マタズの樹海
固有名詞が多くなってます。
お楽しみください。
よっこらせっ……と……。
やあ、待たせてしまってすまない。
どうも最近は時間感覚が狂ってきてて……。
長生きも良いことばかりではないね。
さて、君にはどの話をしようかな。
あの話は君には恐ろしすぎるだろうし。
かと言ってこっちの話は創作感が強すぎて受けが悪いし。
……本当にあった話なんだけどね?
うん?
へえ、ふーん。
最近の子はそういうのが好みなのか。
意外だね……後味の悪い話が好きだなんて。
まあいいか。
◆◇◆
まずはこの国の名を、海洋国家マタタという。通称はマタタ。
北の大陸から南東の海に散らばる、11の島々からなる大きな国……といっても領域の殆どが海だけど。
かつては島ごとに意見が対立し激しく争ったものだが、とある騎士が島民を一つにまとめあげて国を興した。
その際にちょっとした事件が起きたんだけど、争いが無くなるのならそれは仕方の無い犠牲だったと私は思う。
さて、今回話すのはその海洋国家マタタと北の大陸との接合部とも言える場所に位置する「マタズの樹海」についてだ。
マタズの樹海より僅かに北へ位置するエデンタールという街に、スカム・ユララナココという男がいた。
スカムはマタタ出身で、世界を巡る旅をしていた。
目的は国や大自然の名所巡りといったところか。
彼のように旅をして知見を広める人は、総じて冒険者と呼ばれている。
スカムは冒険者になって10年目の……一応熟練、かな。
旅の始まりは22歳の時だったから、この時は32くらい。
その旅は出会いあり別れありの壮大なものだったそうだ。
そんな長い旅の最中、彼はマタタの近くまで来たことで急に帰郷したくなったらしい。
むしろよく今までその懐かしさを我慢できてたものだよ。
こんなにもマタタの海は美しいのにね。
しかしその帰郷には2つの問題があった。
1つは、彼が旅を始めた時にはマタタの領土だったはずの「マタズの樹海」が、マタタ領から完全に切り捨てられていたこと。
この話は直前にマタタに立ち寄った冒険者から聞いたらしい。
これはどう考えてもおかしい。
スカムは冒険者を始めて10年目だ、情報収集は怠らない。
だがマタタがそんな状況に陥ってるなんて、今の今まで一度だって聞いたこともなかった。
そもそもここ数百年世界で戦争なんて起こってないはずなんだ。
起こってたとしたら、近場に位置するエデンタールが無事であるはずがない。
結論から言うと、領土の取り合いなど起こっていない。
だから、原因があるとしたら海洋国家マタタそのものだ。
マタタが訳あって「マタズの樹海」を領土から外したんだと、彼はそう睨んだ。
その”訳”を知るために、彼は帰郷の意志をより強くした。
冒険者ってそういうものだから。気になったら調べたくなるんだ。
さて、もう1つの問題の方だが、彼はこっちはあまり重要視しなかったようだ……まあ領土問題に比べたらどうでもいいことかもね。
マタズの樹海を避けるように、新しい道が作られてることなんて。
本来なら直進できる場所を、わざわざ迂回させる道のことなんて。
彼はマタズの樹海を通ることを選んだ。
だって、そっちの方が早いから。
……君はスカムを間抜けだと思うかい?
でもこれは仕方の無いことなんだ。
本当にここ数百年世界で戦争なんて起こってないから。
この世界は今、あまりにも平和過ぎるから。
言っただろ?”一応”熟練だってさ。
◆◇◆
マタズの樹海、その語源は諸説ある。
そのまま”マタタ”が訛っていった説、
仲間との間に急に壁が現れることで離れ離れになってしまうことから”待たれず”説、
マタズの樹海のみに生息するとされた生物の舌先が二股に別れていることから”股舌”説、
たまに景色が変わるために迷いやすく何度も同じ樹を見ることから”又樹”説等々……
答えは私も知らない、気づけばそこはマタズの樹海と呼ばれていた。
新しい道へ誘導する看板を無視して3日目、スカム・ユララナココは樹海への第一歩を踏み出していた。
樹海は10年前と変わらず鬱蒼としており、よくよく見れば昔と変わらない位置に同じ樹が生えていたり倒木があったりした。
よく覚えてるなと思ったかい?
