禁足地の謎(3)ー3
アキと沙奈たちが作左に案内されたのは、先ほどの茶畑をさらに頂上へと登った先にある、2階建ての可愛らしい店だった。店の周辺はきれいに整備されていて、妖怪やアヤカシが視える人間なら普通に間違えて入ってしまうかもしれない。
正面からだと小さく見えるが奥行きがたっぷりとあり、一見しただけではヘアサロンとは思えない純和風の建物だった。
それでも入口には『トリミングサロンJUB』の看板があり、ここが作左の母親、洗濯狐の砂輝が経営する店なのだとわかる。
「トリミングサロン……なんて読むの?」
「ジャブ。俺がガキん頃はひらがなで“じゃぶ”だったんだけどよ、戻ってきたらなんか変わってた」
「なんでジャブなの」
沙奈と利都が交代で質問する。
「俺と母ちゃんは洗濯狐っていう妖怪だからな。たぶんそれでじゃねぇの? 昔っからこの名前だから俺もくわしくは知らねえんだわ」
「ふーん」
作左はすすっと後ろに下がってアキに顔を近づけると、
「本当に大丈夫なんだろうな。あんなガキンチョに任せるなんざ、不安しかねぇんだけど」
こそこそと耳打ちした。
「ここいらは老松さまが守護する土地だぜ。その守り人の柿谷の娘が2人揃って話せば」
「きっとだいじょうぶだよ~」
3人が顔を突き合わせてひそひそ話をしているうちに、沙奈と利都は、
「こんにちは!」
と躊躇なく店の引き戸をがらりと開けた。
店内は1人用のスタイリングチェアが1脚と壁にはめ込まれた横長の鏡だけというシンプルな造りで、沙奈と利都が想像していたヘアサロンの雰囲気はなかった。
床にはクリーム色と空色のタイルが敷き詰められていて、紺色と水色、鮮やかな赤で描かれた花模様のタイルがアクセントとなって壁を飾っている。
店内の一角には猫脚の付いたバスタブがあり、傍のカウンターにはそのミニチュア版が置かれていた。
「りっちゃん、トリミングサロンって、なんのことか知ってる?」
「ペット版のヘアサロンってことでしょ?」
「ペットか……。りっちゃん行ったことある? わたし、ない」
「私だってないわよ。うちにペットいないの、アンタだってわかってるでしょ」
「そっか。お店の中はカワイイし、お風呂なんかもあってすごい……。ねぇ、りっちゃん。これ合ってるの?」
「行ったことないんだから、正解かどうかわかるわけないじゃない」
誰かが店に入ってきたことに気づいた砂輝が、奥から店庭を通ってやって来た。店の中に人間の少女がいることにひどく驚いた砂輝は、自分が狐の姿に戻っているのも忘れて、
「どうやって入って来たんだい!!!」
と口を大きく開けて威嚇するように叫んだ。
「きゃあ」
可愛い悲鳴をあげたのは利都で、沙奈は慣れた風に淡々と、
「そこのドアから入ったんですけど、間違ってたらごめんなさい」
先ほど自分たちが入って来た引き戸を指して答えた。
自分の威嚇に怯まない沙奈を前にわなわなと震えながら、砂輝は洗濯の手もみの仕草でなんとか落ち着こうとした。
そこへ、
「沙奈! あ、利都だったのか。叫んだの」
「沙奈ちゃん、どうしたのっ。あ、りっちゃんだいじょうぶ?」
アキとチカが飛び込んできた。
「ひどくない、2人とも」
そんなやりとりを尻目に最後に店に入って来たのは作左だった。
「作左、人間を連れてきたのはおまえかい」
「そうだけどさ、とりあえずこの子たちの話を聞いてみてくんねぇか」
殊勝な様子の息子の言葉でようやく落ち着きを取り戻したのか、砂輝は改めて姿を人間に変えた。その姿に一番驚いたのは利都だった。
「めっちゃキレイなひとぉ」
キレイでおしゃれなものに目覚めていく年頃なのだろう。砂輝の容姿の美醜は息子にわからずとも少女の心には刺さったようだ。
沙奈にはまだ利都のようなお洒落への興味は薄かったが、狐狸ん堂のメンバーとしてのやる気は高かった。
「お話、いいですか」
7歳の少女が両手をぎゅっと握り締めて訴えた。
もの言いたげな砂輝の視線がちらりと作左に向く。
「こいつらは柿谷家の子だ」
母親の知りたいのはそこだろうと感じた作左は視線に応じるように答えた。
作左とよく似た切れ長の目が、沙奈と利都を捉えると何も言わずに店庭の奥へ歩いて行った。まるでついて来いと言っているようで、2人は砂輝のあとを追いかけた。
砂輝は、奥の木戸の前で立ち止まって待ってくれていた。2人が追いつくのを待って木戸を抜けた。
細長い土間を進むとき、開け放たれた障子の向こうに柿谷の離れ家とよく似た和室があるのを沙奈は見た。夏の午後の眩しい日差しのせいで部屋の奥は暗く蔭になっていてよく見えなかった。
「話はこっちで聞こうか」
砂輝の声が一番奥まった場所から聞こえた。
「沙奈、行くよ」
利都に手を引っ張られた沙奈は躓きそうになりながら、奥庭へ足を向けた。
