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守り人と金色の狐  作者: 高千穂ゆずる
狐狸ん堂の設立
10/22

狐狸ん堂の設立<8>

 本家を継いで当主となり、土地神である老松を祀り、護る新しい宮総代にもなった柿谷晴久との夕食に呼ばれた沙奈は、とうぜん両親もいっしょだろうと思っていた。

「沙奈だけだよ」

 父、倫久は小さなため息を吐いた後に答えた。

「え、なんでわたしだけなの? じゃあ、利久くんやりっちゃんといっしょ?」

「沙奈だけだよ。晴久伯父さんが話をしたいんだって」

「……」

「パパも詳しい話を聞いていないから、はっきりしたことは言えないけど、たぶん柿谷本家のことを沙奈にもっとよく知ってもらいたいんじゃないかな」

「それならパパが教えてくれればいいんじゃないの?」

「うーん、本家のことでもパパが知らないことを教えてくれるんじゃないかなぁ」

「ほら、この間おばあちゃんに昔ばなしを聞かせてもらったって、沙奈よろこんでいたじゃない? そんな風にほかにもいろんなお話があるのかもしれないわよ。晴久おじさんは、きっとそういうお話をパパよりもたくさん知っていて、それを教えてくれるんじゃないかしら」

 歯切れの悪い倫久をフォローするように裕子が言い添えた。もちろん裕子が晴久の真意を知るはずもない。

 倫久の妻である裕子でさえも、生前の当主から個別に食事に呼ばれたことなどないのだ。いったいどんな話をするのかなど、想像もつかなかった。

「パパも知らない秘密の物語だったりして」

 不安そうな顔を浮かべる娘を励ますように、裕子は言った。

 もちろん沙奈が当主の呼び出しを不安に思うのは、老松の後継と名乗るアキと遊んでいることや土地神である老松と会って言葉を交わしたことを内緒にしているからにほかならない。それを倫久と裕子が知るはずもないのだから、娘の不安げな様子を、話したこともないおじさんにいきなり食事に呼ばれた、しかも2人きりなのだからと思うのも無理からぬことだった。

「わかった。とりあえずおじさんの部屋に行けばいいんだよね」

 ふんっと鼻息荒く立ち上がった沙奈は、離れ屋を出て母屋へ向かった。


 沙奈は、当主と呼ばれる伯父の部屋で緊張のあまり目が回りそうだった。

(えっと、どうしてわたしだけが呼ばれたのかな。なにか怒られることでもしたかな。あぁでも思い当たることがいっぱいあって、どれで怒られるのかわからない)

 正座のせいですでに痺れ始めた足を摩りながら、ぐるぐるとそんなことが頭の中を駆け巡った。

 自宅マンションは洋室がほとんどで、完全な和室ははじめてだった。宿泊している離れ家も和室ばかりだが、旅館の趣があるせいかなんとなく受け入れていた。

 だが、自分の部屋となると沙奈は不思議な感覚だった。

伯父の部屋を視線だけでぐるりと見渡した。

(なんか……時代劇? みたいな部屋。わたしの部屋とぜんぜんちがう)

床にベッド、壁紙は爽やかな水色一色で統一していて落ち着く。勉強机は長く付き合うものだからとL字型ですっきりしたデザインを倫久が選んだ。

 そんな自分の部屋と柿谷本家当主の自室の違いを、緊張していたはずの沙奈はいつのまにか楽しんでいた。

 離れ屋のある庭に面した窓を背に文机があり、御殿に続く渡り廊下がある方角に襖はあるが、ぴたりと閉まっている。

 隣にもう一部屋あることは、林へ行く途中なんども見かけているので沙奈は承知していた。

「隣が気にかかるかい?」

 沙奈の視線がちらちらと隣室を気にしているように見えた晴久は、柔和な笑顔を浮かべて聞いた。

「お庭を散歩していて、そういえば渡り廊下のところに部屋があったなぁって」

「よく気づいたね」

 書き物をしていた様子の晴久はかけていた眼鏡を外して机に置くと、来客用の座布団にちょこんと座る沙奈の前にやってきて腰を下ろした。

 老松と同じような和服に身を包んだ晴久を、沙奈はじっとみつめた。台所と居間からにぎやかな声が聞こえてくる。向こうは大勢でテーブルを囲み、和気あいあいと箸を進ませているのだろう。

(あっちは楽しそうだな。今日の晩ごはんはなんだろう? いいなぁ。っていうか、晴久おじさんはなんでそんな離れた場所に座ったんだろう。イヤなの? 自分で呼んでおいてわたしの近くでご飯は食べたくないってことなの?!)

