐狸ん堂の出番なんじゃないの」

 顔面の綿帽子を引き剝がしては口喧嘩していたアキと、話を一生懸命に聞いていたチカが同時に沙奈を見た。

「まぁ、さすがにこの高さの木にはわたしは登れないけど……」

「ってことは俺の仕事ってことだな」

 アキが肩を竦めて笑いながら言った。

 チカがそのことを綿帽子たちに説明すると、彼らは嬉しそうにチリチリと一斉に声をあげた。まるでたくさんの小さな鈴がそこら中から鳴り出したみたいに、可愛らしい声が響いた。

 少年の姿のままでアキはするすると木を登って行った。途中からは茂った枝葉でアキの姿は見えなくなったが、少ししてから上の方で、

「救助完了!」

 と得意げな声が飛んできた。

 

 昼食を開発予定の造成地で摂った沙奈とアキ、チカは午後からも張りきった。

 とはいえ、アヤカシに出くわすこともなく春の野山の散策といった様相を呈し始めた頃、田んぼの畔を3人で歩いていた時だった。

 田起こしが済んでいる田んぼの中で、呆然と立ち尽くしているようにも見える鳥に気づいた。淡いオレンジ色と白い羽根がとてもきれいなアマサギだ。

「どうしたの?」

 思わず沙奈が声をかけた。

 声をかけられた鳥は驚いたように辺りを見回すと、畔の3人に気づいてトボトボとやってきた。

 言葉が通じた、と感激した沙奈だったが横で手招きしているアキたちアヤカシのおかげだと気づくとしょんぼりした。

 だが沙奈はめげない。

(だいじょうぶ、きっといつかわかるようになるからっ)

「なにか困ってるの?」

 沙奈はアマサギの目を見て訊ねた後、早く通訳してと言うように横にいるアキを見た。

 察したアキが沙奈の聞きたいことを代弁すると、アマサギは項垂れてなにやら答えた。聞き終えたアキが、

「田起こししてるときって、土の中とか草なんかに隠れてる虫が出てくるから食事を楽しみにしてきたのに終わってたんだってさ。で、がっくりきてるってわけ」

「へ~、田起こしに鳥さんの食事の楽しみもあるんだ……って、落ち込んでるのに感心してちゃダメだよね。まだ田起こししてない田んぼを探せばいいってことかな」

 農作業など一度も関わったことのない沙奈だが、まだ一度も狐狸ん堂のメンバーとして仕事をしていない自覚もあり、

「こんなにたくさん田んぼがあるんだから、まだ田起こししていないところもあるんじゃないかな。わたし、聞いてくるね!」

 沙奈の視線の先には午後の休憩に入っている大人たちの姿があった。

 本家に来る途中に見た広い田んぼ。おそらく作業しているのは柿谷に関わる家の人たちに違いないと沙奈は思って畔を走り、道路へ出ると一直線に向かった。

「あ、あの……まだ、田起こししてない、田んぼって……はぁはぁ……ありますか」

 とつぜん駆け寄ってきた本家の孫に目を丸くしていた青年が、日に焼けた顔を綻ばせて、

「あるよ。今日はあとこことこの横の田起こしで作業を終わる予定だから。なに、作業が見てみたいんか?」

「はぁはぁ、鳥さんが……虫を……楽しみにしていて。……あ、いえ。すみません、教えてくれてありがとうございますっ」

 沙奈は腰を折るように深々とお辞儀をしてくるりと元来た道を戻って行った。

「……」

「……向こうにいるあの狐と狸の子。狸の方はわからんが狐はもしかしたら老松様の関連かもしれんのぉ」

 ぼそりと呟いたのは初老の男だ。

 沙奈の前では少年姿でも、視えない人間からするとただの狐と狸にしか見えないのだ。

「ほいだが、あの子は倫久くんの娘やろ、次男の」

「視える視えんに長男次男は関係なかろう。守り人に必要なんは土地神様と絆が保てるか保てんかだけぇの」

「本家の利久くんと利都ちゃんがあの狐の子といっしょにおるとこなんか見たことなぁで?」

「そんなん知らんが。決めるんは本家、総代だけぇ。わしらはそれに従うだけよ」

 うーんと伸びをしながら応じたのは、初めに沙奈と言葉を交わした青年だ。

 沙奈に教えた通りの田んぼへ向かい、田起こしの作業を再開させた。そこへ一羽のアマサギが飛来してきて、土が起こされるたびに忙しなく地面をつついては飛び出してきた虫を啄んでいた。


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