05 セシリアは憧れの人のお家に行きたい
セシリアが、ペイフォード家に婚約の保留をお願いする手紙を送ったその数日後、ベイルからセシリア宛にぺイフォード家でのお茶会への招待状が届いた。
(う、うそ!? 私、クラウディア様のお家にいけるの!?)
セシリアは、震える手で『喜んで参加させていただきます』と手紙を書いた。
そして、迎えたお茶会の当日。
セシリアは一人、自室の中で落ち着きなく行ったり来たりしていた。
(私をご招待してくださったのはベイル様であって、決してクラウディア様ではないわ)
分かっているのに、もしかしたらクラウディアに会えるかもしれないという期待に胸が張り裂けてしまいそうだった。セシリアは、緊張しながら鏡の前で、自分の姿を確認した。
若葉色のワンピースを着て、髪には銀色の髪飾りを付けている。
(ああ……。一生懸命、着飾っても、どうにもならないこの地味さ……)
もうそれは仕方がないので気にしない。
(でも、これはクラウディア様のお色だからね)
クラウディアの髪はベイルと同じで輝くような銀色だった。そして、その瞳はまるで宝石のように美しい緑色だ。
(憧れの方のお色をまとって、憧れの方のお家へ行けるなんて夢みたい)
ただ、ここまでやると、さすがに『私ってちょっと気持ち悪いわね』と思いもする。
(でも、どうせペイフォード家にご招待されるのは最初で最後なのだから、一度だけ許してほしいわ)
この日のために、クラウディアの好みの茶葉とお菓子を手土産代わりに購入した。すっかり支度を終えたセシリアが緊張しすぎて気分が悪くなってきた頃、部屋にメイドが飛び込んできた。
「お、お嬢様!」
セシリアは、『普段は礼儀正しいのに、こんなに慌てるなんて何かあったのかしら?』と不安になった。
「ば、馬車が!」
「馬車の準備ができたから呼びに来てくれたの?」
セシリアの言葉に、メイドは激しく首を左右に振る。
「ぺ、ペイフォード公爵家の馬車が、お嬢様をお迎えに来ました!」
「え?」
セシリアは『まだ婚約もしていない関係でそこまで?』と思ったが、『まぁ、馬車を貸してくれるなら、それはそれでいっか』と気持ちを切り替えた。
「分かったわ」
セシリアが自室から出ると、セシリアの後ろをメイドが慌ただしくついてくる。
「それだけじゃないんです! あの、すっごい美形が! す、すっごいんです!」
「何を言って……?」
「お嬢様、あちらをご覧ください!」
メイドに案内されるまま、階段の上から玄関ホールを見下ろすと、そこには一人の青年が立っていた。とても姿勢が良く、その後ろ姿は気品が漂っている。
(あの輝くような銀髪は、まさか……)
騒がしくしていたせいか、青年がこちらを振り返った。氷のように冷たく青い瞳がセシリアを見上げている。
「ベイル様……」
セシリアが呟くと、ベイルは右手を自身の胸に当て、セシリアに向かって礼儀正しく頭を下げた。
(ベイル様がどうしてここに? なんのために?)
軽く混乱していると、いつの間に側に来たのか母が「セシリア、今日は夜会のお誘いだったの?」と心配そうに聞いてきた。
「いえ、お茶会……のはずです」
不安になりながら答えると、なぜかベイルが階段を上がってくる。
(ひっ、こっちに来るわ!?)
近くで見たベイルは、わずかに光沢のある黒の布地に、銀色の刺繍が施された上着を上品に着こなしていた。美しい銀髪を後ろに軽くなでつけているせいで、べイルの顔の端正さが際立っている。
(ベイル様は、どうして華やかに着飾っているの!? 今日はお茶会のはずよね!? )
母が「夜会」と勘違いしたのもそのせいだ。
(はっ!? もしかして、これがペイフォード家のお茶会での正装……? ど、どうしましょう!)
お茶会だからと、ワンピースを着てしまった。
(正装が正解だったの!? 今から急いでドレスに着替えたほうがいいの!?)
青ざめるセシリアに、ベイルは右手を差し出した。
(え、何!?)
