【リクエスト番外編③のつづき】結婚式
【ベイル視点】
メイドが呼びに来たので、二人そろって馬車に向かった。
その途中で妹のクラウディアが見送りのために出迎えてくれた。セシリアは着飾ったクラウディアを見て、恋する乙女のように頬を赤く染めている。
(複雑だ。その表情を俺だけに向けて欲しいと思ってしまう)
実の妹に嫉妬しても仕方がない。セシリアとクラウディアがお互いの美しさを褒め合っているうちに、ベイルは妹の専属メイドに向かって小さく手招きした。メイドはすぐにベイルの側に近づいてくる。
「披露宴を外部委託していた先の責任者が問題を起こした。すぐに収めて隔離したので、下の者は気がついていないだろう。このまま披露宴の準備を続けられるか?」
「はい」
「もし、披露宴で何か問題が起これば、父上に報告するのではなく、ディアが中心となって対処して欲しいと伝えておいてくれ。俺や父上が動くと来賓に『何かあったのか?』と疑われてしまうからな」
専属メイドは恭しく頭を下げた。
つい最近まで守らなければと思っていたクラウディアも、今となっては立派なペイフォード公爵家の一員だった。次期王妃になるための教育も順調に進んでいるようだ。
(今のディアになら安心して任せられる)
そして、子ウサギのように愛らしいセシリアも、次期公爵夫人に相応しく、実はとても芯がしっかりとした女性だと分かっていた。ただ、結婚式の当日くらい、なんの心配も不安もなく、皆からの祝福に包まれていて欲しいと願ってしまう。
だから、今日、どんな問題が起ころうとセシリアには伝えないと決めていた。
(これは俺のワガママだな)
ベイルは、止めなければいつまでも話していそうなセシリアとクラウディアに声をかけた。クラウディアに「後ほど、神殿で会おう」と告げ、セシリアと二人で馬車に乗り込む。
神殿に向かう馬車の中で、セシリアから「さっきは、何を考えていたのですか? ベイル様が照れることってなんですか?」という純粋無垢な質問攻撃にあい、ベイルは喉が痛くなるくらい咳払いをすることになった。
(言えない……。どうせ誘惑されるなら、セシリアに誘惑されたいと思ったなど言えない……)
つい先ほど、準備部屋に不法侵入してきた女が、もしセシリアだったらと考えただけでベイルの動悸息切れは激しくなった。
(セシリアが俺の敵でなくて良かった。セシリアに誘惑されたら、罠と分かっていても即落ちして、セシリア側に寝返ってしまう)
質問することをようやく諦めたセシリアが、拗ねた子どものように口を尖らせた。
(ぐあはっ!!)
その余りの可愛さに、ベイルは大ダメージを受けて軽く意識が飛んでしまう。着飾らなくても美しいセシリアが、着飾ると愛らしいやら神々しいやらで、その破壊力は凄まじい。
(式が終わるまで、俺は意識を保っていられるだろうか)
ベイルが不安を感じながら目を閉じると、いつもとは違う甘い香りに気がついた。もちろん、セシリアの香りだ。
(いつもの優しい香りではないが、これはこれで……最高だな!)
そこでふと、先ほど嗅いだ不法侵入女は、気分が悪くなるほど甘ったるい臭いだったなと思い出す。
(なるほど、俺は甘い香りが嫌いなのではなく、セシリアの香りが好きなのだな)
ベイルにとって、世の女性の分類は、セシリアかそうではないかの二択だった。
セシリアのすることならなんでも好ましい。おそらく、セシリアが不法侵入女と同じ香水をつけたとしても、「最高に良い香りだ」と本気でそう感じて言い切る自信があった。
(我ながら単純な男だ)
馬車の向かいの席に座るセシリアに目を向けると、バチッと視線があった。
もう機嫌は直っているようで、にっこりと微笑みかけてくれる。
(はぁ……)
胸が締め付けられるように痛む。
この狂おしいような感情を『愛』と呼ぶなら、時折、人が愛に狂った末に愚かな行動をしてしまうのは仕方がないように思えた。
*
【セシリア視点】
二人を乗せた馬車は神殿の前で停まった。先に下りたベイルが優しい笑顔を浮かべて左手を差し出す。その手に右手を乗せながらセシリアは思った。
(これから結婚式なのに、ベイル様は少しも緊張していないようね。私は、昨日の夜から緊張であまり眠れていないのに)
隣を歩くベイルをチラリと見ると、整った顔はいつものようにとても落ち着きを払っている。
(そういえば、初めはベイル様のこと、冷たくて怖そうな人って思っていたわね)
ベイルの射貫くような鋭い瞳も、無言の圧もその全てが恐ろしかった。
(でも、どうしても憧れのクラウディア様とお近づきになりたくて、勇気を振り絞ったっけ)
今思い返せば、とんでもないことをしたと思える。セシリアがついクスッと笑ってしまうと、ベイルに「どうした?」と不思議そうに訊ねられた。
「ベイル様と出会った頃の事を思い出していました。あの頃は、ベイル様が怖くって……」
ベイルの顔からサァと血の気が引いた。人の顔ってこんなに急に青ざめるの!? と驚いてしまうくらい、ベイルの顔は真っ青になっている。
「ベイル様!?」
