32 ペイフォード家の定め(ベイル視点)
セシリアがペイフォード家に来てから三日が過ぎた。
ベイルはいつものように父の書斎に呼び出されていた。書斎机に座った父が威厳に満ちた声で「報告を」と告げる。ベイルは直立し、両手を背中に回した。
「報告します。無防備なセシリアが可愛すぎて、何度か理性が吹き飛びそうになりましたが、今のところ自重しています」
父は一度深く頷いた。
「う、うむ……。それは、引き続き自重するといい。だが、私が報告して欲しいのはその件ではない」
「ランチェスタですか?」
父はもう一度頷いた。
「報告します。ランチェスタ家に忍び込ませた者の報告によると、ランチェスタ侯爵は、死に物狂いでセシリアの行方を捜しているそうです。捜索の過程で、セシリアが乗っていたとされる馬車が何者かに襲われた状態で発見され、その報告を受けた夫人が倒れました。セシリアの弟は、忍び込ませたメイドの一人が、弟を不安にさせないように手厚く面倒を見ています」
父は一通の手紙を差し出した。手紙を受け取り差出人を見ると、ランチェスタ侯爵からだった。
「これは?」
「ランチェスタ侯爵からだ。これまでの数々の不敬への謝罪とセシリア嬢を捜索するためにペイフォードの騎士団を貸して欲しいという内容だ」
「予想以上の早さですね」
「よほどセシリア嬢のことが大切なのだろう。ベイル、どうしたい?」
「彼らがセシリアに取っていた行動は許しがたいです。もっと痛めつけたいところですが……」
(俺は早くセシリアと式を挙げたい)
「俺が騎士団を動かし、セシリアを捜索します」
「ベイル、適当なところでセシリア嬢に似た遺体を発見したとランチェスタに報告しろ」
「父上、そこまでする必要が?」
父は酷薄そうな瞳を細めた。
「あるに決まっている。我がペイフォード家を侮辱するならまだしも、お前やディアの幸せまで潰そうとしたのだぞ。それなりの地獄を見てもらわなければ私の気が収まらん」
父の本気の怒りが見えて、ベイルは少し驚いた。
「どうかしたか?」
「いえ、セシリアの言う通り、俺は貴方にとても愛されているようです」
父は小さく咳払いをした後、「……当たり前だ」と視線を逸らして呟いた。
*
ペイフォード家騎士団によるセシリア捜索が始まってから一週間が経過した。
『セシリアらしき女性の遺体を見つけた』とランチェスタに報告すると、報告を受けたランチェスタ侯爵はすぐにペイフォード家を訪れた。
布に包まれたセシリアくらいの身の丈のものを見て、侯爵の全身は震え出した。
ちなみに、布の中には遺体ではなく生ごみを詰めておいた。辺りに漂う腐敗臭が遺体の状態の酷さを物語っている。布に触れようとした侯爵をベイルが止めた。
「お見せできる状態ではありません」
その言葉で、侯爵はその場に崩れ落ちた。
「う、ああ、セシリア……」
悲鳴のような声が辺りに響く。
「すまない、すまない」
人目も気にせず泣き叫ぶランチェスタ侯爵の姿を見て、父が満足そうに頷いた。
(我が父のお許しが、ようやく出たな)
ベイルはその場を離れると、セシリアの元へ向かった。窓から先ほどの光景を見ていたのか、セシリアは静かに涙を流していた。
ベイルが優しく引き寄せ抱きしめると、セシリアは腕の中で震えていた。
「私は、お父様にひどいことをしてしまいました……」
「貴女ではない。それをやったのは俺だ」
「でも、そうして欲しいと望んだのは私です。私がベイル様と一緒になりたいと願ったから……」
セシリアの白い頬に流れる涙をベイルはそっと親指で拭った。
「これは、ペイフォードの定めだ」
「え?」
涙で濡れた瞳が、不思議そうにベイルを見つめている。
「どうやら我が一族は、自分が気に入った人を『とことん愛でて可愛がりたい』という欲求が抑えきれない血の定めを持っているらしい」
ベイルの父は、今でも亡くなった母を溺愛しているし、妹のクラウディアもアーノルドに溺愛されているようにみえて、実はアーノルドを溺愛している。
セシリアがポカンと口を開けた。
「これまでは、妹のディアが俺のそういう存在だと思っていた。でも、それは違った。妹を可愛いと思う気持ちと、貴女への想いはまったく違っていて比べ物にならない。だから、もう駄目なんだ。俺は貴女なしでは生きていけない」
「え?」
「セシリア、これから一生涯、貴女を愛でて可愛がって良いという権利を俺にくれ!」
「愛で? か、可愛がる……? え、えっと……は、はい」
戸惑いながらもセシリアが頷いてくれたので、ベイルは思いっきりセシリアを抱き締めてその柔らかさを堪能した。そして、「行こう」とセシリアに微笑みかける。
「今から、ランチェスタ侯爵にネタ晴らしだ。相当怒ると思うが、もう貴女は俺のものだから手放す気はない。貴女もできるだけ後悔はしないように」
「は、はい!」
セシリアと手を繋ぎ歩き出すと、セシリアは幸せそうに笑ってくれた。
*
『セシリアが実は生きている』というネタ晴らしをされたランチェスタ侯爵は、全ての感情を失った顔をした。そして、天を仰ぐように祈りこの国の守護神である女神アルディフィアに感謝した。
セシリアが「お父様、ごめんなさい」と呟くと、侯爵はセシリアを抱き締め「もう何も言わなくていい。お前が生きてさえいてくれればそれでいい」と涙を流した。
「セシリア、今まですまなかった。我がランチェスタは、ずっと社交も贅沢も最低限でいいし、地味で質素に暮らすことが素晴らしいとして生きてきた一族だった。だから、お前の気持ちを考えず、お前にもその考えを押しつけてしまった」
「お父様……」
「今はもうそんな時代ではないのだな……社交をおろそかにした結果がこれだ! 隣国の公爵に騙され、もう少しで大切な娘をとんでもない男に嫁がせるところだった!」
ランチェスタ侯爵は、「本当に、本当にすまない」と繰り返している。
「セシリアは、地味でも質素でもなくていい! ランチェスタ一族の考えなど、もうどうでもいい!! お前はお前の好きに生きなさい」
「はい……」
ランチェスタ侯爵は、父に向って深く頭を下げた。
「今までのご無礼をどうかお許しください」
そして、ベイルに向き直った。
「ベイルくん、今まですまなかった。どうかセシリアを幸せにしてやって欲しい」
「はい」
「君には不釣り合いな娘だが……いや」
侯爵は首を振った。
「セシリアはどこに出しても恥ずかしくない立派な娘だ! こんな娘を嫁に貰えるなんてベイルくんは、幸せ者だ!」
「はい、そうです。俺は幸せ者です」
セシリアがうつむいて涙を堪えている。ベイルはそっとセシリアを抱き寄せて「式はいつにする?」と囁いた。
「いつでも、いつでも大歓迎です」
セシリアの返事を聞いて、ベイルはとても幸せそうな笑顔を浮かべた。