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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
8章 愛されなかったこの世界で【ベテルギウス突入編】
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役目と責任

 血を流しすぎたのだろうか、意識が朦朧とする。酷く喉が渇いていた。


 握りしめているはずのサーベルの感覚がない。

 どうしてこの二本の脚が、今も彼の体を支え続けていられるのだろうか。最早、ハイドラ自身にもわからなかった。


 嫌でも視界に映り込む幾つもの肉片が、ハイドラの活力をじわりじわりとそぎ落としていく。頭の中を巡り続ける幾つもの断末魔が、ハイドラの思考回路へと染み込む様に侵食していく。


「まだ立つか」


 響く耳鳴りをかき消すかのような、兄の声。

 急激に冷えていく足先が震えた。視線を下げたら終わりだと、ただそれだけを考えていた。


 兄の問いかけが、ハイドラに、自身がここに立つ意味を思い出させていく。


「あたり、まえ、だ」

 自分に付き従ってくれた者。不信感をぶつけて来た者。

 果敢に戦い、命を落とした者。人としての死を、遂げられなかった者。


 幾つもの人間の姿を、目にしてきた。

 彼らは皆、平穏な明日を生きるはずだった者たちだ。


 平穏な明日を生きるために、アルケイデアを選んだ者たちだ。


「俺には、責任が、ある」

 少しずつ、サーベルを握る感覚が戻ってくる。


 一度は羨んだ無責任を、ハイドラは自らの手でどこか遠くへと押しやった。


「俺は、アルケイデア王国、第二、王子。ハイドラ・アルケイデア・アンジエーラ」

 この手に抱えた責任が、重圧が、彼の体を支えていた。


「やる気の無ェ、兄に変わって……。アルケイデアの、王に成る男だ」


 この名前が嫌いだった。アンジエーラが、嫌いだった。

 それが今、自分の原動力になっている事実を、いつぞやの自分に聞かせてやりたい。その様子を思い浮かべて、ハイドラは心の中で苦笑した。


「……成程」

 ダリアラは納得したように腕を組むが、その動作も所詮は()()()()()()でしかないのだと、ハイドラはすぐに気づいた。


「その心構えには感服しよう。天使の王に相応しいのは、やはりお前だったようだな」

 含みを帯びたその言葉が、ハイドラの心を揺さぶろうとする。


「お前の言う責任とは、何だ? アルケイデアが為に散った、同志の仇を討つことか。それとも王に成る為に、己が力を示すことか?」

「違ェよ、阿呆」


 しかしハイドラは、そんな兄の声に苛立つわけでもなく、むしろ憐れみさえ覚えていた。

 彼の決意は、そんな言葉では揺らがない。


「言っただろ。俺は、ハイドラ・アルケイデア・アンジエーラ。アルケイデア王国の、第二王子で」

 この重圧が、重い体に馴染んでいく。


「ダリアラ・アルケイデア・アンジエーラの、弟だ」


 ダリアラの言う責任も、当然存在している。

 仇は取る。力も示す。


 しかしそれ以上に、今の彼には果たさなければならない責任がある。


「兄貴の非行の、尻ぬぐいは――」

 逃げてばかりではいられない。この立場からも、兄からも。


「弟の役目、だろ」


 サーベルを握る手に、力が籠った。

 立ち続けなければならない。彼が、自分の兄である限り。自分が、彼の家族である限り。


「そうか」

 その回答に、感情は無いように感じられた。


 ダリアラは一度、一双の金色を瞼の裏にしまい込み、

「お前の雄姿に免じて、再び我が手駒として使役するのも良いかと思ったが――」

 やがて無機質な輝きを携えて、開いた瞳でハイドラを捉えた。


「今の言葉で、気分を害した」


 否応なく、ハイドラの肌が粟立った。

 ダリアラが右手を天へと伸ばす。その腕に浮かび上がった幾何学模様が、ハイドラの煩悶を煽った。

 鋭い爪が空をかき切ると、その空間の狭間から我先にと競うように、はらはらと山吹色が溢れ出す。


「無駄話は終わりにしよう」

「な……」


 禍々しさの中に生まれた柔らかな花弁が、ハイドラの思考をかき乱していく。やがてその花弁は片手剣の型を形成し、ダリアラの右手に収まった。不可解にも爛々と輝いてすら見えるその剣は、漆黒の空間によく映えた。


「時は満ちた」

 膝を折りそうになってしまう程の威圧感。それでもハイドラは、持てる気力を奮い立たせて、サーベルをダリアラへと向けた。


 受け止めなければ、殺される。

 覚悟を固める猶予など、ハイドラに与えられるはずも無い。


 ハイドラの掲げた剣を中心に、空気が渦を巻く。曇天が、渦を巻いていく。

 その輝きから目を離すまいと、ハイドラは焦点をダリアラの持つ剣へ注ぎ続けた。瞬き一つ、許されない。


 そして――。ダリアラは、姿を消した。


「……?!」

 突然の出来事に、理解が追い付かない。目を離したはずがない。意識を逸らしたはずがない。

 ダリアラが消えた理由は、たった一つだ。


 彼にその動きが、ただ追えなかっただけ――。


 ハイドラが息を呑む間に、曇天から、何かが彼を覆い隠した。



「無力」



 それは、ダリアラの翼。

 見上げたハイドラの視界を、山吹色が包み込む。


(無理だ)


 短い感想だった。走馬灯すら、浮かばない。

 せめて、最期に、一目だけでも――。


「……!」

 ハイドラの視線から、何かが山吹色を遮った。


 細く、赤に染まった白い腕。

 ハイドラが毛嫌いした、水色の髪。

 ダリアラにはない、純白の翼。


「――ッ!」

 ハイドラの体を抱きかかえるように、少女はその身を投げ出していた。


「ステラリリア……!」

 二人の間に無理やりに割って入ったニーナの体が、飛び込んだ勢いのまま、ハイドラを抱えて地面を転がっていく。

 ハイドラは混乱する意識のなかで咄嗟に一つの判断を下し、握っていたサーベルを遠くへと投げ捨てた。彼女を傷つけてしまう可能性を考慮したのだ。


 やがてその勢いが収まると、ハイドラの上に横たわる形でニーナの動きは止まった。ハイドラが慌てて彼女の背に手を回すと、ニーナは痛みに耐えるように苦悶の声を漏らす。


「お前……っ! 何、やってんだ!」

 その姿に自らの体の痛みなどすっかり忘れて、ハイドラが声を荒げた。


 ダリアラは確実に、ハイドラの命を奪おうとしていた。あの勢いのまま、ダリアラの握る刃が降り下ろされていたならば。彼女の体は確実に、深々と切り裂かれていたことだろう。


 彼女の乱入にいち早く気づいたダリアラが、意図的に剣を止めていなければ。


「…………」

 ダリアラの冷ややかな視線が、ニーナの体を射抜いた。全力で駆けて来たのだろう。荒げた呼吸を落ち着かせながら、ニーナはゆっくりと顔を上げる。


 彼女の体を支える様に、ハイドラは力の入らない両手でその肩を抱く。傷だらけの薄い肩が、小刻みに震えていた。

 ニーナの視線が、ダリアラへと向けられていく。


「やめ、て」


 乱れた長い髪の間から、彼女の表情を覗き見る。

 ハイドラはその瞳に、憤怒を見た。


「エリィの魔法で、人を傷つけないで!」


 これほどまでに、彼女が怒りを露わにしたことがあっただろうか。ハイドラは言葉を失い、ただその怒りの矛先へ目を向けることしか出来なかった。

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