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ちちんぷいぷいの召喚  作者: 月之影
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ちちんぷいぷいの召喚

 数学のテスト中だった。中間テストは家の事情で受けられなかったから、わたしの二学期の成績は期末テストにかかっていた。


(なのに、最悪っ)


 最後まで解ける問題がほとんどない。


(せめて筆記なら、おまけで部分点もらえたかもしれないのに……)


 恨み言をいっても仕方がない。テスト範囲を間違えていたわたしが悪いのだから。


 ――マークシートは鉛筆を転がせ。


 そんな描写がいつか読んだ漫画にあったけれど、わたしの手元にあるのは鉄製のシャープペンシル。高校生が持つには立派なものだけれど、こんなもの転がしたら床に落ちて気まずい思いをするだけ。


(ああ終わった……)


 どうしても家を出たかったのに。底意地の悪い義父と義兄をわたしの家族よって、勝手に人の日常をめちゃくちゃにした毒母から逃げたかったのに。この成績では成績上位者対象の給付奨学金は難しい。


 滲む涙を堪えた――。




「えっ……?」


 力いっぱいシャープペンシルを握って、冷静になれと自分にいい聞かせていたはずなのに、引っ込めた涙のあとに映ったのは見知らぬ景色だった。


 明らかに教室じゃない。薄暗くて、なにか香を焚いているのか、癖のある香りと煙たさが鼻を通って胸やけがするほど。


 わたしの前には、ベールを頭から被った誰かの背中がある。頭も背中もベールで隠して、それどころか、ベールと同じような布を足元にまで纏わりつかせて、長い裾で床を擦って歩いている。


 その人の前も、その前の人も同じ格好をしていた。みんな細身で背が高い。

 先頭の人の前には、胸高の大きな釜。轟々と炎が揺れている。

 炎の向こうにはRPGに出てくる神官のような恰好をした男性がいた。


(どこここ……)


 前の人の背中が一歩遠のいた。なぜわたしがこの列に並んでいるのか。

 知らない場所に一人置いて行かれるのは不安だから、離れた距離だけわたしも歩を進める。


(なんなのよ、もう……)


 左右を見る限り、ここはコロッセウムのような円形建造物の底らしい。わたしが並んでいる列は地面より1メートルほど高い石造りの道になっていて、炎が上がる釜が恐らくここの中心。通路脇には少し距離を開けて、頭を布で覆った人たちが密集している。壁はすり鉢状になっているらしく、下から上までみっちり人が詰まっていた。


(怪しい組織のコンサート会場みたい……)


 だとしたら、スタンド席もアリーナ席も満員御礼。人が多すぎて、気味が悪い。これだけ多くの人が集まっているのに、静かなのだ。聴こえるのは、ときどき上がるどよめきと、押し殺した囁きが生み出す空気の揺れだけ。


 前の人の背中に隠れてこそこそとあたりを観察しているうちに、列は進んでいた。とうとうわたしの前には一人だけ。


 その人がセンターステージに上がる。花道とセンターステージは、二段の階段で繋がっていた。

 前の人がいなくなって心細い。次はわたしが階段を上る。


(えっ?)


 前の人の背中から、囁き声が聞こえた。そしてその直後、炎がボッと形を変えた。同時に上がる観客のどよめき。


(見間違えじゃない)


 轟々燃え上っていた炎が、確かに獣のような、人のような影を形どったのだ。


(なに、いまの……)


 さっきまでは遠くて分からなかったけれど、炎になにか投げ入れているのだろうか。


(ご焼香みたいな?)


 動揺するわたしを残して、前の人の背中は脇にある通路に消えていった。一連の動きはとても事務的だ。いつか参列した親戚の葬儀みたいに、わたしは前の人の見様見真似をするつもりだったのに、手元が見えなかったのは痛い。


 わたしは動揺を悟られぬよう階段を上り、燃え上る炎の前に立った。


 こんな怪しげな集会のど真ん中で騒いだら、なにをされるか分からない。異教徒に対して乱暴な宗教組織の話はニュースでも見ていた。


(なにかブツブツいっているふりをして、さっきの人みたいにお辞儀をして、あっちの道に行けばいいかな)


