禁足地の謎(2)ー3
その夜、利都は沙奈に連れられて林を抜けた。利都は老松御殿へと続く林にはじめて足を踏み入れたことになる。入ってはいけないと幼い頃から言い聞かされてきたからだ。その林の中を、沙奈はまるで自分の庭のように歩き利都を先導して進む。
本家の長女である自分は言いつけを守って林に入らなかったのに、当主の姪とはいえ分家の人間が勝手に老松御殿の林に入るなんて、と利都の心は複雑だった。
それでもこの先にあの子が待っていると思うと、そんな気持ちはすぐさま霧散した。
物心ついた頃から敷地内で時折みかける金色の髪をした少年に、利都の心はいつしか奪われた。それを初恋と呼ぶのだろうが、当時の利都は幼過ぎてわからない感情だった。
彼があまりにも神々しくて話しかけられなかった。ほかの誰も少年に声をかけないのは、自分と同じで彼の神々しさのせいだと思っていた。少年の姿が視える者と視えない者といると知るまで、利都はそう信じていた。
自分だけが彼を視ることができるのは、彼にとって自分が特別な存在だからではないか。そんな風に淡い期待を抱いたこともあった。
ただそれが幼い頃から祖母から聞かされていた老松と白露の悲恋話、守り人である柿谷家が連綿と紡いできた土地神との絆によるものだと知ると、特別だと思っていた自分が急に色褪せたように感じた。
代わりに彼への気持ちが恋だと知った。まるで普通の女の子のように、好きな男の子に近づきたい、話したい、名前を知りたいと願うようになった。
祖父が亡くなって沙奈が本家を訪れるまで、それはただの願いでしかなかった。
「あ、いたいた。アキ! チカ! 来たよーっ」
沙奈が手を振る先に金色の髪の少年が立っていた。彼の横には初めて見る少年もいた。アキと同じように端正な顔立ちの少年だ。
だが利都の視線はすぐにアキへと戻り、じっとみつめていた。まるでそこだけ月明かりが照らしているように、利都の目にはアキがキラキラと眩く輝いて見えた。
林の中へこっそりと向かう娘と姪の姿を、晴久は老松御殿と繋がる渡り廊下を歩いているところで見かけた。
「沙奈ちゃんは怖いもの知らずだねぇ。明かりなんてほとんどないのに、よくあの林の中に入ろうと思ったものだ。しかし虫嫌いの利都をどうやって説得したのか……どうやら利都にもまだ絆は残っているようだ」
晴久は心配事のひとつが解決したような気になって微笑んだ。
ガラス窓に映り込んだ手燭のろうそくの火が、ゆらりと大きく揺れた。渡り廊下の先から風が流れ込んできて、
「遅れてしまいましたか」
晴久は漆のように濃い闇へ向かって話しかけた。闇の中でなにかが動き、衣擦れの音が続いた。
「どうやらワシの庭で久闊を叙する会が開かれるらしい」
「老松様の庭を騒がせて申し訳ない。今年の夏はしばらくこの賑やかさが続くものと思ってください」
「賑やかなのは好かん。が、絆が保たれるというならば致し方あるまい」
「今夜は子供たちの潜み声を肴に一献傾けましょうかね。下に住む弟が娘をよろしく頼むと言って持参した酒です」
晴久が酒瓶を持ち上げると、闇の声はしばらく押し黙り、
「うちの土地で醸造った酒よりも美味いのか」
「老松様の口に合うかどうか。まずは飲んでみてはいかがです。参考になるかもしれませんよ」
晴久がそう言ったところで林の方から小さな歓声があがった。どうやら沙奈と利都、アキたちが再会を果たしたようだ。
「弟の娘は沙奈と言ったな」
「うちの利都よりひとつ下で7歳になります」
「……」
闇の奥から思案気な空気が漏れてくる。
「なにか気がかりでも?」
「いや、なんでもない。さて、当主の弟が持参したという酒を利くとしようかのぅ」
晴久は手燭の明かりを前方に向けて照らし、
「電球ではいけませんか。ろうそくの火は火事が心配でなりませんよ」
「たかだか廊下を渡ってくる間だけだろう。我慢しろ、ワシはあの作り物臭い明かりが大嫌いだ」
やれやれといった風に嘆息した晴久は、老松御殿へと廊下を渡った。
どこから入り込んだか。廊下の隅の方からカネタタキの鳴き声が、チッチッチと聴こえてきた。




