07 セシリアは熱く語れるお友達が欲しい
二人きりの馬車の中で、向かいに座るベイルは目を閉じて黙り込んでしまった。
(ベイル様に、私から何か話しかけたほうがいいのかしら? あ、でも、眠ってらっしゃるのかも?)
セシリアは戸惑いながらもベイルを観察した。馬車の窓から差し込む光を浴びて、銀色の髪がキラキラと輝いている。ベイルの長いまつ毛が頬に影を作っていた。
(本当に綺麗だわ)
男性に向かって綺麗と言うのはおかしいかもしれないが、ベイルに関してはそうとしか言えない。
(さすが、あのクラウディア様のお兄様と言ったところね)
ただ、兄妹でもクラウディアのような儚さはなく、ベイルは凛々しく逞しい。
(お二人が並んだら、さぞかし絵になるでしょうね)
セシリアは、絵画の様に美しく立ち並ぶ兄妹を想像してフフッと微笑んだ。そのとたんに、ベイルの瞼がピクッと動いたので慌てて口を閉じた。ベイルはうっすらと目を開けたが、まだ眠いのか何も話さない。
(あ、もしかしたら、眩しいのかも?)
そう思ったセシリアが、ベイルの顔が陰になるように、そっと馬車のカーテンを少しだけ引くと、ベイルは静かにまた目を閉じた。
*
カタンッ
馬車の揺れでセシリアは目が覚めた。
(あれ、私、眠って……? 昨日の夜は、緊張しすぎてほとんど眠れなかったのよね)
そんなことを寝ぼけた頭で思っていると、セシリアはハッと我に返った。『ベイル様の前でなんて失礼なことを!?』と、慌てて姿勢を正すと目の前にベイルの姿はなかった。その代わりに真横から「よく眠れたか?」と声が降ってくる。慌てて声のほうを見上げると、ベイルが腕を組んだままセシリアのすぐ右隣に座っていた。
「……え? どうして、ベイル様がこちらに?」
混乱するセシリアに、ベイルは少しも表情を変えることなく「あなたが頭を打ちそうだったから」と淡々と教えてくれた。
どうやら、ベイルの肩を借りて眠りこけていたようだ。
「も、申し訳ありません!」
セシリアが恥ずかしいやら情けないやらで泣きたい気分になっていると、ベイルは「気にするな」と言いながら、なぜか右手を上げて固まった。そして、咳払いをすると小声で「危ない」と呟きながらまた腕を組む。
(何が危ないのかしら?)
セシリアが心配になって窓の外を見ると「もうすぐ着くぞ」と教えてくれる。
(ベイル様って、見た目ほど冷たい人じゃないのかもしれないわ)
隣のベイルは相変わらず、酷く冷たい顔をしているが、初めて出会った時のような無言の圧は無くなっていた。
(私が階段で転びそうになった時も助けてくれたし、今も頭を打たないように気をつかってくれたわ。これってもしかして……)
セシリアは期待で胸を高鳴らせながらベイルを見つめた。
(お友達になってもらえる!?)
ベイルには、まだまだクラウディアについて聞きたいことがたくさんあった。
(クラウディア様を愛するもの同士、ベイル様とは仲良くなりたいわ!)
馬車がゆっくりと止まると、ベイルは先に降りてこちらに右手を差し出した。セシリアは、ニッコリと笑みを浮かべてその手を取る。
(このお茶会をきっかけに、ぜひベイル様とお友達に……)
そう思いながら、馬車から降りたとたんにセシリアの顔は凍り付いた。
馬車から玄関までの道の両脇にズラッと公爵家のメイドが並んでいる。メイド長らしき年配女性が「セシリア=ランチェスタ様、ようこそお越しくださいました」と声を張り上げると、メイド達は一斉に頭を下げた。
(え? え?)
戸惑うセシリアをよそに、メイド達は頭を深く下げたまま微動だにしない。
ベイルのエスコートを受けながら、メイド達の作った道を歩いている間もメイドは誰一人として頭を上げることはなかった。
(私の家では、王族でもこんな風に出迎えたりしないわ。これがペイフォード家のお茶会の出迎えなのね……)
驚愕していると、屋敷の中ではなく、庭へと案内された。そこにはガラス張りの建物があり、中に入ると美しい花々が咲き乱れていた。その中心には、大理石に精巧な彫刻を施したテーブルと、白い革ばりの椅子が置かれている。
(素敵な場所ね。ここでお茶会をするのかしら?)
