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守り人と金色の狐  作者: 高千穂ゆずる
2柱の土地神
1/22

狐狸ん堂のアヤカシ相談室

(1)


「だからワシが引き受けると言っているのだ」

 若々しい声の中に覗く傲慢さ。琥珀色の双眼は野心に溢れて光り輝いている。

「俺がなぜこうなったかを知りながら、なお、言うか」

 草深い地面に横たわり、ため息とともに言葉を吐きだしたのはこの地を守護していた土地神だった。

 灰色の狼の姿を借りた土地神は、すでに消えかかっていた。白煙のような靄を全身から立ち上らせて、

「信仰を失うとこうなるぞ」

 ぎろりと濁った眼を若い狐に向けて言い放つ。

「一度でいいから土地神とやらになってみたいのよ。信仰の対象になれるとか、そうはあるまい? だからお前さんは安心して譲ればいいのだ」

 若い金色の狐がにやりと笑って首を傾げた。

 狼の眼だけがゆっくりと夜空を見上げた。

「おまえ、名は」

「老松。ワシの名は老松だ」

「若造のくせに”老い”松か」

「なんとでも言え。さあ、早く譲れ。この地はワシがきちんと面倒見よう」

「……」

 狼は瞼を閉じて、大きく息を吐いた。

 長い息を吐ききると、灰色の全身は小さな光の玉になった。別れを惜しむようにそこら中を飛び回り、それから金毛狐の老松の中へと吸収された。


 老松が先代の土地神から守護を引き継いでから数百年は経っただろうか。

 山は訪れる四季にあわせて彩りを変え、ひとりで過ごす退屈な老松にひとときの楽しみを与えてくれていた。

 わずかだった麓の集落に人が増えると、元から住んでいた住民の中からまとめ役を担う一族も現れた。そのおかげか老松の力はみなぎり、結果増幅した土地神の恩恵により一帯は瞬く間に栄えた。

 人々からの信仰が失くなることも問題だが、土地から人間が離れて縁が途絶えてしまっても土地神の力は奪われていく。

 土地に人間が住み栄え、その恩恵を与える土地神に感謝を捧げる。その感謝の心を存在意義とするこの世界の土地神にとって、信仰を失うことと土地から人が去ることほど恐ろしいものはない。

 だから老松は、土地に生きるすべての命に与えられるものは惜しむことなく与えた。そのおかげで老松が守護している土地は栄えた。それは老松が代を代えても変わらなかった。

 老松は土地に住む命すべてを愛した。ひとも動物も草木もすべてだ。

 その日の気分で山を回ったり人里に下りて彼らの生活ぶりなどを観察したりしていた。集落のほとんどの人間は老松の姿は金色の狐のときだけ見ることができた。

 彼らと同じひとの姿をしているときは、まとめ役を担っている柿谷家の者しか見ることができなかった。

 先代が繋いだ絆を土地神の能力とともに継承したことに起因する。

「おや、ひさしぶりに降りてこられましたか」

 柿谷の棟梁があぜ道を歩く老松の姿を認めて声をかけた。

 汚れた野良着をはたいて泥を落とし、

「ちょうどひとやすみしよう思うておったところですわ。老松さまもいっしょに飲んでいかんかね」

 畑を振り返り、ひとやすみしようと妻や倅たちに声を張った。

「畑の土はどうだ。今年の作物はうまくできそうか」

「そりゃあもう例年通りにええ土ですよ。畑も広げたけぇね、倅が次からは機械で効率をはかろう言うとります」

「機械? 効率?」

 老松は聞きなれない言葉に茶を飲む手を止めて首を傾げた。すると倅のひとりが日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑いながら、

「ひとの手だけで作業しとったらおっつかんのんですよ。だけぇ、今度みんなで金を出しおうて機械を贖ういうことにしたんです。おっきい機械で一気に畑は耕せるし、収穫だって今までの何倍も早くなるいうもんですよ。それもこれもみーんな老松さまのご加護があってのことですけぇね」

「わしも早う隠居して、老松さまのお世話に専念したい思うとりますけぇ。あとは倅ら、若いもんに任せとこうか思うとったところです」

 棟梁は畑を眺めながら言った。

 遠くの畑では休憩を終えた集落のものが仕事に戻って行く姿が見えた。

 老松が土地神になったばかりの頃に比べて、ここいらの風景はがらりと変わった。それでも柿谷家の者だけは変わらず老松を祀ってくれていたし、その姿は集落のみなにも浸透していき、誰の指示なく社はいつもきれいに掃除されているし、供物も途切れることはなかった。