 釜の向こうにはこちらを見張るように佇む神官もどきさんがいる。この距離と炎の音があれば、見咎められることはないだろう。


「えーっと、ここはどこなんでしょうね。もし試験中に寝ているのだとしたら、即刻起きてほしいのですが……」


 小声で適当に声を出して、お辞儀する。どさくさに紛れて、不安を口にしてみた。

 けっこううまくやれたと思う。


 だけど、その場を去るべくかかとを動かすや、直接耳に届くような叱責が前方から飛んできた。


「なにをしているのです。早く呪文を唱えなさい」

「えっ」


 距離も炎の音も無視して、その声はよく通った。思わず顔を上げるけれど、神官みたいな装束が炎の向こうに見えるだけで、顔までは見えない。


「聖なる火が消えてしまいます。早く」


 言葉通り時間がないのだろう。一度目よりも早口で早くしろという。


「え、でも、なにをしたらいいの!?」

「つべこべいっていないで、早くしなさい。あなたはみなを混沌に巻き込むつもりですか!」

「ええっ!?」


(焦らせないで! なんなの! 絶対睨んでる! 怖いってば!)


 混沌!? 現代文の教科書にしか出てこないような単語を持ち出されて、余計に焦る。早く早くと急かすくらいなら、具体的にどうしたらいいのか教えてくれればいいのに。


 わけが分からなさすぎて、イライラするのと不安なのと泣きそうなのとで、わたしはもう爆発寸前だった。


 だけどそれは、やたらといい声をした目の前の偉そうな男性も切羽詰まっていたようで、釜を呑み込まんばかりに燃え上っていた炎が薄く色を変えた瞬間、神官もどきの感情が爆発した。


「早くしなさいっ!」

「あーもう! ちちんぷいぷいのぷーーーーい!」


(ヒステリーな男って、本当に最低!)


 イライラした感情はまわりにも飛び火する。

 やけっぱちになったわたしは、わたしが知る中でも混乱のさなかに浮かんだ、唯一の呪文を腹の底から炎に向かって叩きつけた。


 大声で叫んだあとに、ビビディバビィブウのほうがかわいかったかなと、もうひとつ呪文が思い浮かんだけれど、そのときにはもう、やっぱこっちでなんていえない状況になっていた。


「ははははーい!」


 妙ちくりんな返事が聞こえたかと思いきや、静まりかけていた炎は再び大きくうねりを上げて、ゴオッと唸った。そして、獣のように、人のように造形を変えた後、炎の前には、教科書を広げたくらいの大きさの雲が浮かんでいたのだ。


「へっ?」

「はい?」

「な、なんだあれはっ!?」


 その一瞬で、私語厳禁は解禁されたらしい。方々から抑えることのない戸惑う声が上がり、中心から円の外側にかけてざわめきが大きくなっていく。まとまりなく、密集した数多の人間が混乱し騒いでいるように見えて、異口同音に叫んでいるのは、わたしの気持ちと同じ。


(ええっ、なにこれっ!?)


 ――雲。お空に浮かぶ、雲。子どもが描いたような、もくもくした縁取りの雲。雲が、はしゃいだみたいに、くねくね浮かんでいた。


「ははははーい! 契約ね、オッケーオッケー、すぐしちゃうよ。ぷぷぷぷーい! はい、契っ約っ! 末永くよろしく~」


 目の前に浮かぶ布綿の塊みたいな、綿菓子を引きちぎったみたいな、いや、でもこれ雲だよな水蒸気なよなっていう謎の物体を呆然と見つめるわたしのことなんてお構いなしに、雲はチャラいくらいにテンション高く、一人でしゃべって、一人でくねくねして、なんかピカって発光させて、わたしの目線の高さでくるくる回って見せた。


「え、なに……」

「それは、なんの精霊ですか?」


 騒然とする中、唖然といった感じで、ヒステリーを引っ込めた神官もどきが呟いている。

 あれだけ轟々いっていた炎は、釜の底で燻って小さくなっていた。


「このような姿は、見たことがありません。あなたは、なんの精霊を召喚したのですか」

「せ、精霊? 召喚? え、わたしが聞きたいんですけど……」

「召喚する際に精霊の名前を呼んだでしょう。あなたに分からなくて誰が分かるんです!」


 神官もどきは大変に気が短い気質らしい。ちょっと落ち着いたかと思いきや、またヒステリーに責めてくる。


(精霊って精霊!? 怪しい宗教団体っぽいとは思っていたけれど、精霊召喚なんて怪しいことしていたの!?)


