禁足地の謎(3)ー1
店庭の夏紅葉が強い日差しを受けて、足元に濃い影を落としている。店と庭の引き戸を全開にし、店庭の奥に続く土間から奥庭まで風を通すことで、炎天の暑さも苦にならない。
賑やかな蝉の声だけは変わらず夏を叫んでいる。
「今日だっけ、砂輝ちゃんの息子。作左くんが戻ってくるのはさ」
トリミングを終えた客のイタチが店主を振り返って言った。
「いっちょ前なことを抜かしてうちを飛び出しといて、やれ修業が終わったから母ちゃんの店を手伝うぜ、イマドキのヘアサロンは妖怪アヤカシだけじゃ立ち行かなくなるぜとかホザきやがってさ。どの面ぁ下げて戻ってくんのか、あたしゃ楽しみだねぇ」
ひとつに結わえた秋の紅葉のように真っ赤なロングヘアーを翻し、トリミングサロン『JUB』の店主、砂輝は獲物でも狙うように目をぎらぎらと光らせて応じた。帰ってくるのは自分の息子なのに、取って食うつもりじゃないだろうね、と常連客のイタチは心配した。
「それよりいっちゃん、時間に余裕があるんなら奥で茶でも飲んで行かない? 今日はいっちゃんで終いだからさ、暇なんだよ」
床に散らばったイタチの毛をささっと片づけると、返事も聞かずに店庭に出て茶の支度をしに奥へ向かった。
「まだ昼前なのに客があたしで終いって、そりゃ作左くんの言う通りかもしれないよ!」
鏡の前であれこれポーズを決めながら砂輝に話しかけたイタチは、夏に合わせた涼し気なカットに満足そうに笑うと砂輝のあとを追った。
子供時分、作業している人間たちをからかって遊んでいた懐かしい茶畑を眺めていた作左は、目指す頂上付近へ視線を移して、
「よっぽどの腕がなきゃあんな山の上にあるサロンなんて客は来ねえよな」
右手を額に翳して遥か山の上をみつめた。
トラック1台、軽自動車ならばギリギリすれ違える程度の道幅しかない車道が通っているのは茶畑までで、畑を越えると獣道くらいしかない。
しかもイノシシ対策の電気柵が張り巡らされている。腕のいい美容師がいたとしても、人間の客は呼び込めないだろう。
街で修業してみて感じたのは、利便性がなによりものをいうことだ。
うーんと唸ったところでいい案が浮かぶはずがなかった。
「とりあえず母ちゃんに相談だな。山を下りるか、店を増やして俺に任せるか」
準備体操を終えた作左がチラッチラッと周囲に視線を巡らせ、人間がいないことを確かめると狐の姿に戻り、頂上目指して駆け出した。
山を登りきると、頂上の景色が一変していた。
自宅兼店舗があったのは、生い茂る草をかき分けなければ到達できないような場所で、獣道という道中も間伐された森の中にあって明るく見通しがよくなっていた。
もちろん下草もきちんと刈り取られている。
間伐のおかげで吹き抜ける山の風が心地いい。緑と土で冷やされた風の気持ちよさは川風にも負けないくらいだ
「もっと道を整備したらいけんじゃね?」
意気揚々と、作左は自宅兼トリミングサロン『JUB』の前に立った。
「しかもなんか店が改装されてるし、名前も前はひらがなの“じゃぶ”だったじゃん! JUBでじゃぶ? 母ちゃんどうしたよ」
あれこれ変わった店の前で腹を抱えて笑っていると、遠くから近づいてくる風を切る音が聞こえ、
「?」
と音のする方を見てみると、自分めがけて鋏が飛んできた。
「あっぶね」
紙一重で鋏を避けた作左の耳に、母親の怒声が飛び込んできた。
「あたしの店をあたしがどうしようと勝手だろっ」
久しぶりに見た母親の姿は、かつて作左が家を飛び出したときとはまるきり違っていた。
「どうした、母ちゃん。ガリッガリに痩せてンじゃねえかよぉ」
「急にいなくなった作左くんが心配でごはんもろくに食べられなかったんだよね」
イタチのいっちゃんがすんなり事情をばらした。
「いっちゃん、黙んな」
「今は大丈夫なのか? これからは俺が店を切り盛りしてやっからよ、安心してくれや」
「おまえに店は任せない。どうせ人間も客として受け入れろって言うんだろ。あたしゃいっちゃんたちの毛をカットできてりゃいいのさ。流行りだのなんだのに振り回されるなんざ、いやだね」
「なんでだよ。せっかく人間に化けれて、人間とうまく付き合うことだってできる狐族なのに。それを利用しないなんておかしいぜ」
「だったらこんな山奥の店に戻ってこないで、街ん中で好きなだけ鋏つかってりゃいいじゃないか」
店の中と外で互いに捲し立てる洗濯ぎつねの母と息子。2人の間をおろおろしながら右往左往しているイタチのいっちゃん。
太陽はほぼ真上に昇り、焼けつくような日差しが容赦なく降っていた。