言い忘れてたけど、彼が旅を始めるためにまず通ったのがこのマタズの樹海だ……マタタの一番端といえば昔はこの樹海だったからね。
彼にとってはここが最後に見たマタタの領土だったわけだから、まさに大切な思い出というわけだよ。
そんな思い出の樹海は、10年程度じゃ姿を変えなかった。
それを心のどこかで誇らしく思いつつ、何故マタタはこの樹海を捨てたのだろうと再び思わずにはいられなかった。
久しぶりの樹海に心踊りつつも気は抜かない。
迷いやすかったのはスカムが生まれるより前の昔の話……今はある程度の道が樹海の中に引かれている。
その道を見失いさえしなければなんの問題もなく通り抜けられる。
――そのはずだった。
樹海へ入って4日目、あと5日ほどかければ樹海を抜けられる地点にて……彼は選択を迫られた。
剥き出しの岩肌と樹の根が目立つほどに抉れた道にて、それは唐突にあった。
道が、二股に別れていたんだ。
それも、直線の道に後付けしたような……幹に対する枝のような形じゃなく、元からそうであったかのように……マタタの樹海に生息する生物の首先のように。
彼は悩んだ。
昔は確かに一本道だったはず。
以前とは逆方向へ進んでいるとはいえ、こんな分かりやすい道の分岐を覚えていないはずがない。
だとしたらこの道は……?
記憶を辿り、4日間の道程を思い起こす。
その道程では、知らない倒木もありはしたがやはり10年前に通った道の記憶と一致する景色が散見された。
道を間違えているとは流石に思えないほどに。
実際、彼はここまで正しい道を進んでいた。
彼は木々の多い島で育ったからか、樹や地形の細かな違いを見分ける技術に長けていた。
そんな彼が、一度通ったことのある樹海で迷うはずがない。
樹海の中にそんな目印があるのか、と思ったかい?
分かる者には分かるんだよ。
君も自然の中で生きれば分かるようになるさ。
さて、選択を迫られたスカムだったが……彼も一応熟練、無策で初見の分岐に挑むほどには間抜けじゃない。
まず近場の樹より枝を取り、分岐の中間点に突き立てる……なるべく人工物に見えるよう、持ち合わせた縄である程度形作って。
そうして出来た簡素な標識に布を取り付ける……「順路不明、一時左へ向かう」と書かれた小さな布を。
間違いの道ならば、一度この分岐点に戻って今度は右に進めばいい。
無事に抜けられる道ならば、後に再来して正当な道だと示せばいい。
仮に自分が道に迷って……死んでしまった場合は、次に通る者が右の道を進めばいい。
今スカムに思い付く手はこれくらいだ。
人数がいれば別の手も打てたが、残念ながら彼は一人だ。
そうして、彼は分岐を左に進んだ。
足元が少し揺れたけど、それには気付かなかった。
◆◇◆
分岐を左に進んで2日ほど経った。
頭上には日が昇り、しかし樹木により遮られ視界は常に陰っている。
スカム・ユララナココは、道を歩き続けていた。
その道には、全くと言っていいほど見覚えがなかった。
それと同時に、彼の目を引くような珍しい物もなかった。
彼はそろそろ引き返すべき時だと悟った。
というか、分岐を選ぶ前から右の道が正当だと思っていた。
それもそのはず、エデンタールからマタズの樹海を避けるように引かれた道がそちら側にあったからだ。
つまり、右の道の方が樹海の外に近い。
なのにわざわざ左の道を選んだのは……まあ、興味本位だろう。
元あった道を上書きしてまで何処に誘いこもうというのか、この道は一体何を目的としているのか……と言った感じか。
しかし直ぐに目的地へ着くと思っていたスカムの予想は大きく外れ、樹海に引かれた道は終わりを見せないでいる。
故に、彼はそろそろ引き返すべき時だと悟ったんだ。
次にここに来た時のために、分岐点に置いた標識と同じようなものを突き立て、「順路不明、ここで引き返し」と書かれた布を取り付ける。
これで引き返す準備は終わった、さて来た道を戻ろう。
後ろを振り返りつつ、何となく空を見たくなって視線を上げ――
『――――――――――』
――こちらをじっと見下ろす双眸と目が合った。
その瞳はスカムの本来の視線よりずっと高い位置、空を覆うように伸びた樹の中腹辺りにて光を放っていた。
光っているからか、それとも樹木による陰りの影響か、その瞳を持つ生物の顔の輪郭は薄らとしか見えない。
それが本当に顔なら、本体はどれほどの大きさなのか。
そもそもこの顔は何時からそこにあったのか。
標識を作っている時か?
それとも道中からか?それなら分岐路の時か?