 びっくりはするけれど、わたしに答えられることはない。咄嗟に叫んだ「ちちんぷいぷい」が精霊の名前なんてことはないだろう。


 神官もどきはまだなにか捲し立てている。質問しておいて、ずっと喚いているのだから、義父に似て起伏の激しい義兄を思い出して気分が悪い。


 いやな気持ちになりかけたところで、ゆるキャラみたいな造形の雲が、ふよふよとわたしのもとに寄ってきた。自然に持ち上がった手は行き場に迷ったけれど、そんなわたしの指先に頬ずりをするように、雲のほうから触れてきた。


(あったかい)


「あのねー、ぼくははぐれなの~。はぐれの精霊~。ぼくと一緒はいないの~。だからね、ずうっと呼ばれなくって~。ちちんぷいぷいのぷういは、そんな名前の子いないからね、だからね、ぼくでもいいでしょ? ってでてきたんだよ~」


 ふよふよと浮かぶ雲の口調は軽くって、やっぱりどこかチャラくって。だけど、触れた指先から、『一緒にいてくれたらうれしい』と、そんな切実な感情が流れ込んできた。


 センターステージのやり取りは、当然観客席には聞こえない。


「あなた……」


 マスコットのような明るい口調と、苦しいくらいに切実な感情。とってもチグハグな雲だ。


「おい、あれは本当に精霊なのか」


 ふよふよ浮かぶ雲は、彼らにとって歓迎される存在ではないのかもしれない。


(逃げたほうがいい?)


 観衆の言葉に耳を傾けて、歯を食いしばったときだった。


「ぶわっふ、ワハハハハハ!」


 豪快な笑い声が、戸惑う観衆の声も、澱んだ空気も吹き飛ばした。


 咄嗟に笑い声の発生源を仰ぎ見る。左前方の中段あたり、そこに、ひっくり返らんばかりに体を仰け反らせて空に向かって大声で笑う男性がいた。


 わたしだけじゃない、その場にいた全員が、豪快に笑う彼に注目した。


「こりゃあいい。トウマ、あの娘を嫁にするぞ!」

「ひええ、お頭、あの娘、巫女ですよ。王家のものを持って帰ったんじゃあ、戦になっちまう」


(嫁? わたしをっ!?)


 突飛な発言に、目を剥くわたしは、多分、豪快に笑う彼と同じくらいの大声で彼を諫める少年と同じ表情をしている。


「なにいってんだ。あの娘、いきなり出てきたじゃないか。顔も髪もついでに脚も丸出しで、巫女の格好なんてしちゃいねえ。妖の類だろう」

「あっ、あやかしっ!?」


 思わず叫べば、あんな遠くまで声が聞こえたのか、彼はわたしを見て、ニッと笑った。

 カラッとした笑顔に、なぜか胸が高鳴る。

 明るく笑う彼とは裏腹に、神官もどきさんは、サッと顔色を青くした。


「あ、あなたは誰です? ああ、なんということ。わたしとしたことが、異なる存在を招き入れてしまうところだった……」

「はい?」


 つい先ほどまで会話をしていたというのに、神官もどきさんは初めてわたしの姿を認識したかのように怯えている。神官もどきさんだけじゃない、ステージ近くにいた見物人たちも、数歩ずつ後ろに下がって、まるで恐ろしいものに出会ったかのような目でわたしを囲っている。


「聖女は八人。きちんと数えたはずなのに……」

「おおーい。この国の住人じゃなけりゃ連れて帰ってもいいんだろう?」

「お頭っ!」


 奇妙な空気もなんのその。いっそ明るさを纏った大声が、こちらに割り込んでくる。


 ここにいたら危害を加えられるかもしれない。雲云々よりもまずわたしが不審者なんだもの!


 わたしは足元からぞっと震え上がった。味わったことのない恐怖心の中、緊張をはらまない、場違いな彼の声は、わたしの救いだった。


「おっし。嫁さん連れて帰っかあ!」


 わたしは、きっと彼に、縋るような目を向けたのだろう。


 周りの視線から逃れるように彼のいる席を仰ぎ見た次の瞬間、彼はそれまでよりもさらに大きなカラッとした声を出して、中段から一気にわたしがいるステージまで駆け下りてきた。


 人とは思えない身体能力を発揮して、柵は飛び越え、観衆の頭上を舞って、センターステージに飛び乗ってきた。


(なんていう跳躍力なの)


「おおう。近くで見るとさらに別嬪さん。いい子を産めよ」

「子っ!?」


 紫を基調としたカラフルな生地を何枚も重ね合わせて、胸元と手首、足首には動物の骨で作ったような装飾品をジャラジャラと引っかけて、真っ赤でボリュームのある髪の毛は頭頂部にほど近い位置でひとつにくくっている。わたしよりも長いであろう髪の毛。ずいっと大股でわたしに近づいてきた裸足は大きくて、足裏の皮が厚そう。


