奴隷商令嬢と捜査官婚約者
身寄りのない子供と売買の伝手。両方あった場合、人はどうするだろうか。
私は――子供を売った。
初めての商品は義弟だった。
義弟は私が七つの時に父が親戚筋から引き取った子だ。引き取ったものの父は彼に関心が無かったようで、二歳年下の義弟は夜尿も治らぬまま放置され、客間で一日中ぼんやりと過ごしていた。
貴族の子供は教育を受けるもの、と家庭教師に習っていた私は、義弟の状況を知ると部屋から連れ出して授業を受けさせた。それからの義弟は目覚しい速度で知識も教養も身に付けた。
日に日に貴族子息へと成長する義弟を見ていて思った。
義弟を貴族へと成長させたのは、私を貴族たらしめるのは、家庭教師による教育なのか、流れる貴き血なのか。それとも、読み解く書物のお陰か、家庭教師が叩く鞭のお陰か。
そんな探究心がわいた私は、幼い使用人を数人捕まえて簡単な読み書きと計算を教えることにした。
間違う度に鞭を振るう者、正解する度に菓子を与える者、間違っても正解でも何もしない者。様々な条件付けで使用人たちに学習させ結果を吟味することは、私にとって有意義な趣味のひとつだった。
そうして義弟を筆頭に、幼い使用人を捕まえては教育を施していくこと五年。彼らは読み書きに留まらない成果を上げた。
特に義弟の成長は目覚しく、礼儀作法、剣術、語学、算術、歴史――思いつく限りのことを学ばせれば、ひと通りこなせる程度に習熟した。義弟には遠く及ばないが使用人たちも、それなりの知識と礼儀作法を身に付けた。
しかし義弟が使用人と比べ優秀なのは、貴き血ゆえか、学習時間と労働時間の差か、はたまた義弟が優秀なだけなのか。貴族子息の標本が義弟以外ないため判断がついていなかった。
義弟以外の貴族子息を教育して標本を増やしたいと思い始めた頃、私に婚約者ができた。
十三年生きていて、父と顔を合わせた回数は両手の指で収まる。そんな父に十三になったある日、朝食に呼ばれ、婚約者と顔合わせをするので支度をするように言われた。
父に素直に従い、その日の昼に婚約者と顔合わせとなった。
「カートライト子爵リチャード・コールマンだ。よろしく、可愛い婚約者殿」
そう名乗った婚約者は、淡い茶色の髪と深い青の瞳をした十歳年上の男だった。
「ホランド伯爵が娘、クレア・マクドネルと申します。よろしくお願いいたします、カートライト卿」
「婚約者なんだ、リチャードと呼んでくれ。クレア嬢と呼んでも?」
「はい、構いません。リチャード様」
家庭教師以外に初めて外部の人間に披露した淑女の礼は少しぎこちない。心象を悪くしただろうかと思ったが、リチャードは貴族らしい静かな笑みを緩めて微笑んでいた。
それからリチャードは月に数度、我が邸に訪れるようになった。
十も歳の離れた、邸の外に出たこともない世間知らずな小娘と話すなどつまらないだろうに、リチャードは滞在時間の大半を私とお茶をして過ごしていく。貴族と会話するなど初めての経験で、当意即妙はもちろん、正しい返答が出来ているかも怪しい。
そんな訳で、三度の訪問ですでに話題が尽いたので義弟を話題にあげたところ、リチャードは不思議そうな顔をした。
後から知ったことだが、義弟は養子の手続きがされていなかったため、書類上はマクドネル家の者ではなかったのだ。それゆえ、リチャードは私が義弟と呼ぶ存在を疑問に思ったそうだ。
「弟がいるのかい?」
「はい。親戚筋から引き取った義弟がおります」
「へえ、そうなんだ。どんな子?」
「優秀だと思っています。もし宜しければ、ご紹介しても?」
「ああ。是非お願いしたいな」
「畏まりました」
義弟を呼びつけリチャードに紹介する。義弟は緊張した面持ちながら、完璧な所作で挨拶を交わした。
リチャードはいくつか質問をし、義弟の回答に満足そうに頷いた。
「凄いな。これだけ受け答えできるなら、学院でも上位に入れる」
「あ、ありがとうございます……」
慣れない褒め言葉に義弟は赤面し、モジモジと俯いた。その様子をリチャードは穏やかな笑みで見守る。
私は茶を一口飲み下すと、次のリチャードの訪問までに確認することを思案した。
