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【リクエスト番外編⑧】ペイフォード公爵と亡くなった妻の出会い

【ペイフォード公爵視点】



 外が騒がしい。


 ブレットが執務室の窓から外を覗くと、息子のベイルと娘のクラウディアの姿が見えた。


 それぞれの婚約者もいて、どうやら今から4人でピクニックにでも行くようだ。


 楽しそうな子どもたちの笑顔を眺めていると、記憶が時を遡り始める。


 ベイルやクラウディアがまだ幼く、最愛の人がまだ生きていた頃。


 妻はいつでも優しい笑みを浮かべていた。


(……クレア、見ているかい? 私達の子どもらが、こんなにも大きく育って、そして、幸せそうに笑っているよ)


 胸元に下げていたロケットペンダントを取り出し開くと、クレアの肖像画を見つめた。


(私の一番の幸せは、君に出会えたことだよ。クレア)


 そっと肖像画を指で撫でると、彼女の声が聞こえてくるようだった。


『ブレット』


 そう優しく名前を呼んで、うまく感情を表に出せない男に、妻はいつも笑いかけてくれた。


「クレア……」


 

*

 



 それは、今から21年前。


 『氷の一族』と呼ばれるペイフォード公爵が亡くなり、その嫡男であったブレット=ペイフォードが公爵の地位を継いだ。


 後に、ベイルとクラウディアの父になるブレットは、当時はまだ20歳の若さだった。




 幼少の頃から父に厳しく育てられたブレットは、とにかく優秀でなんでもそつなくこなせたため、爵位の継承に少しの問題も起こらなかった。


 ただ、一つだけ問題を上げると、ブレットには婚約者がいなかった。


『お前の婚約者には、私は多くのものを求めるだろう』


 日頃から、そう言っていた父は、ブレットの婚約者を決める前に死んでしまった。親戚からたくさんの女性を候補に挙げられたが、父が求める『多くのもの』が分らずブレットは婚約者を決めきれずにいた。


 そんなある日、叔父がブレットの婚約者探しのためにお茶会を開いた。


 集まった令嬢達を見てブレットは考えた。


(父上が、私の婚約者に、求めていたものはなんだったのだろう?)


 血筋? 貞淑さ? 有能さ? それとも美貌? もしかすると、その全てなのかもしれない。


 お茶会は静かなもので、誰も口を開こうとはしなかった。そんな中、一人の令嬢が急にうつむいて両肩を震わせた。


(なんだ?)


 不思議に思って見ていると、令嬢は一瞬顔を上げてこちらを見たかと思うと、またすぐにうつむいてしまう。


「具合でも悪いのか?」


 ブレットが声をかけると、その令嬢は思いっきり噴き出した。静まり返った空間に彼女の笑い声だけが響いている。しばらく笑い続けた彼女は、涙目になりながら「申し訳ありません!」と言った。


 そして、「公爵様の肩に、ずっと蝶が止まっていて……」と言い、また笑い出した。


 無礼な令嬢の隣に座っていた別の令嬢が「く、クレア様!」と慌てている。


「本当に、申し訳ありません……」


 クレアはなんとか笑いをこらえようとしているのに、自分の意思ではこらえきれないようで苦しそうにしている。


 公爵を侮辱して笑ったのだから、何かしらの罰を与えないといけない。お茶会はすぐにお開きになり、クレアだけがその場に残された。


 クレアは「私ったら、また」と、独り言を呟きながら、両手で顔を覆ってしまっている。


「確かクレア……と言ったか?」


 勢い良く顔を上げたクレアは「はい」と、今にも泣き出しそうな声を出した。


「何がそんなに面白かったのだ?」


「それは……」


 クレアは、困ったように視線を彷徨わせると、ポツリポツリと説明する。


「公爵様の肩に、可愛い蝶が止まっているのを見ていると……。その、公爵様まで可愛く見えてしまい……申し訳ありません!」


 勢い良く頭を下げたクレアの周りを、白い蝶がヒラヒラと舞っている。


「顔を上げろ」


「……はい」


 顔を上げたクレアの髪に蝶が止まった。ブレットが右手をクレアに向かって差し出すと、クレアはビクッと身体を強張らせる。


(私が女性を殴るとでも思ったのか?)