 晴久と沙奈の間には少し距離があった。声が聞こえないわけでもなく表情がわからないわけでもないが、微妙に離れた位置に当主が座ったことを気にした。

 そこへ襖越しに声がかかった。

「当主、膳を運んでもええですか」

「構わないよ」

「失礼いたします」

 襖がすうっと開いて、白木の箱膳が2人分運ばれてきた。それぞれ当主と沙奈の前に置かれると、

「山菜のてんぷらだ。春はいい季節だよねぇ」

 晴久は膳の上のてんぷらを見て、表情を緩ませた。

「沙奈ちゃんには大きなエビのてんぷらがついてるよ」

「あ、ほんとうだ。エビのてんぷら大好き! あれ、でも晴久おじさんにはついてないの、じゃなくて、ついていないんですか」

 うっかり両親の前と同じ言葉遣いをしてしまい、沙奈は慌てて言い直した。何せ目の前の人物は伯父とはいえ柿谷家の当主なのだ。

「言い直さなくていいよ、ここには2人しかいないんだから誰も叱ったりしない。それよりいただこうか。おじさん、お腹減りすぎて死にそうなんだよ」

「はい」

(なんだ、ちっとも怖くないじゃない。なんであんなに緊張してたんだろう? それにこれを置くために間を空けていたのね。緊張しすぎておかしなこと考えてた自分に笑っちゃう)

 山菜おこわと主菜はタラの目、こごみ、コシアブラの天ぷらで、沙奈には大きなエビが付いていた。

「このどじょう汁も美味しいんだよ、沙奈ちゃんは食べたことある?」

「ど、どじょう?」

 箸が止まった沙奈の様子に晴久は笑うと、

「どじょう汁って言うけど、魚のどじょうが入ってるわけじゃないよ。安心して食べなさい」

 どじょうの形に似せて作った蕎麦が入った味噌汁なのだが、沙奈は今まさに箸で摘まんだものがどじょうなのかと固まっていたのだ。

「沙奈ちゃんはそのままの姿だと食べられない?」

「食べられます。一夜干しの焼いた魚はおいしいから好きです。もしもこれが本物のどじょうだったとしても、きっと食べられます」

 沙奈はどじょう型の蕎麦をぱくりと頬張った。

「一夜干しは美味しいからね。上手に食べられるかな?」

「んー……まだへたくそです」

 狐のアキならきっと綺麗に食べるんだろうなと、魚の形を保ったままの骨を摘まんで得意げに笑う少年の姿を想像して沙奈はふふっと笑った。

「いいね、好き嫌いはないのが一番だ」

 魚嫌いの誰かがいるのか、晴久は笑い声があがる居間の方へ視線を向けて呟いた。

「あの、どうしてわたしだけが呼ばれたんですか?」 

 沙奈は思いきって訊いてみることにした。

「ここに利久くんやりっちゃんがいないっていうことは、わたしにだけ用があるんですよね。なにか特別なお話とかを聞かせてもらえる、とか?」

 祖母はあれから臥せってしまって部屋を訪ねることもできずに、聞かせてもらえたのは老松と白露の悲しい恋の話だけだった。

 母の裕子が言ったように秘密のお話を聞かせてもらえるのかもしれないと、沙奈はわくわくした気持ちで晴久の返事を待った。

「食べながら話そうか」

「……はい」

 晴久はそう言いながらも箸を置き、湯呑の茶をひと口飲んだ。

「おばあちゃんから老松と白露の話を聞かされたね」

 沙奈が小さく頷くと、

「白露がどうして消えてしまったか、わかるかな」

 白露は老松と同じように土地神で、人々の信仰がその存在を確かなものにしていた。信仰は絆であり、それがあるからこそ土地神の恩恵はその土地に生きるすべての生命に注ぐことができた。