ひとつは商品の出生証書の写しを入手すること。もつひとつは――義弟に役目を与えること。
翌月もリチャードは訪れた。
定型の挨拶を済ませ本題を切り出す。
「リチャード様、我が家の“事業”はご存じですか?」
我が家の事業。
即ち、人身売買である。
ホランド伯爵領には多数の孤児院が存在している。そのほとんどが領主認可のものだ。
孤児院の経営はどこも良好である。何故なら時折、多額の補助金と引き換えに、乳飲み子も成人間近の孤児も領主が引き取るからだ。
孤児は減り金が手に入る。
孤児院にとってこんなに運営しやすいことはない。
無論、運営者が金を独占し孤児院の運営に回さず、劣悪な環境の孤児院もあったらしい。そのような運営者は厳しく処罰され、現在認可されている孤児院は一定の水準を保っている。
多数の孤児院にばら撒く多額の金。それをもたらすのは勿論、引き取られた孤児たちである。
引き取られた孤児には、三つの可能性が待っている。
一つは、領内で職を斡旋される道。
もう一つは、領主館で使用人として雇われる道。
最後の一つは――奴隷として売られる道。
職を斡旋された場合、領内の職人に弟子入りするか、見習いとして領騎士団に所属することになる。この道は成人間近の男子のみ選ばれる。女子の場合は、職人や騎士団員の嫁として引き取られる。
使用人として雇われた場合、領主館もしくは王都の屋敷で使用人として働くことになる。この道は一人の乳飲み子と、欠員分だけ、分別のつく者が選ばれる。
そして奴隷として売られた場合、その行く先は買い手次第である。商人に買われて労働させられるか、はたまた貴族に買われて性の捌け口にされるか。これは上記の条件から外れた者が、商品として商人や貴族に売られていく。
これが我が家の事業のあらましだ。しかし、この事業には大きな問題点がある。
人身売買は法により禁止されているのだ。
もし露見すれば一族郎党は離散し、当主である両親、両親に養育されている私と義弟、王都で売買を担っている叔父一家は投獄を免れないだろう。過去の例を見るならば、極刑を課せられる罪である。
リチャードは貴族らしい静かな笑みを湛えたまま、じっと私の目を見つめた。
「クレア嬢は”事業”がどんなものか知ってるのかい?」
「はい」
「それは、どこまで?」
「我が邸に納品されたいくつかを、私が教育を施している程度です」
「教育? クレア嬢が?」
驚きに目を丸くするリチャードに、そんなに驚くことなのだろうかと首を傾げた。そして、一つ気がかりを思いつく。
「はい。使用人たちは何か粗相をしてしまいましたか?」
「いいや。よく教育されていると感心していたんだ。まさかクレア嬢が教育しているとは思わなくて」
「お褒めに預かり光栄でございます」
社交辞令とはいえ、外部の人間から評価されるのは気持ちがいい。
リチャードは貴族にしては表情がよく動くと思ったが、どうやら相手を煽てるのが上手いようだ。意図しない話題になっても、不思議と心地いい。
しかし今日は楽しくお喋りしたいわけではない。
私の目的は、商談だ。
「リチャード様は“事業”の商品にご理解があると考えてよろしいですね?」
「ええ」
「では、商品をご紹介いたします」
私が呼び鈴を鳴らすと、すぐさま一人の使用人と義弟が入室した。二人に挨拶をさせ、リチャードには紙束を渡す。
「こちらは二人の出生証書と習得させた技能の一覧です」
「へえ、これは凄い」
「この二人を一旦お貸しいたします。もしお気に召しましたら、そのままお買い上げいただたいて構いません」
チラリと義弟を見やると、彼は己の責務を心得たとばかりに頷いた。
私が義弟に与えた役目は一つ。リチャードが信頼できる取り引き相手かどうか見極めること。
「いかがでしょうか?」
「申し分ないよ。それで、支払いはどのくらいかな? それとも何かと引き換えかい? 宝石? ドレス?」
「では、医師を」
「医師?」
「はい。ここホランドでは未だ、医術は聖職者が独占しています。なので、聖職者を排除した医学を学ばせる講師として、学問としての医術を修めた医師を招きたいのです」