「セシリアは、俺のことが、怖かった……のか?」
「は、はい、出会った頃、少しだけ。でも、すぐにベイル様が優しい方だと分かりましたよ」
「ほ、本当に?」
「本当です!」
ベイルが「ハァー」と長く深いため息をついた。
「今の言葉は、俺の人生の中で一番、衝撃的だったぞ」
「すみません……」
神殿の中に入ると、白い衣装を身に纏った神官達が出迎えてくれた。式が始まるまで、控室で待っているように伝えられる。
控室は、メイドも誰もおらず、簡素な椅子が2脚置いてあるだけの狭い部屋だった。ベイルと並んで椅子に座ると緊張で手が震えて来た。
(いよいよ、結婚式が始まるのね)
結婚式と言っても、王族のように皆に見守られながらの式ではない。この国の主神である女神に夫婦の誓いを捧げ、祝福を受けるための二人きりの儀式だった。
(結婚式より、たくさんの人が集まる披露宴のほうが緊張するかも)
セシリアが落ち着くために深呼吸を繰り返していると、ベイルが「さっきの件だが」と話を切り出した。
「はい?」
なんのことか分からず返事をすると、「実は、俺のことが怖かったという件だ」と眉間にシワを寄せた。
「ああ、あれは……」
「俺は酷く傷ついた」
セシリアの言葉を遮り、ベイルは自身の胸を痛そうに押さえた。
「も、申し訳ありません!」
「許さない」
ベイルの鋭く青い瞳が真っすぐこちらを見つめている。
「どうしたら、許していただけますか?」
セシリアが泣きたい気分でベイルを見つめ返すと、白い手袋をはめたベイルの手がセシリアの肩に触れた。
「今はもう、俺を怖がっていないと証明して欲しい」
「それは、どうしたら証明できますか?」
そのとたんに、真剣だったベイルの口元が緩んだ。
「そうだな……これからは、俺を『ベイル』と呼ぶように」
「そんな!? ベイル様を呼び捨てになんて」
ベイルは「やはり、セシリアは俺が怖いのだな……」とうつむいてしまう。
「違います!」
「では、証明してくれ」
セシリアが困っていると神官達が「式が始まります」と呼びに来てしまった。
ベイルは何事もなかったように、立ち上がり「さぁ行こう」と微笑んだ。
荘厳な扉の前に立つと、神官達がゆっくりと扉を開いた。その先は光に溢れていた。床に敷かれた真っ赤な絨毯が真っすぐに伸びた先には高位の神官の姿があった。
会場に足を踏み入れる前に、セシリアはベイルの袖を引いた。こちらを見たベイルに背伸びしてそっと囁く。
「さっきは傷つけてごめんなさい……ベイル、愛しています」
ベイルは何かを堪えるようにブルブルと震えた後、「何があっても、俺は貴女には一生、勝てない」とまるで少年のように無邪気に微笑んだ。
大きなベイルの手に引かれ、二人で赤い絨毯を並んで歩く。足音すら聞こえない静かな二人だけの世界で、微笑みを交わし視線で愛を伝えあう。
神官の前にたどり着くと、女神アルディフィアの名の元に祝福を告げられた。夫婦の誓いの言葉を述べた後に、それぞれに「誓います」と永遠に続く神聖な誓約を交わした。
ベイルの顔が近づいてきたかと思うと、誓いのキスをされた。
儀式の一環と分かっていても、恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。俯いていると、ふわっと身体が宙に浮く。気がつけばセシリアはベイルにお姫様抱っこされていた。
「お、下ろしてください!」
「セシリアが、俺に敬語を使うのを止めたら考えよう」
「ええ!?」
ベイルはズンズンと扉に向かって歩いてく。扉の先では、親族が二人を祝うために集まっている。
「ベイル、恥ずかしいです!」
「です?」
ベイルは、本気でお姫様抱っこのまま外に出る気のようで、もう扉の前まで来てしまっている。セシリアは泣きたい気分になりながら叫んだ。
「ベイル、下ろして!」
言う通りにしたのに、ベイルは笑っているだけで下ろそうとはしない。
「言う通りにしたのに!?」
セシリアが苦情を言うと「考えるとは言ったが、下ろすとは言っていない」と悪戯な笑みが返ってくる。
セシリアは両手を伸ばしてベイルの頬に触れた。
「ベイル、意地悪はやめてください。……悲しいです」
スッとベイルの顔から笑顔が消え、素早く丁寧に下ろしてくれた。その顔は、先ほどのように青ざめている。
「すまない、貴女と夫婦になれたことが嬉しすぎて、浮かれて調子に乗ってしまった! 二度と貴女が嫌がることはしないと約束する!」
「本当ですか?」
ベイルは「本当だ!」と力強く頷いた。
「私も、貴方に敬語を使わないように気をつけます。だから、これからは私にお願いがある時は、意地悪せずに普通に言って……ね?」
敬語を使わないように気を付けると、なんだか変な感じになってしまう。それでもベイルは嬉しいようで「ああ」と笑顔を浮かべた。
手を繋ぎ、二人並んで扉の向こうへ足を踏み出した。扉の先は祝福と拍手に満ちていた。
これから先、どんなことが起ころうと、繋いだこの手が離されることは決してない。
リクエスト番外編③ おわり