「きず……な」

 沙奈の口から絆という言葉が出てきたことに、晴久は瞠目した。

 アキとの会話の中で出てきた言葉をふと思い出し、沙奈はそれを口にしただけだったのだが、驚いた顔で自分を見る伯父の様子に、しまったと思った。

 どうやって誤魔化そうかと必死に考えたが名案など浮かぶはずもなく。

「どじょう汁おいしい」

 と虚しく呟いた。

「今日、農作業しているおじさん達から変わった話を聞かされたんだよ」

 晴久はそこまで言うと、あとは黙って沙奈の顔をじっとみつめた。

 田起こしで飛び出してくる虫を食べ損ねたアマサギの為に、作業がこれから行われる田んぼを訊ねたときのことを言っているのだとすぐにわかったが、押し黙って自分をみつめてくる伯父の考えはまったく読めなかった。7歳かそこらの子供には土台無理な話だ。

「沙奈ちゃんはそのときに狐と狸の子ともいっしょにいたそうだね」

「……はい」

(野生動物が好きですって言っても、たぶん晴久おじさんは信じないだろうな。どこまでならしゃべっていいんだろう。アキに聞いておけばよかった)

 それでも柿谷家の当主に嘘や誤魔化しは効かないかもしれないと、沙奈は正直に話すことを決めた。ただ、老松とのことだけは黙っておくことにした。

 これだけは迂闊に喋ってはいけないことだと、胸の奥の警鐘が沙奈の本能に知らせているからだ。

「あの」

「視えているんだね、沙奈ちゃん」

 沙奈の言葉に被さるようにして晴久は言った。

 いつの間にか沙奈の箸は止まり、湯気が立っていたどじょう汁はすっかりぬるくなっていた。

(視えることは悪いことじゃないんだよね。だってこれは絆なんだもん。アキやチカ、それに老松さまとの)

 言い淀んでいる沙奈の様子から姪を困らせてしまったのではないかと感じた晴久は、右手を軽く振り、

「叱っているんじゃないんだよ。視えるということは柿谷家にとってはとても大切なことだから、沙奈ちゃんにその力があるというのなら喜ぶことなんだよ。だから正直に話してほしいんだ。視えているね、あの狐の子や狸の子が普通の野生動物の類じゃないことを」

 箸を置いた沙奈は、はいと答えて頷いた。

「沙奈ちゃんが本家に来て、おばあちゃんから老松様の話を聞きに行くとき、利久や利都の様子はどうだった?」

「なんだかもう聞きたくない感じでした。でもわたしは何度だって聞きたいと思いました。悲しいお話だけど」

「ふふ、聞きたくない感じか。うん、そうだろうね。2人は事あるごとに何度も聞かされたから飽き飽きしているんだろう。それは本家の、嫡子の子だからというのが大きいんだよ」

「ちゃく、し?」

「家を継ぐ子って言えばわかりやすいかな。柿谷で言えばおじさんがそうなるね。そのおじさんの子だから利久と利都は何度もあの話を聞かされるんだよ」

「パパはちがうんですか?」

「倫久は次男だからね。小さい頃に1、2回聞かされたくらいじゃないかな。おじさんに視る力がなくて倫久にその力があったなら、今ここで当主とか総代なんて呼ばれていたかもしれないねぇ。視る力の有る無しが柿谷を、守り人を継ぐ絶対条件だから」