「なるほど、実に聡明な考えだ」
「恐れ入ります」
リチャードとの商談は滞りなく進み、半月後に商品の受け渡しとなった。
受け渡し当日、商品の納入を終えてリチャードとお茶をした際に訊ねた。今までの月に数度ある面会の時に納品すれば移動の手間がなかったのでは、と。するとリチャードは破顔した。
「それは僕が嫌だったので」
「何か不都合が?」
「商談を抜きにクレア嬢に会いたいんだよ」
言葉の意図が分からず返答に困ってにいると、リチャードはクスリと楽しそうに笑った。
「いや、今は伝わらなくとも」
リチャードの意図を知るのは三年後、マクドネル家が人身売買の罪で捕縛された時だった。
リチャードと取引を始めて三年が経った。
リチャードについて探るよう送り出した義弟は、王都の学院で優秀な成績を修めているらしい。リチャードは良き雇い主のようで、先行投資として義弟を学院に通わせ不都合のない暮らしをさせているそうだ。
三年の間に売った使用人達も全員まともな処遇を受けているようだと、定期的に帰省する義弟から報告されている。
また、リチャードは取引相手として申し分なく、私が要求する品を滞りなく手配してくる。
ゆえに、この三年間は満足のいく穏やかな時間だった。
そして、違法の上に築かれた平穏は破られる。
「王命である! ホランド伯爵に告ぐ! 人身売買に関わった罪により、身柄を拘束させていただく!」
まだ夜も明けきらぬ薄明かりの中、高らかな宣誓と共にホランド邸に王立騎士団が押し入った。
突然の訪問者に驚いたが、お陰様でスッキリと目が覚めた。使用人達に無抵抗でいるよう指示を出し、寝巻きを着替える。
一人で着る簡素な服を身に着け終えると、ノックと共に男性の声で呼ばれた。
「おはよう、クレア嬢。開けても平気かな?」
入室を許可し入ってきたのは、外で鳴る甲冑の音とは無縁そうに、今までと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたリチャードだった。
「朝早くにすまないね。支度は手伝いが必要かな?」
「おはようございます、リチャード様。支度は済んでおります」
「それはよかった。早速で悪いが、付いてきてくれるかい?」
「はい、勿論」
「では、お手をどうぞ」
差し出された手に引かれるまま部屋を出る。
下働きの使用人が働き始めたばかりの早朝とあって、大きな騒ぎにもならないまま全員が捕縛されたようだ。
忙しなく歩き回る騎士に敬礼を受けながら、リチャードにエスコートされ屋敷の外に出る。門の前に停められた箱馬車に乗せられて困惑した。
馬車の中は綿がぎっしり詰まった座面とクッションがあり、床は汚れなく磨きあげられている。華美さこそないが、手のかかった質の高い物だと分かる。
罪人とはいえ、貴族籍の者を護送する馬車とはこういうものなのだろうか。
戸惑う私の向かいにリチャードまで乗ってきて、ますます困惑が深まる。そればかりか、リチャードは戸を閉め御者に馬車を出させた。
「……立派な馬車ですね」
「狭くて悪いね。距離があるから、これ以上大きい馬車だと時間がかかってしまうんだ」
「いいえ、快適です」
何故、両親とは別に護送されるのか。何故、リチャードと同じ馬車なのか。
様々な疑問に支配され言葉を紡げない私を眺め、リチャードは愉快そうに笑っている。それは、初めて商品を取引した時とよく似た笑みだった。
どうにも纏まらない思考を言語化するのは諦める。代わりに、流れ行く景色を小さな窓からそっと覗いた。初めて見る光景に魅入ってしまう。
「何か面白い物が見えた?」
「はい。馬車に乗るのは初めての事ですので、とても興味深いです」
本当は馬車に乗るどころか、邸の外に出ることが初めてだ。目に飛び込む全てが目新しい。十六年間住んでいる邸の全貌を見ることすら初めてなのだ。
教師に聞いた、使用人が言っていた、本で読んだ、義弟の手紙で見た、そういう物がきっと通り過ぎているのだろう。
思考を放り投げ景色を眺める私を、リチャードは何も言わず見守っていた。
