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たくさん電話機のある部屋



 不精髭を生やした中肉中背の男が狭いアパートの一室にいた。

 部屋はカーテンで閉め切られ、中央に吊るされた蛍光灯だけが照らしている。

 中には、古いダイヤル式の黒電話や肩掛け式のショルダーホン、固定電話に携帯電話、スマートホンにまだこの世には生まれていない未来の電話機までありとあらゆる電話機がひしめいていた。

 黒電話やショルダーホン、固定電話などの大きな電話機は壁に釘で打ち付けられた棚に壁が見えなくなるほど並べられていた。携帯電話や、スマートホンなどの小さな電話機は部屋のあちこちで幾つもの山を作り出し、半分ほどの山は崩れて、男が座っている部屋の中央の椅子の周り以外は足の踏み場もないほどだった。

 男は声を変えやすくなると仕事仲間の中でもっぱら噂のお茶を飲んで待っていた。

 始業まで、後五分であった。


 朝、A.M1:00。

 始業の開始と共に、椅子の傍のデコデコに装飾されたスマートホンが鳴った。

 そのスマートホンはこの二週間ほど前から毎日この時間きっちりに鳴るのだ。目立つスマートホンなため、男は傍に置いていた。

 耳に当てると、スピーカーから高圧的な男の声が聞こえてきた。

〈おい、ユミ。

 今どこだ?家にいるよな?そこら辺をほっつき歩いて、浮気してるんじゃねえだろうな〉

 またか、と思いながら、男は喉を触り、キンキンとする高音の女声を出した。

〈うん!!!

 まさか、うちがめちゃかっこいいタク君を捨てて、別の男に浮気する訳ないじゃん。

 うちは今から寝るとこ。うん、じゃあ、おやすみーーー。〉

 通話の切れたスマートホンから男は耳を放した。椅子の下の端末を拾って、データを確認すると二人が別れるのは一か月半後になっていたために、男はスマートホンをすぐ傍に置いておいた。


 早朝のこの時間では通話量が少ないために、男に割り振られる電話も少なく、男はしばらく暇をしていた。

 あまり暇で静かなため、男は我に返って自分の見た目と乖離したあんなギャルみたいな話し方を思い出して、自己嫌悪に陥っていた。

 そのため、電話機の山の中から鳴った携帯電話の音に男は飛びついた。

 かなり下の方のコドモ携帯が鳴っていたため、掘り出すのに手間取って3コール以上待たせてしまった。端末から相手のデータを急いで確認しながら出ると、いきなりすごい剣幕で怒られた。

[サトシ!!!今何時だと思っているの!!!

 今、どこにいるの。塾から真っすぐ帰ってきなさいといつも口酸っぱく言っているでしょ!!]

 端末でサトシ君のデータまで見終えると、男は少年の声で即興で言葉を紡いだ。

[ごめん、お母さん。

 今、電車が止まってるんだ。人身事故だって。

 動き出すには、しばらくかかるみたい。電車の中だから、切るね。

 え?うん。分かった。夕飯楽しみにしてる]

 男は携帯電話を切った。

 少し、遅れた。携帯電話の発掘に手間取り、データの確認も遅くなっていた。

 男は仕事場を見渡しながら、そろそろ整理をしなければいけないなと思った。同時に、自分は決してそんなことをしないだろうなとも思った。


 しばらくすると、端末が赤く光り出した。

 大きな仕事の合図だ。それに端末にデータが乗っていないために、男は床に散らばっている携帯電話やスマートホンの下からメモやクリップで纏められたチラシを引っ張り出していた。