 彼らの信心に老松はいつも応えてきた。その関係性が強固な絆となり、すべてが良い方へと動いているのだった。

「棟梁、おつかれさんです。そこには老松さまがおいでですか」

 通りがかった年寄りが棟梁の横の辺りに視線を這わせて言う。

「ああ、わしの横に座っとんさるで。一緒んなって茶を飲んどるところよ」

「ほうかね、いつも土地を大事にしてもろうてありがとうございます」

 年寄りは深々と頭を下げたが、老松の姿が見えないので明後日の方向にお辞儀している。事情がわかっている柿谷の人間も老松も、その姿を笑うことはなかった。

「畑を広げて、その機械とやらで仕事がこれまで以上に捗るんならワシももっと気張らんといかんな」

 老松の目が果てまで広がる畑に向けられた。

「馳走になった。美味かったぞ、棟梁」

 湯飲みを棟梁の手に戻した老松は、

「なんと見事な金毛のお狐さまだのぅ」

 そんな言葉を背に受けながら、老松は狐の姿になって山へと戻った。


 ずいぶんと長い間ひとりきりを過ごしていた老松の前に、一匹の白蛇が現れた。

「あたしは白露。この先の土地を守ることになったの。あなたと同じ土地神ってこと。よろしくね」

「そうか。そうだな、ワシ以外に土地神がおってもおかしゅうはないな。ワシの名は老松だ。隣り者同士、よろしゅう頼む」

「お近づきのしるしを持ってきたんだけど、どう、いっしょに盃を傾けない?」

そう言った白露は白髪の若いおんなに姿を変えると、老松の前に盃を差し出した。

「もらおう」

 老松も姿を若衆姿に変えて盃を受け取った。

 この日から、老松はひとりではなくなり、少し離れた土地を守護する土地神の白露と親交を深めるようになったのだった。


 中空にぽっかりと浮かぶ月。あまりの月の明るさで星はすっかり姿を隠していた。夜空を雲がゆったりと流れていく。

 丘の上に天を衝くように伸びる杉の巨木が月光によって影を落としていた。

 巨木の下では地面に横になって寛いでいる男がいた。黒く艶のある長い髪、同じ色の着物の裾からは足が投げ出され、ぽりぽりと虫に食われた脛を掻いている。

「老松」

 名を呼ぶ声のする方へ老松が視線を向けると、

「露」

 と上半身を起こして手を振った。

「いい月夜ね」

 老松、と言葉をかけながら坂を上ってきたのは美しい白髪を風に遊ばれている白露だ。鶯色に菊の花模様が染め抜かれた小袖姿がとても似合っている。両手になにかを下げているようで、目敏く見つけた老松の黒い双眼がきらきらと輝いた。

「いちる婆ちゃんがくれた酒と干し肉よ」

 老松の目の前に角樽を置き、干し肉が包まれた革袋は老松に差し出した。

「いちる婆さんは元気そうだな」

「でも社に来るのが辛そうになってるみたい。来るたびに膝をさすっていて、痛みはそのときに取ってあげるんだけど、あまり長くもたないみたいね」

「いちる婆さんは何歳だ?」

「そうね、そろそろ90にはなるんじゃないかしら」

 角樽の栓を抜いて盃に酒を注ぎながら露――白露は答えた。

「じゃあ、そろそろあの世へ旅立つ頃合いか」

 酒で満たされた盃を白露から受け取りながら老松が憎まれ口を叩くと、

「あたしの心の準備ができていないんだから、冗談でもそういうことは口にしないでよ」

「うわ、なにするんだ、露っ」

 引きちぎった草を白露は老松の顔めがけて投げつけた。

「いい気味」

「おい露、悪かった。そんなに怒るなよ。いちるならあと数百年は生きるだろうから心配するな」

「……。だってまだ跡継ぎを連れてきていないから、あたし不安で仕様がないのよ」

「いちるはもう90になろうかって歳なんだろう? それがどうしてまだ跡継ぎを連れてこないんだ」

「知らない。いちる婆ちゃんに聞いても話を濁すだけだから、まだ決まっていないんだろうなってことくらいしかわからない」

 手に持った盃に視線を落とした白露は、泣きそうな顔で言った。

「いちるは露が土地神になって最初の守り人だったな」

「そうよ。老松は長いんでしょ?」

「……。露が守る土地はワシのところよりずいぶんと山奥だからな。社もとうぜん山奥だ。いちるとおまえは通じ合っていたから姿も見えていただろう。だが、必ずしもいちるの子らに土地神の姿が見えるとは限らんし、祀ってくれるとも限らんからな」

 老松の言葉が重く白露の心にのしかかった。

「老松にもそんなことがあったの? 誰も参らず祀られない時期が」

「案ずるな、いずれいちる婆さんが跡継ぎを連れて挨拶に来るさ」

 不安な表情が抜けない白露の肩を力強く抱き寄せた老松は、

「社さえあればだいじょうぶだ」

 土地神であるという誇りが保てるのは社を持っているからだ。

 形のあるなしで大きく変わる。

 人間は目に見えるものを信じたがる生き物だ。

「今日はもう帰る。いちる婆ちゃんを信じてもう少し待ってみるよ。酒も肉も老松がぜんぶ食べていいから。慰めてくれた礼だと思って、ね」

 白露は老松から離れると、坂を下って行った。

 彼女の後ろ姿を見送る老松の表情は複雑だった。

 同じ土地神である老松だが、白露とは少し事情が違う。

 老松の社はひとが住む集落の中にあり、住人はすべからく信仰心が篤く、いつも誰かが社の世話をしているからだ。

 だが白露は違う。

 彼女が守る土地は自然が多く残る山奥だ。本来の姿である白蛇のときに出会ったいちるとの絆がきっかけで、土地神と守り人の関係が始まったのだ。

「社さえあれば」

 絆を持つ相手が変わっても、自分が土地神であることは変わらない。

 老松は、白露が去った方角をしばらくの間じっとみつめていた。


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