それとも樹海に入った時から――
――着いてきていたのか?ずっと、ずっとずっとずっと。
そんなはずはない、振り向くくらいこの6日間で何度も……いや待て、振り向きはしたが、見上げたことはあったか?
あった……はず……あったはずだ。でなければ自分はなんと愚かか。
着いてきていたのならなぜ?突然現れたのならなぜ?
なぜあの瞳は動かない?
スカムはその場から動けないでいた。
恐怖で身体が硬直してしまったんだ。
そうして頭だけが働くようになると、人は考えなくていいことまで考えてしまうものだよね。
結果、彼は不本意にもその双眸と睨み合っていた。
ね、私の目をじっと見てみて……分かるかい?
白い部分を結膜、色の付いた部分を虹彩、その中にある黒い部分を瞳孔って言うんだけどね。
彼を睨んでいた瞳……よくよく見ればその結膜は赤みを帯びていて、虹彩は赤茶色、瞳孔は縦長い楕円形をしていた。
その瞳が、一切動くことなくスカムを睨んでいる。
スカムも、一切動けないままその瞳を睨んでいる。
何秒経った?何分経った?何時間経った?
空を見上げる余裕はない、肌寒さから予測することすらできない。
あの双眸がずっとこちらを睨んでいるから、そんな余裕は無い。
起きているのか?寝ているのか?生きているのか?死んでいるのか?
分からない、分からない、分からない、分からない――
その時の彼は幸運にも思考が凝り固まっていた。
……でも、彼は状況を打開する一手を探していたんだ。
だから、思い出さなくていいことまで思い出してしまった。
それが一つであるのは稀なはずだから。
二つ並んでいるのが自然なはずだから。
本来それは对になっているはずだから。だから――
スカムは、初めて睨み合いを辞め――左右へと視野を広げた。
しかし直ぐには見つけられず、顔を左に向け……真横に視線を移した。
もう一つの顔があった。
◆◇◆
走れ、走れ、走れ。
腕を振れ、脚を止めるな、息を忘れるな。
せっかく動き始めた身体を止めるなんて、そんな馬鹿な真似はできないし絶対にしたくない。
予想外だった。
違う、予想したから見回した。
違う、予想はしたが本当にあるとは思わなかった。
まさかあんなにも離れた位置にもう一つの顔があるだなんて。
――自分を睨む生物が、伝説に消えたはずの奴だったなんて。
そうやって、スカム・ユララナココは恐怖のままに走り続けた。
走り続ける中、彼は何度か転倒した。
腕を擦りむき、膝を擦りむき、頬を擦りむいた。
そうして転げ回りながらも彼は走り続けた。
何時間経ったのだろう……もうそんなことすら分からない。
必死に走り続けたことで、身体は直ぐに限界を迎えた。
身体が動かなくなったことで、彼はようやく落ち着いて思考することがができるようになった。
「思考せざるを得なくなった」の方が正しいのかもしれない。
彼が走ったのは奴とは真反対の方向だ。
引き返そうとした道とも、それまで歩いていた道とも大きく外れる、樹海の奥へ続くだろう方向だ。
彼は戻るべき道を完全に見失ってしまった。
都合良くあった壁に手を添わせ、足を引きずりながら安全そうな場所を探す。
そうして十数分経ち、巨木の下に空洞を見つけた。
ここにしよう、ここで休もう。
衰弱した身体では上手く入ることができずに転がり落ちる。
だが転倒はお手の物と言わんばかりに受け身を取る。
ああ、これでもう安心だ。
ここまで来れば奴も――
『――――――――――』
……そこで彼の意識は途切れた。
◆◇◆
はい、お終い。
これにてマタズの樹海の話は終わりだよ。
ん?
うん、終わり。続きはないよ?
考えてないし。
本当は両の顔が見えた時点でパクッ!っといく予定だったんだけど……スカムに生き残ってほしくて逃がしちゃった。
まあ、スカム・ユララナココなんて人もいないんだけどね。
そう、創作話。
頑張って今作ったんだ。
後味は悪かったかい。
はは!
いくらこの世界が不思議に溢れてるからって、聞く話全てが真実だなんて思わなくていいんだよ。
軽い気持ちで聞いて、軽い気持ちで飲み込めばいいんだ。
布石とか伏線とか気にせずにさ。
人生ってそういうものだろう?
分岐には気を付けてね。
ほら、もしかしたら本当にあるかもしれないよ?
足元が巨大な双頭の蛇だって場合がさ。