 必要なデータが書かれているメモやチラシの束を集めると、黒電話が鳴り始めた。

 男はメモとチラシの束を床に広げると、椅子の上に立って、データを見渡しながら黒電話を取った。

〔おい、警察には連絡していないだろうな。〕

 興奮気味の男の声が電話口から聞こえてきた。

 今は誘拐を終えて、二度目の通話なのだ。一度目の通話は別の担当が行った。その担当が残したメモはあったが、実に乱雑なもので読み取りにくかった。

〔はい。勿論です。

 それより、息子は。息子は無事なんですよね!!〕

 声はこんな所だろうか。メモを残した担当のことは少し知っているため、父親の声を出すときはいつもこの声だと記憶していた。

 どうやら、電話口の相手は不審に思わなかったようで続けた。

〔ああ、当然だ。

 ところで、事前に言った一千万は準備したんだろうな〕

〔しました。

 ですが、息子の声を。息子の声を聞かしてくれないと安心できません〕

〔少し、待ってろ〕

 相手が電話口から離れていくのを感じながら、男は喉に触れて、妻の声の準備を始めた。

 この父親はあまり家にいないために、子供の声をほとんど覚えていないのだ。データに乗っているだけで、電話口の相手は知らない可能性もある。

 しかし、ここは万全を期す方が良いだろう。

〔お母さん、そこにいるの?〕

 怯えではなく、状況が飲み込めていないといった具合の少年の声が聞こえてきた。

〔ええ、ここにいるわよ。

 タケちゃん。大丈夫?いま、私たちが助けてあげるからね〕

 男は電話に縋りつくようにしながら、母親の声を出した。

 それだけで、電話口の相手が元の誘拐犯に戻った。

〔で、金の受け渡しについてだが――――――〕

 後は、父親の声に戻して頷いているだけで良かった。通話が切れると、男はこの時間を担当している同業者の通話の送り手に端末で必要なデータを送った。

 額に汗した男は、台所に行くと蛇口に直接口を付けて、喉を洗った。


 今度の電話は少しボケたおじいちゃんからだった。

{トミコさん、ご飯はまだかいなぁ}

 男は少し疲れたのか、ゆっくりと端末でデータを確認しながら寝起きの苛立ちがかなりこもった女声を出した。

{もう、おじいちゃん。

 私は結婚したんです。ご飯はおばあちゃんに頼んでください。

 それにこんな時間じゃ、夕ご飯はもう食べたでしょう。

 じゃあ、切りますよ}

 そう言って、男は少し荒々しく通話を切った。

 疲れて、仕事が雑になっていることを男は自覚していた。


 それから、しばらくの間ゆっくりとした時間が流れていた。

 誘拐犯との通話の演技が中々気に入った男は、少し気持ちのいい気分になっていた。

 適切な難度の労働の、気持ちのいい疲労感というやつだ。

 終業三分前ということもあって、男は椅子にもたれ掛かって伸びをしながら、もう仕事が終わった気分になっていた。

 だから、終業一分前端末にも予測なく鳴り始めた電話機の音に男は驚いた。

 その音が出たのは、部屋の隅、いくつもの山を越えた向こうの山の底であったために男には端末でデータを確認する時間もなかった。

 留守電になる前になんとか取ったが、男は端末の一ページ目しか見れていなかった。

《あー、俺だよ。俺。

 タナカだよ。分かんないかな。ナカタニ≫

 男はタナカのデータまでは端末で確認していたが、ナカタニのデータまでは確認しきれていなかったため、咄嗟に嘘を付いた。

《はて?

 私はニシヤと申します。

 申し訳ありませんが、間違い電話ではないでしょうか》

 そう言うと、電話口の男は深いため息を付いた。

《なんだよ。間違い電話かよ。

 あー、すみません。では、切りますね》

 電話は少しきつめに切れた。


 朝、A.M 2:00。

 終業すると、男は帰宅の準備をして、電気を消し、靴を履いて仕事場を出ようとした。

 その時、男は最後の通話の男が言った「間違い電話かよ」という声を思い出していた。

「間違い電話?

 いやいや、私たちはいつもあなたたちの電話に出ているじゃないですか」

 男は少し笑いながら呟くと、仕事場の鍵を閉めた。


他にも短編があるので、読んでくれると嬉しく思います。

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