 本当に無礼な女だ、と思いながら、そっとクレアの髪にふれて蝶を追い払う。


 驚くクレアに、「なるほど、確かに蝶が止まっていると道化のようで笑えるな」と伝えると、クレアがフワッと微笑んだ。


 恋に落ちる、とは良く言ったもので、幼少の頃から今まで、周囲の人から笑顔を向けられる事がほとんどなかったブレットは、クレアに笑顔を向けられただけで、一瞬にして完全に落ちてしまった。


 世界が急に色鮮やかに見える。目の前にいるクレアの金髪は光を浴びて輝き出し、その新緑のように瑞々しい瞳に吸い込まれそうになる。


(なんて、美しいんだ……)


 もう父が求めていた婚約者像なんてどうでも良い。ブレットは、その場ですぐさまクレアに婚約を申し込んだ。


「私と婚約してほしい」

「はい、どのような罰でも……え?」


 クレアは戸惑っていたものの、ブレットが「この場で罰を受けるか、私からの婚約を受け入れるか、今すぐ選べ」と伝えると、「で、では、婚約で……」と了承してくれた。


 それからは、毎月、婚約者のクレアに会う日がブレットの楽しみになった。


 いつでもニコニコと笑っている彼女を見ていると、ブレットは自分がいかに不愛想なのかということに気がついた。


(私は自分の感情を表現することも、思っていることを相手に優しく伝えることも苦手だ)


 ブレットは、そう理解はしたものの、どうすることもできないでいた。笑おうと思っても、表情筋はピクリとも動かない。


(彼女は、私といて楽しいのだろうか? 私が公爵だから、仕方なく側にいて笑ってくれているのでは?)


 いつしか、そんな不安がブレットの頭を過ぎるようになった。ただ、いつ会ってもクレアが笑っていてくれることが、唯一の救いだった。


 そんなある日、クレアと共に訪れた夜会で、ブレットが少しクレアから目を離した瞬間に彼女がいなくなってしまった。


 ブレットが慌てて探すと、クレアは薄暗い庭園で見知らぬ男と話していた。


 すぐに声をかければ良いのに、今まで見たこともないクレアの真剣な表情を見てしまい、身動きが取れなくなる。


(その男が、君の本命なのか?)


 恐れていたことが現実になり、ブレットは闇に落ちていくような絶望に囚われた。

 

 男がクレアの手を取った。


「た、助けて、ブレット!」

 

 クレアの小さな悲鳴を聞いたとたんに、無意識に身体が動き、男の手首を捻り上げていた。男が「ぎゃあ」と叫んだので、蹴り上げクレアから遠ざける。


 ブレットがクレアを男からかばうように背後に隠すと、クレアはブレットの背中にしがみ付いた。よほど怖かったのか、小刻みに震えている。


「大丈夫か?」


 そう尋ねると、クレアは頷き、涙を浮かべながら微笑んだ。


「来てくれて、嬉しい……」


 その一言で先ほど感じた不安や絶望は瞬時に消え去る。


「クレア、この男は?」


 ブレットが地面に這いつくばっている男を睨みつけると、クレアは「私の幼馴染です」と答えた。


 幼馴染の男は、蹴られた脇腹を痛そうに押さえながら、なんとか身を起こして喚いた。


「クレア! 君は酷い女だ! 俺と結婚するって言ってたじゃないか!」


 ブレットが「そうなのか?」と尋ねると、クレアは「はい、子どもの頃に口約束を。でも……」と泣き出した。


「私、彼が私のいないところで『いつもヘラヘラして気持ち悪い女だ』って言って、皆で笑い者にしているのを聞いてしまって……」


「そんなの、冗談に決まっているだろう!? 男同士の付き合いってものがあるんだよ! それくらい分かれよ! だから君はダメなんだ!」


 幼馴染の男に怒鳴りつけられ、クレアはブレットの背中にしがみ付き震えている。


(彼女は、ずっとこんな風にこの男にののしられてきたのか?)