奥の庭には土蔵と小さな池があり、なにかが泳いでいる気配はしてもそれが鯉なのかなんなのかわからなかった。
縁側には茶器が二客置いてあり、誰かがさっきまでいた気配があった。
砂輝はそれらを片づけて、新しい茶を淹れて戻って来た。
「この茶はアンタ達の家で栽培されたものだよ。ここへ来る途中に茶畑があっただろ、そこの茶葉だ」
程よく冷やされた茶を喫した沙奈と利都は、自分たちが思っていた以上に緊張しているのだと気づいた。ごくごくと一気に茶を飲み干してひと息つくと、お互いの顔を見て、ふふっと笑った。
縁側に腰かけた2人の横に砂輝も腰を下ろした。
「妖怪のくせに人間と同じ茶を飲むのかって思わないのかい」
「思わないです。だって美味しいものは美味しいんだし、老松御殿ではときどき妖怪とかアヤカシが集まって酒盛りするってアキも言ってたから」
「父さんだって儀式とか関係なく、たまに御殿に渡ってることもあるしね」
「こんなふうに生活のところどころに人間のものが混じったりしたから、作左も影響を受けたんだろうねぇ」
まるで後悔しているような口調で砂輝は呟いた。
「あの、どうして人間をお客さんにするのは反対なんですか」
「いい思い出がないからだよ」
砂輝は幼い作左を抱えてこの地に流れてきた経緯を丁寧に、だが、細かい部分は伏せたままで、
土地神にもひとにもいろいろな考えがあり、偶さか2人が暮らした土地ではそれらがうまくいかなかったのだ。ひととの絆ばかりを大事にした土地神は砂輝母子をその土地から追い出した。
「もちろん時代が違うから、今はそんなことはないのかもしれないけどさ。それでもこの身に染みついた恐怖と悲しみは拭えないのさ。とはいえ、こうして美味しい茶が飲めると聞けばひとに化けて贖ったりする。調子がいいよねぇ」
白くて長い砂輝の指先がガラスの茶器の縁をゆっくりと滑っていく。
「砂輝さんはどうしてそんなにキレイでおしゃれなんですか。どんな雑誌を参考にしてるんですか」
「りっちゃん、それ今聞くことかなぁ」
「大切なことに決まってるからでしょ」
「ふふふ。人間といい思い出がないのにどうして人間に化けんのさって? 簡単な話さね。あたしゃ美容師を自任する洗濯狐だよ。鋏を扱うのにはこの姿が一番なのさ」
「人間の姿でいいならメイクする必要はないんじゃないですか。だけど砂輝さんはしっかりきっちりメイクしてるし、髪だってぜったいいいシャンプーとかコンディショナーなんかを使ってると思うし。これってやっぱり人間を意識してるからだと思いますよ。だって」
利都の口からは沙奈の知らない化粧品のブランド名や口紅の色の名前などが溢れるように出てきた。
「ほんと柿谷のガキは生意気だねぇ。だけど、嫌いじゃないよ」
陽が傾いたのか、破顔する砂輝の顔が蔭になっていた。
「だからといって作左の言うとおりにするつもりはないよ。ああ、そんな顔をするんじゃない」
砂輝はしょんぼり顔の沙奈と利都の頭をやさしく撫でた。
「視える話せるってだけでいきなりうちの店に来られても、あたしゃ困るからね。かといって作左に店を譲るつもりはさらさらないし」
「でも砂輝さん、ほんとにキレイだしスタイル抜群だからこんな女性に髪を切ってもらえるとか羨ましいんだけど」
利都は沙奈よりも落胆した様子だった。
「りっちゃんは砂輝さんに髪を切ってもらいたいの?」
「切ってもらいたいよ。スタイリングもぜんぶお任せでやってもらいたいくらい。あとどこのシャンプー使ってるのとか知りたい」
食い気味に答える利都の手を、沙奈ががしっと力強く握った。
「じゃあさ、りっちゃんが砂輝さんのお客さん第1号になっちゃえばいいじゃん」
「それいいかも!」
「えええ?! ちょ、ちょっと待ってアンタ達」
「柿谷の家は老松さまをお祀りしてる家だから、砂輝さんと無関係とは言えなくもない……気がするの」
「沙奈、今日のアンタは冴えてる」
「だからひとまずりっちゃんを最初のお客さんにして、それから作左さんが考えてるお店のこれからを話し合ってもいいんじゃないかと思います」
明敏な沙奈をみつめたあと、砂輝は視線を利都に向けた。羨望の眼差しでみつめてくる利都も、
「まずは私で試してみませんか。一応、私も人間なので練習になると思います」
と、なんとか砂輝にスタイリングやヘアカットをしてもらおうと食い下がった。
「はぁ~。とりあえずアンタ達のやる気だけはわかったよ。でもね、こういうことを子供だけで決めたりなんかしちゃダメ。ちゃんと総代から許しをもらってきな」
砂輝は柿谷の当主を総代と呼ぶようだ。へぇ、と頭の片隅で思いながら沙奈は利都と繋いだ手を挙げて、
「総代からちゃんとお許しをもらってきます!」
と宣した。