「ビャン族の……」

「おう、そろそろお暇するぞ。ちゃんと立会人としての役目は果たしたしな。この娘は貰っていくぞ」

「ひゃあ!」


 いうやいなや、軽々とわたしを肩に乗せて、ステージから飛び降りる。

 その衝撃で腹部を肩に刺されて、「うぐっ」と苦い悲鳴が上がる。


「ひえ~!?」

「おお、元気だなあ。歯、食いしばっておけよ~」


 そのあとは散々だった。


 彼はまるで、風のように走り、次は曲がり、そして走った。わたしを肩に担いだまま、次は上へ下へと飛んで、また走ってと疾走し、暗い建物を抜けて、外に出たかと思いきや、すぐさまわたしを体の前に抱えこんで馬に乗り、これまた疾走。


 内臓を強く圧迫された上に、脳を揺らされ続けてとうとう嘔吐したわたしに彼が慌てるまで、彼の疾走劇は止まらなかった。ハリウッド映画もびっくりだ。


 そうこうして、頭の整理も心の整理も現状把握もできないままに攫われた先は、大草原の中にある数十にも及ぶテントの集落だった。


「おおい、嫁連れて帰ったぞー!」

「お頭っ! 嫁さん見つけたって!?」

「ちっちぇえ嫁さんだなあ。なんでこんなぐったりしてるんだ?」

「吐いたからな!」

「はあ!? もうおめでたか!?」

「お前じゃあるめえし!」


 大きなテントから、わらわらと人が出てきては大声で彼と言葉を交わして散っていく。


「お頭の嫁んなって、よかったねえ。大事にしてもらえるよ」

「う、あ、はい。はい?」

「ハナ、契約いっぱいだねえ~。ぼくとも契約、ガライとも契約~。末永く、末永くぅ~」


 雲は草原についてきた。精霊契約を結んでいるから、わたしがいるところには雲がいるらしい。


 精霊契約ってなんなの? って聞いたけれど、雲の説明じゃあさっぱり分からなかった。だからもう、雲はしゃべるペットだと思うことにした。


「ハナ、お前のテントはこっちだ」

「はあ、――ひゃい!」

「ウハハハハハ! 愛いやつめ!」


 そして、成り行きで夫になった彼は、底抜けに明るい人だった。


 ここに来るまでも普通に話しているだけなのに頭を撫でてきたり、肩を組んできたりとスキンシップが多いから、そんなやりとりに慣れていないわたしはいつも変な声を上げてしまう。


 堂々としているし、笑い方がおじさんぽいけれど、なんとガライはわたしと五歳しか変わらない。年齢を聞いたときには聞き間違いかと思って、二度聞いてしまった。


 彼は季節に合わせて草原を遊牧しながら生活をする狩猟民族の長だった。


 わたしの歓迎の宴にも、ガライとの婚礼の宴にも、大きな鹿のような角がある獣が丸々一頭用意された。肉といえばトレーに入ってスーパーに並んでいるものだったから、首を落とされた獣を見た日はしばらく、吐き気を隠すので大変だった。


 だけど。


「ハナ、すごいだろう! ハナのために狩ってきたぞ!」

「なに威張ってんだ。お頭は首を落としただけだろう。俺たちが追い込んだんだ」


 大草原で生きる彼は、地声が大きい。男性の大きな声は苦手だったけれど、わたしの姿を見つけるたびに「ハナ!」と彼が大きな声でわたしを呼ぶから、その数が重なるうちに、彼の声は好きになった。


 血の滴る動物も、瞳孔の開いた獣も怖いけれど、彼が仲間たちと命がけで狩ったものだ。わたしも、ほかの女性たちのように、ちゃんと解体できるように頑張る。


 こうしてわたしは彼の嫁になった。


 テストを受けていたはずのわたしが、なんでこんなことになっているのか、今も分からない。


 いきなり変わってしまった世界に、途方に暮れることもあるけれど、ガライが隣にいてくれる。得体の知れないわたしを、俺の嫁だっていって、抱き寄せてくれる。


 だから、わたしはこれでいい。彼の隣で、わたしは毎日が幸せだ。


 彼は今日も大きな声で空に向かって笑う。


 笑うときは、必ずわたしの肩を抱いて、自分のほうに体を寄せてくれる彼が、わたしは大好きだ。


 そんなわたしたちを、雲が嬉しそうに見つめている。


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