 目の前の男に殺意が湧いた。それと同時にスッと感情が引いていき、自分でも怖いくらいに冷静になった。


「事情はどうあれ、クレアは今は私の婚約者だ。お前は、ペイフォード家の婚約者に、今、何をした?」

 

 サッと男の顔から血の気が引いた。


「私もお前も貴族だ。男同士の付き合いというものが分かっているのなら、もちろん、貴族同士の付き合いも分かっているだろうな? 私の大切な婚約者に勝手にふれ、侮辱した罪は重い。この、ブレット=ペイフォードを敵に回した事を、これから一生かけて後悔させてやる」


 男はカタカタと震えながら逃げ去った。


 安心したのか、フッと力が抜けるようにクレアはよろめいた。ブレットが抱きとめるとクレアはそのまま身を預けてくれる。


「クレア……」

「ありがとうございます、ブレット……。 ああっ!? 私ったら、公爵様を呼び捨てに!」


 顔を真っ赤にしているクレアをブレットはそっと抱きしめた。


「ブレットでいい」

「あ、えっと、はい……」


 冷たい夜風の中、クレアの体温が心地良い。抱きしめても嫌がらないし、クレアは『ブレット』と名前を呼んでくれた。助けて欲しいと頼ってくれた。そのことがとても嬉しい。


「クレア。本当に私で、いいのか?」


 彼女を脅迫して婚約を迫ってしまったことをとても後悔している。本心を聞くのが怖くて、聞きたくてもずっと聞けなかったことを聞いた。


「はい、私はブレットが良いです」

「どうしてだ?」


 クレアはきょとんとして首をかしげた。


「だって、ブレットは、私の事をすごく大切にして愛してくれているから」


 確かにその通りだが、不器用で不愛想な自分の気持ちをクレアが理解してくれていることが不思議だった。


 クレアは指折り数えながら、その理由を教えてくれる。


「ブレットは、私と約束した日は一度も欠かさず、少しも遅れずに会いに来てくださいますし、いつもたくさんプレゼントをくださいます。それに、私の他愛もない話をずっと黙って聞いてくださいますし、私が何をしても声を荒げたり、お前はダメだって言わないんですもの」


(そんなことは、当たり前のことではないのか?)


 もしかすると、幼馴染の男はそうではなかったのかもしれない。


「だが、私は、うまく感情を表現できない」


 クスッとクレアは微笑んだ。


「そうですね。でも、実は私、ブレットの独り言を聞いてしまったことがあって」



 ーーああ、クレアはなんて愛らしいんだ。あの笑顔の前では女神アルディフィアですらかすんでしまう。あの笑顔を守るためなら、私は太陽や月ですら敵に回してみせる。



 少しだけ眉間にシワを寄せたブレットを見て、クレアはクスクスと笑った。


「こんなにも誠実に情熱的に愛されて、嫌がる女性はいませんよ。何も気にしないで。笑えないのなら、貴方の代わりに私がたくさん笑います」


 そう言って、クレアは女神がかすむほどの美しい笑みを浮かべた。



*



 クレアとの思い出は、いつでも輝いていた。


 ブレットは、そっとロケットペンダントを閉じると、また首にかけ直す。


(ありがとう、クレア。君は先にいってしまったけど、ちゃんと大切な宝物を私に残してくれたね)


 宝物であるベイルとクラウディアは、今、とても幸せそうだ。


 そして、これからもずっと幸せに暮らして行くのだろう。


(クレア、君にまた会えたら、何から話そうか?)


 話すことは今でも得意ではないので、きっととても長くなってしまう。それでもクレアは、ニコニコと笑って最後まで聞いてくれるのだろう。


(大丈夫、私はとても幸せだ。だから、また君に会えるその日まで、どうか私達を見守っていて欲しい)


 空を見上げれば、雲一つない青空が広がっていた。





【リクエスト番外編⑧】おわり



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