ベイルは何も言わず右手を差し出したまま、こちらを睨みつけている。隣の母が小声で「エスコート、エスコートよ」と教えてくれた。
セシリアが恐る恐るベイルの手にふれると、予想外に優しく握り返された。そしてベイルが一言。
「階段は危ない」
(そうなの!?)
セシリアは『それって、うちの階段がボロすぎて危ないってこと?』と思ったが、黙って愛想笑いを浮かべた。
(もう、私はベイル様のことで、分からないことがあったり、困ったりしたときは、愛想笑いをしておくわ)
わけの分からない状況で、光輝く美青年にエスコートされ階段を降りていると、つい足元がふらついてしまった。
とたんに身体が中に浮き、気がつけばセシリアはベイルにお姫様抱っこされている。
「……え?」
セシリアが状況を飲み込めずにいると、ベイルに「だから、階段は危ないと言ったのだ」とお説教をされてしまう。セシリアの視界の端で、母とメイドが手を取り合って「キャー、素敵!」と、はしゃいでいる姿が見えた。
(これは、いったいどういう状況なのかしら?)
少しも分からないが、貴族たるもの安易に騒いではいけない。ここは落ち着いて状況を判断しようとセシリアは思った。
「えっと、ベイル様はいつもこのような感じなのでしょうか?」
「このようなとは?」
(質問に質問で返されてしまったわ)
ベイルは、足場の狭い階段でセシリアを抱えているのにもかかわらず、少しも危なげなく下りていく。
「ベイル様は、いつもこのように、女性をエスコートされるのですか?」
もしかすると、お姫様抱っこはペイフォード流のエスコートなのかもしれない。
(それはそれで、恐ろしいわね)
そんなことを考えていると、ベイルと視線が合った。
「まぁ、そうだな。ディアをこうして運ぶことはあった」
(あ……クラウディア様はとてもお身体が弱かったらしいから、ベイル様がいつもこうして運んであげていたのかもしれないわ)
だとしたら、今のこのお姫様抱っこには深い意味はなく、ただ単にセシリアが階段で転びそうになったから、心配して運んでくれているだけのようだ。
(ベイル様って、本当にクラウディア様を大切にされているのね)
そう思うと心が温かくなる。
(しかも、私、今、クラウディア様と同じ体験を……)
こみ上げてくる喜びを必死に嚙み殺しているうちにベイルは階段を下りきった。ようやく下ろしてくれると思いきや、ベイルはそのまま歩いて馬車へと向かう。
すれ違うメイド達が皆、目を大きく見開いて驚いている。
(そうよね、驚くわよね。でも、一番驚いているのは、運ばれている私よ)
ただ、ペイフォード家ではこれは普通の光景なのかもしれない。
(ベイル様は、親切心で運んでくださっているのに、『恥ずかしいから下ろしてください』だなんて言ったらきっと失礼だわ)
そう自分に言い聞かせていると、公爵家の馬車が見えた。馬車から少し離れた場所に護衛のためか、ペイフォード公爵家の騎士が、馬を引きながら三名控えていた。
こちらに気がついた一人の騎士が、セシリアをお姫様抱っこしているベイルを見て、顔を歪めて頭を抱えた。その様子に気がついた二人の騎士もこちらを振り返った後、見てはいけないものを見てしまったかのように視線を逸らした。
セシリアは気がついた。
(……お姫様抱っこは、ペイフォード家でも、普通の光景じゃなかったのね)
じわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。
「ベイル様、お、下ろしてください」
頬が熱い。涙目になって訴えると、ベイルは「ん?」と不思議そうな顔をしながら下ろしてくれた。そして、「馬車には、一人で乗れるのか?」と聞いてきた。
(一人で乗れるかって……? あっそうよね、さすがに婚約前の男女が、二人きりで馬車に相乗りなんてしないわよね。ここからは、一人で馬車に乗って行けってことね)
セシリアが「はい、乗れます」と答えると、ベイルは「分かった」と言いながらセシリアを馬車の中へエスコートした後に、同じ馬車に乗り込んできた。
(え? あれ?)
気がつけば、セシリアは、なぜか馬車の中でベイルと向かい合わせに座っていた。騎士の一人が丁寧に馬車の扉を閉めると、二人を乗せた馬車はゆっくりと動き出した。