ベイルが椅子を後ろに引いてくれたので、セシリアは大人しく椅子に座る。椅子に置かれたフワフワのクッションが気持ち良い。ベイルが反対側の席に座ると、どこで見ていたのかメイドたちが静かに現れ、お茶やケーキ、お菓子をこれでもかと運んでくれる。
セシリアが運ばれてくるお菓子の華やかさと種類の多さに驚き固まっていると、ベイルは不思議そうに首を少しかしげた。
「セシリア嬢は、甘いものは嫌いか? なになら食べられる? すぐに用意させよう」
「い、いえ、甘いもの、大好きです」
慌てて首を振り、フォークを手に持ちケーキを口に運ぶと、ふわっと口の中に自然な甘さが広がりすぐにとろけて消えていく。
(飲める! このケーキ、飲めるわ!?)
余りの美味しさに無心でケーキを食べてしまい、気がつけばお皿は空っぽになっていた。ベイルはと言うと、お菓子には一切手をつけず優雅にお茶だけ飲んでいた。
(はっ!? そういえば、私、クラウディア様がお好きなお茶とお菓子を持って……来ていない!?)
せっかく準備していた手土産すらも忘れてしまった。目の前の優雅なベイルと、うっかり手土産を忘れた自分は、まるっきり別の生き物のように感じてしまう。
(ベイル様と私では、生活環境も何もかも違い過ぎるわ。もしベイル様と正式に婚約していたら、私、自分が情けなくて、申し訳ない気持ちになっていたかも……)
ただ、ベイルの婚約者になりたいとも、なれるとも思ってもいないので、セシリアはこのことに関しては気にしないことにした。
(そんなことよりも)
チラッとベイルを見ると、ベイルもこちらに気がつき『なんだ?』というように見つめ返してくる。
「あの、ベイル様。クラウディア様も、ここでお茶会をされるのでしょうか?」
「ディアが? いや、ディアは自室にいることを好むからな」
「そうなのですね。自室では何をされているのですか?」
「読書だな。ディアは無類の本好きだから」
「まぁ! 本がお好きだなんて、クラウディア様はご立派ですわ! それで、どのような本がお好きなのですか?」
「そうだな、以前は王子や姫が出てくる本が好きだったが、最近では王妃教育のための本を……」
ベイルが途中で口を閉じた。不思議に思っていると、「セシリア嬢は、ディアのことばかり聞くのだな。もしかして、ディアに興味があるのか?」と聞かれてしまった。
(あ、バレたわ……)
セシリアは、軽く青ざめたが、すぐに『これ以上隠しても仕方がないわね』と気持ちを切り替えた。
(本当のことを言って、ベイル様に嫌われても、騙して近づいた私が悪いのだから)
「実は、私、クラウディア様の大ファンなのです。ですので、ベイル様のお話がとても楽しくしつこく聞いてしまいました。申し訳ありません。……ご不快でしたか?」
恐る恐るベイルを見ると、その顔には予想外に笑みが浮かんでいた。
「いいや、不快ではない。俺もディアのことを話すのは大好きだ。常日頃、あの愛らしさを誰かに語りたいと思っていた!」
「それなら、今後はぜひ私に語ってくださいませ!」
「ああ、そうしよう」
「ベイル様、ありがとうございます!」
セシリアは天にも昇るような気持ちだった。祈るように両手を組み合わせて、セシリアが幸せを噛みしめていると、いつの間に席を立ったのか、なぜかベイルがすぐ側にいた。
「セシリア嬢。もう一つ、聞いてもいいか?」
「はい」
「あなたは、馬車の中で、どうして笑ってカーテンを引いた?」
一瞬、なんの話か分からなかったが、少し考えると、ここまで来る途中の馬車の中での話だと思いつく。
「あ……あれは、ベイル様とクラウディア様がお並びになったら、絵画のように美しいだろうなぁと想像して、ついニヤけてしまったのと、寝ているベイル様が眩しいかと思い、カーテンを引きました。……何か問題ありましたか?」
不安になってベイルを見上げると、ベイルはフッと笑った。そして、無言で右手を伸ばすと、よしよしと優しくセシリアの頭を撫でた。
(私は、今、どうして頭を撫でられているの?)
セシリアが「……ベイル様?」と名前を呼ぶと、我に返ったベイルは「やってしまった」と呟き、自身の右手をきつく握りしめながら眉間にシワを寄せた。