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異世界兵站株式会社II  作者: 門松一里
序章 野営のかがり火の外から来た見知らぬ人
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3.野営のかがり火の外から来た見知らぬ人(3)

3.野営のかがり火の外から来た見知らぬ人(3)


 昼前。リンダがベッドで微睡まどろむファロンにキスをすると、部屋を後にした。


 残されたファロンが薬指を唇にやった。


 髪の毛だ。


 熱いシャワーを浴びると、スーツに着替えてアタッシェケースを手にすると、フロントに向かった。


 エレベータ前に、ちょうど一人待っていた。ショートカットの美女だ。年齢は三十過ぎか。身長はファロンとそう変わらない。


 ホテルの制服で、名札に「コンシェルジュ塩瀬」(Concierge SIOSE)とある。


 塩瀬しおせが先に入って「何階でしょうか?」と英語で聞いた。


「グラウンドフロアをお願いします」


 容認発音(RP)で言うと、塩瀬が「かしこまりました」と答えた。英国でいうところのフロントがある一階だ。米国ではファーストフロアになる。


「ひさしぶりの日本はいかがでしたか? ミスター・ファロン」


 顧客の名前をすべて暗記しているらしい。


「美人が多い。君を含めて」


 破顔。


「それは光栄です」


 扉が開いた。


「ご案内しましょう」


「よろしく」


 たった一泊二日だったが、昨夜ラストオーダー時に部屋で食べられるように、前菜を頼んでいた。ファロンとリンダが部屋で飲んだのはモエ・エ・シャンドンのグラン ヴィンテージ。


 アメリカンエキスプレス ビジネスプラチナカードで支払った。


 墨月すみつき弁護士の会社の一つだ。


 依頼された件が終わるまで、このカード一枚で決裁できる。


 なお、年会費は最低賃金で一か月働いた額を上回る。それだけ墨月が稼いでおり、利用するだけの価値がある(#1)ということなのだろう。


 コーサウェイホテルのプリオーソライゼーションは宿泊費の二倍額請求される。


 スイート二名二十万円なら四十万円決裁され、飲食や物品などの差額を引いた分が払い戻しになる。もっとも実際の銀行決済は翌月だから、数字が移動しているだけにすぎない。


 もっとも、本人が了承したなら、それ以上支払うことができる。


 ペネロペの女友だちが、恋人のクレジットカードの利用限度額三万ドルまで使ったことがある。


 恋人は「出張から帰れない」とメッセージを送っていたが〝別の人と楽しんでいる〟ことを知ったその女友だちは知り合いを集めて一晩中ドンチャン騒ぎをしたのだ。


 ちゃんと友人たちと楽しんでいいか、電話で確認して恋人本人がホテルの決裁に同意していた。


 請求書が来る前に別れたそうだが、酷い話だ。


(どっちもどっちだが……)


 ファロンは呼ばれたが行かなかった。ヒューゴとアンソニーは、ペネロペに呼ばれてホテルの最高級シャンパンを堪能したらしい。


(なぜ行かなかったか……)


 ウェーバーに頼まれて、郊外にホテルに泊まっていたからだ。


(ああそういうことか……)


 ようやく今気づいたファロンだった。


 何のことはない。ウェーバーがペネロペに頼まれて、友人の恋人の浮気調査していたのだろう。


「あっ……」


 その友人の恋人は、リンダに似た年上のキャビンアテンダントだった……。


(まさか違うだろう……)


 当時の記憶を再構成するが、断片的で覚えていない。


(リンダの母か伯叔母かまたは姉か従姉かそんなところだろう……)


 あるいはまったくの他人の空似か。


「どうかなさいましたか? ミスター・ファロン?」


「あっいや……」


 明細を見せた塩瀬が訊ねた。暗証番号を入力した。


「ではこちらを……」


「コンシェルジュ」


 領収書を渡す塩瀬に、受付嬢が声をかけた。


「ありがとう。見送りはいい」


「あいすみません」


 と断って塩瀬が奥に消えた。


   *


 遅い昼食は神戸牛を堪能した。こうしたものを食べると米国の肉は食べられなくなる。


(もう二度と食べることはできないが……)


 食後の散歩に、三宮の地下街に入った瞬間、停電した。


(違う! 空間が!)


 歪んでいた。


「あっ!」


 前から来る殺気に、暗闇のなか後退あとずさった。


「ウッ!」


 右手に衝撃が走った。


(痛い!)


 血が流れる感覚に、アタッシェを手放して右手を押さえた。


(え?)


 あるはずの手首から先がなかった。


 左手が濡れている断面に触れた。


(手がない?)


 探す前に止血だった。左手でトラウザーズからベルトを引き抜くと、右手に巻いた。


「どうかなさいましたか? サー・ユズルハズル」


 男の声だ。


羽虫はむしだ。――術式を展開したはしはさまったんだ。窓を閉めるときに挟んだようなものだ。捨ておけ。大事の前だ」


 かすれた男が答えた。


「イエスサー。――アコースが見つけました。挟撃します。……これ食べていいですか?」


(ぼくの手!)


「後にしろ。術を解く前に回収させてやる」


「では、すぐに」


 気配が一つ消えた。


「……狼人ライカンスロープはヒトを食うのか? 獣人は理解できん」


 そう言うユズルハズルの足音が小さくなるように、ゆるやかに光が戻っていった。


 手首を落としたユズルハズルが消えた方向にまだ闇があった。


(アイツが闇をつくっている?)


 それにしてもまったく人気ひとけがなかった。


 落ちていた手首を拾って、アタッシェケースにそのまま入れた。つながるなら、ナイロン袋に入れて氷で冷やしたいところだが、さきほどまで営業していたどの店もシャッターが閉じていた。


(別世界?)


 どうやら違う世界に来てしまったらしい。


 ファロンが出口に戻ろうとしたが、施錠されていた。


 窓を割ったとしてもワイヤー入りガラスなので、開けることはできないだろう。


(まずは逃げるか……アコース? ……挟撃すると言っていたな……)


 狼人ライカンスロープ二名とその主人から逃げるほうが賢明だった。


#1.年会費は会計上経費として計上可能だから。




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