目的地に着いたのは、夕日の残滓も消えかかる頃だった。
促されるままに建物に入り連れてこられたのは、数人の男が忙しなく紙をめくりペンを走らせている部屋だ。
「リチャード・コールマン、重要参考人であるクレア・マクドネルを連れ、帰還致しました」
「ご苦労。待っていたぞ」
リチャードが声をかけたのは部屋の奥、一際大きく書類に埋もれた机に座る男だった。
応接室に通され、リチャードと共に男と対面する。
「さて、私はグラハム・スタンナードだ。ここ、検察局の長官をしている。貴方はクレア・マクドネル嬢で間違いないかな?」
「はい。私がホランド伯爵が娘、クレア・マクドネルです」
「よろしい。今回の事件について説明する前に、これに署名してもらおう」
そう言って差し出されたのは、リチャードと父の署名がされた婚姻届だった。しかも届出日が、とうに過ぎたはずの十六の誕生日の。
「あの、これは……?」
困惑する私の手を握り、リチャードがニッコリと爽やかな笑顔で言った。
「すまない、順序を間違えてしまったね。クレア嬢、僕と結婚してほしい」
「いえ、結婚も順序も構わないのですが、届出日が過去の日付であること、そもそも何故リチャード様と婚姻するのか理解できません。私は人身売買の罪人として連れてこられたのではないのですか?」
私が疑問を口にすると、リチャードの笑みが引きつった。一方、長官は笑いに肩を震わせ苦しげに息を吐き出している。
リチャードが今度は私の両肩に手を置き、諭すようにゆっくり言葉を紡ぐ。
「あのね、クレア嬢」
「はい」
「君は罪人ではなく、重要参考人として来てもらっている。君に罪状はない」
「何故ですか? 私が人身売買に関与していることは、リチャード様がよくご存知のはずでは?」
この三年間、義弟から始まり幾人もの使用人を商品としてリチャードに売ったことは、覆しようのない事実だ。
その事はリチャードが一番よく知っているはずなのに。そして、彼が私に明かしていないであろう所属を考えれば、改竄文書を作ってまで婚姻関係になりたいなど。ますます意味が分からない。
「ああ、それはだな。君がしていたのは人身売買ではなく、奴隷の解放。家長に逆らえぬ令嬢の身でありながら、奴隷として売られゆく領民たちを憂い、婚約者を頼って彼らに自由を与えた聖女。そういうことになっている」
「……は?」
長官の芝居がかった口調の説明に、今度は礼節を忘れた声で返答してしまった。あまりにも実情と乖離した評価に絶句するしかない。
「君がただのご令嬢として生活していたとしても、よほど悪辣な所業をしてない限り極刑は免れただろう。だが、君はリチャードに金を受け取らずに奴隷を卸していただろう? それを鑑みて無罪放免というわけさ」
「ですが、金銭ではなくとも商品の対価を受け取った以上、人身売買は成立しています。それは処罰の対象になるのでは?」
私の問いかけに、長官がリチャードに「彼女、なかなか頑固だな?」とこぼす。リチャードは長官に肩を竦めてみせると、微笑んで私に答えた。
「法の上で人身売買は『他者の人身を不当に拘束し、他者の人身の所有権と引き換えに、私財を肥やす為に金品を得る行為』と定められている。
つまりね、クレア嬢のしたことは人身売買に当たらない。貴女が要求した対価はどれも貴女個人の私財となる物ではなく、領民たちに分配されたからには罪にはならないんだ」
「しかし、それは……」
確かに結果だけを見ればリチャードの言う通りなのだろう。だが、私は己の探究心を満たすために、己の意思で人身売買を行ったのだ。違法なことと知りながら。それは十分に罪なのではないか。
そう言いつのると、長官は声を立てて笑い、リチャードはとろりと目を細めて私の頬を両の手で包み込んだ。
「クレア嬢」
顔を上げると、深い青に捕まった。
瞳の奥でゆらゆらと烟る、今まで誰にも向けられたことのない感情を湛えて。
「善悪も超越して他者をみることの出来る貴女の眼は、何にも替え難い才能なんだ。僕は貴女のその眼を美しいと思っているし、善悪を理解しながら他者のために悪をなす貴女の心が好きだよ」