「それならおじさんも視えるんですね! アキやチカとおしゃべりもできるんですね!」

「アキ……チカ? あの子狐たちの名前かい? そうか、名前を教えてもらえたのか。なるほどねぇ」

「……あ」

 視える力が絆で、それを共有できる存在が目の前にいるとわかった途端、沙奈の口からアキ達の名前がぽろりと漏れた。

 しまったと思ったが後の祭りだ。

「いいよいいよ、この部屋で話したことは誰にも言ったりしないから安心しなさい。きっとそのアキとやらに口止めされているんだろうけどねぇ」

 アキを知っているのか、晴久はちらりと渡り廊下のある隣室との境の襖を見て楽しそうに笑った。

「あの、わたしからも聞いていいですか?」

「なにかな」

「おじさんと老松さまは仲良しですか?」

「難しい質問だね。おじさんにとって老松様は土地神以上の何ものでもなくて、生涯を通じて絆を保ち続けなければいけないからとても緊張する相手でもある。祭のときには朝まで酒に付き合うから、これを仲がいいと言うのならそうなんだろうけど。ひとで言うところの友達だとは恐れ多くて呼べないね」

「パパは友だちと()()()()っていうのに行くけど、それとは違うんですね」

「倫久は……沙奈ちゃんのパパは外に出たから友達がたくさんいて少しだけ羨ましいかな。なんてね」

 当主であり総代であり、そして土地神との絆を持つ柿谷晴久の笑顔は沙奈の目にどこか寂し気に映った。

「わたしがおじさんと友だちになります。だって同じものが視える仲間だもん」

(そういえば老松さまもなんだかさみしそうに見えたな。2人とももっと仲良くなれば友だちになれてさみしいなんて思ったりしないはずなのに)

「同じものが視える仲間、か。面白いことを言うね、沙奈ちゃん」

「それなら利久くんとりっちゃんも仲間ですね」

「あの2人はどうだろうね。おじさんはわからないな」

「え、でもおじさんの子どもだからこのおうちを継ぐんですよね。継ぐには視えないといけなくて、それは絆をたもつ大切な条件なんですよね」

 沙奈の質問はもっともだった。正面からぶつけてくる問いに晴久は苦笑う。

「利久は難しい年頃になったせいもあって、あんまりおじさんとは話さないし、利都は利都で沙奈ちゃんとひとつしか年が違わないのに大人びたことばかり言ってて、おじさんはその半分も理解できないんだよ」

 晴久は父親らしい愚痴を零した。当主とはいえこの辺りは普通の父親と変わらないようだ。

「すっかり汁が冷めたね。温めなおしてもらおうか」

 言われて気づいた沙奈は、あんなに賑やかだった居間が静かになっていることに驚いた。壁にかかった時計を見ると8時近くになっていた。

(そんなに時間が経ってたんだ。晴久おじさん、話しやすいから時間が経つのがあっという間だったな)

「平気です。このまま食べちゃいます」

「そういえば、沙奈ちゃんは毎日どこかへ出かけているようだけど、なにか面白いことでもみつけたのかい?」

 晴久は好物だと言った山菜おこわを口へと運びながら訊いた。

「アヤカシさんたちの困りごとを解決してるんです……あ」

(しまった、またしゃべっちゃった。アキに怒られる~っ)

「視えるとね、どうしても手を出してしまうこともあるよねぇ」

 晴久は驚くこともなく、今度はしみじみ噛みしめるように言った。自分にも思い当たる節があるのだろうか。

「こ、ここでの話はだれにも言わないでくれるんですよね」

「もちろんだよ。とくにあの子狐には内緒にしておくんだろう?」

「晴久おじさん、ありがとうございますっ」

 もちろん内緒だと約束してくれたおかげで俄然食欲が出た沙奈は、山菜おこわも山菜のてんぷらも膳の上のものは皆ぺろりと平らげたのだった。

「ごちそうさまでした」

 両手を合わせて合掌する沙奈に、

「明日には帰るんだったね」

「はい、朝ごはんを食べてから帰るって聞いてます」

「次の長い休みとなると夏休みか。沙奈ちゃんさえ良ければ夏休みの間、本家に遊びにくるといい」

「はい! ぜったい来ます!」

 静かな山間の屋敷だ。弾けるような元気のいい沙奈の返事は自室に籠る2人の従妹や、離れ屋で寛いでいる倫久と裕子の耳にも届いた。


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