1.野営のかがり火の外から来た見知らぬ人(1)
前作は『異世界兵站 (ロジスティクス) 株式会社』の神聖リヴャンテリ王国側の話です。
本作は『異世界兵站株式会社II』は帝国側の話です。
1.野営のかがり火の外から来た見知らぬ人(1)
米国マサチューセッツ州ボストン市。コーサウェイホテル ボストン一七二九号室。
「正直者がバカをみる世界か……」
二十代後半の日本人の美青年が容認発音でそう言うと溜息をついた。身長は一六九センチメートル。スコッチグレインのインペリアルプレスティージのブラウンの革靴に、結婚前に九龍で仕立てたグレイのスーツを着ていた。麻の白シャツ。顎に血が付いているのは、自分で剃ったからだ。
「まあそういうな。命あっての物種だ。新しく人生をやり直すチャンスだと思えばいい」
ボストン訛りの目の前の日系弁護士はすべてを知っている。こちらは一五〇センチ未満で、靴はストレートのダブルモンク。革はフランス。紺のスーツはブルックス・ブラザーズ、シャツはボタンダウン。どこにでもいそうな弁護士だった。
何度目かの乾杯で、最高級シャンパン クリュッグを飲み干した。二人ならもう一本欲しいところだった。
「ペネロペは?」
「未亡人には昨日会ったが、元気そうだったよ。父を亡くした娘さんも」
「そうですか……。義父は何と?」
「義理の息子を信じていたと」
「嘘でしょう?」
「本当だとも。あの小心者の男は正直だけが取り柄だからね。お義母さんだが――」
「――いまだに『有罪だと決めつけている』でしょう?」
「別れるにはイイ時期だろう」
「そうですね……。ヒューゴ……」
善人面をした悪党だ。
「ウィリアム・ヒューゴ・パーマインはニューヨークでも起訴されているが、ボストンの罪状だけで生物学的寿命を越えている。――疑問なんだが、どうして見抜けなかったんだ?」
「五十ミリメートルの資材を発注するのにインチ換算で十五ミリメートルに再計算されていました。発注書をエクセルで作ったときに数値を入れていたんですが、変えられていました」
「ディスレクシアで数字の認識があまいとしても、後で分かりそうだが?」
「チェックをヒューゴとペネロペに任せていました。ペネロペも共犯なんですか?」
「証拠はない。パーマインは君の奥さんに惚れていたからね。罪を一人で被ったんだろう」
「真犯人はウェーバーです」
「そちらも証拠はない。ウェーバーが犯人だという証拠は?」
「渡したカードは……」
メモリカードだ。
「ウェーバーがどうしたかは知らない」
「……墨月先生?」
「何でしょう?」
「ウェーバーの温情で生きているのですか……?」
「そういうことだ。ウェーバーは労せずにすべてを手に入れた訳だ」
「良心の呵責はないんですか……」
「ないな」
きっぱり。
「そうですか……」
「新しい名前は何にする?」
墨月がMacBook Proを開いた。
「……ファロン。マーティン・ファロン」
「聞いたことがある名前だな……」
墨月がしばし考えたが、思いつかなかった。
「ジャック・ヒギンズの『死にゆく者への祈り』の主人公ですよ」
「ああ、ミッキー・ロークの」
「映画ではそうですね」
「ファロン……。スペルはFallon?」
「そう」
「どんな意味なんだ?」
メッセージを終えて、MacBook Proをアタッシェケースに入れた。
「アイルランド語で『野営のかがり火の外から来た見知らぬ人(ストレンジャー・フロム・アウトサイド・ザ・キャンプファイア)』」
「見知らぬ人か……」
「今や野営のかがり火の外ですから。……ところで、墨月先生」
「何かな?」
「なぜ歩けているんです? 車椅子は?」
「悪魔に魂を売ったんだ」
「そうですか」
「驚かないのか?」
「善人の弁護士なんて空想上の生物でしょう?」
天国と地獄で裁判をしたら、必ず地獄が勝つというジョークがある。なぜなら、弁護士は全員地獄に堕ちているから。
「一つイイことを教えよう。ウェーバーは昨夜逮捕された。君の釈放と前後して」
「罪状は? 天使に賄賂を渡した罪ですか?」
「警察とは限らない」
地獄は満員らしい。ファロンは、どうせロシアン・オルガナイズド・クライム(ROC)あたりだろうと見当をつけた。
「ともかく、君はマーティン・ファロンとして生きたまえ。パスポートは夕方には届く。受け取ったら――」
「――二十四時間以内に国外に出ること。二度とペネロペやカリンに接触しない。永遠に米国の土を踏まない」
「よろしい。ついでに一つ仕事を引き受けてくれ。ああ、そんな顔をするな。悪いことじゃあない。女を一人助けてくれたら、野営のかがり火の内に連れていってくれるだろう」
*
一週間後、ファロンは日本にいた。
「助け……」
深夜の地下街で、異世界の美しい女騎士が救いを求めていた。
倒れる。