リチャードの少しかさついた指先が目尻を撫でた。
撫でられたのは目尻なのに、何故か背筋が熱く粟立つ。
「クレア」
貴族的な静かな笑みはなく、貴族らしからぬ豊かな表情もなく。深い青の瞳だけに感情を烟らせて、リチャードは囁くように告げる。
「愛してる。結婚しよう」
背筋を這っていた熱が全身へ燃え広がり、軋むように鼓動が速くなる。初めて味わう感覚に、息を潜めて瞬くしかない。
この情動の名前を、リチャードは知っているのだろうか。揺らめく青を見つめても、私には何も分からない。
「……いつから、そんなことを思っていたのですか?」
吐き出した息は思いのほか安定していて、そこから全身に回っていた熱も冷静さを取り戻した。
「貴女が商談を持ちかけてきた、あの時から」
三年前の私は邸から出たこともない、学も才もない十三の小娘だった。やっていたのは義弟と使用人に教育の指示をした事だけ。
世界を知ろうとすることも、何かを成そうとすることもない、ごくつまらない小娘だった私が、本当に彼の琴線に触れたのだろうか。
「言っただろう、貴女には商談抜きで会いたいと。それに、貴女への贈り物には気持ちを込めて選んだのだけれど……伝わらなかった?」
困ったように眉尻を下げるリチャードの言葉に、彼が贈った品々を思い返す。それらは、髪飾りやデイドレスや靴や筆記具といった、ごく普通の身の回りの物。成人用よりは甘く、子供用よりは繊細な、若い娘向けの可愛らしく華奢な作りの品々。
そんな貴族令嬢として、あるいは平民であっても普通のはずの、身体の成長に合わせた物――下着の一枚でさえ、三年前の私は所持していなかった。
物心つく前から自室にあったのは幼児用の小さな物しかなく、成長してからは父母に下げ渡された成人向けの物しか与えられなかった。
幼少期に与えられた衣服は既に袖を通すことも出来ぬほど小さく、母から下げ渡された衣服は襟が肩を落ちるほど大きい。ずっと自室にある机も椅子も寝台も脚の収まりが悪くなる。一方、父から下げ渡された筆記具はどれも幼い手にはあまりに重く太いため、手を痺れさせた。
例えば、リチャードからの初めての贈り物。女性用の万年筆。軸は限界まで細く、優美な装飾のされたそれはすぐに手に馴染み、長時間の筆記にもよく耐えた。
例えば、誕生日の祝いとして贈られた服の数々。邸に王都の人気店の仕立て屋を呼び付け採寸して仕立てた服は、下着から外套に至るまで成長した私の体のために誂えた物だった。
その一つひとつを思い返しながら、リチャードの顔を見つめる。
薄い茶色の髪に、深い青色の瞳。左右差の少なく血色のいい相貌。貧弱ではない、程よく引き締まった体付き。検察局に勤務できる伝手と能力。
それらを備えた男が書類の偽造までして、罪人紛いの私を欲すると言う。その想いを贈り物に込め、三年の月日を過ごしたのだと。
正直に言ってしまえば、理解も共感もできない。それでも、分かることがある。
先程リチャードに愛を告げられた時の、烟る瞳に捕らわれたあの感覚。目尻を撫でられた時の、熱く粟立つあの震え。
私の世界の全てだった邸の中で経験したことのなかった高揚感を、もう一度知りたい。それをもたらすのがリチャードだというのなら、私は──。
「リチャード様」
「うん」
頬を包むペンだこのある節だった手に、私の薄い手を添える。
青い瞳を見つめれば、その目尻が赤く染まっていることに気が付いた。頬を染め、視線が交われば柔らかく目を細める。
ずっと貴族らしく静かに微笑むばかりだったリチャードが、顔色を変えてまで求婚している。
それが何故か、私の鼓動を速める。
「私を貴方の妻にしてください」
視界が暗くなる。
初めて感じる、全身を覆う熱と拘束。
「クレア」
「はい」
「クレア」
「はい、リチャード様」
ますます拘束が強くなる。
息苦しいほどなのに、それが心地よくてリチャードの胸に頬を寄せる。
「愛してる。結婚してほしい」
「……はい、リチャード様」
私よりもずっと速い鼓動を聴きながら、束の間の安息に浸り、瞼を閉じた。