強欲の双子
ジェシカの元で修行を積み、結果として得た唯一の魔法。
大嫌いだったこの力が、エリィにとって最大の武器だったのだと気づいた。
何が出来るのか。どこまで出来るのか。
誰よりも、この力を理解しているのは自分だ。
(これだけは、誰にも負けねえ自信がある)
師匠でさえ、扱うことの出来なかったこの力が。
魔力を花へと変える、この力が。
限界を感じたことなど、一度として無い。
「これが、俺の『進花』だ」
無数の花弁が、曇天の下で舞った。
薄紫の中から、少女を抱きかかえたエリィが立ち上がる。
「そんな……、ボクの、力が」
ピアンタは、既にその少女が自身の手中にないことを知覚していた。
彼女の中から、自身の力が消えていることを、知覚していた。
完全に意識を手放したらしいゲルダの両手は、既にドラグニア族としての臨戦態勢を失っている。しかしそれだけではない。
彼女がドラグニア族であることを示すはずの証が、ない。
有り得ない。そう理解しているのに、ピアンタの神としての五感が、いや、第六感ともいえる感覚が、有り得ているのだと告げている。
正しくは、ピアンタはこの現状を理解出来ていないのだ。
有り得ないはずの出来事が、目の前で起きている事実を。
「ま、さか……」
「エリィ!!」
第三の声に、誰よりも過剰反応を示したのはピアンタだった。
全力で駆けて来たはずの彼の足音が聞こえなかったのは、彼の体が子鼠のそれだからだ。
この見慣れた姿を目にして、ここまで安堵感を覚えたことは無い。エリィは息を呑み、駆けつけた相棒の名を呼んだ。
「ヨル!」
「ペルドゥ……?」
しかしそれと同時に、ピアンタもまた、彼の名を呼んでいた。足を止めたヨルは、小さな目をぐるりと動かして状況を把握する。
彼もまたピアンタと同じように、エリィの腕で眠るゲルダの様子に、多少の違和感を覚えたらしい。
しかし彼には、ゲルダを労わる時間など無かった。
「ペルドゥ、ねえ、やっと、来てくれたんだ?」
今にも泣きだしそうなその声に、先ほどまでの怒号が嘘のように感じてしまう。それでも、エリィは警戒を解かずに、まっすぐにピアンタの姿をその瞳に捉え続けた。
「あのね、ボク、頑張ったんだよ」
地面に足を付き、ピアンタは覚束ない足取りで、ゆっくりと子鼠の元へと歩いていく。
「ペルドゥがね、全てが終わったら、なんて言うから」
一歩、また一歩と。まるで、初めて一人で歩く子供のように。
「だからボク、少しでも早く、終わらせようと、思って」
あれほどまでに脅威に感じたはずの少女が、小動物を前にしゃがみこんだ姿は、あまりにも不思議な光景だった。
「なのに、みんなボクの言うこと、聞いてくれないんだ」
違和感こそあれど、しかしエリィにはその姿が至極当然の物のようにも見えた。
子が親に許しを請うような。いや、褒めて欲しいと、すがるような。
それはただ単純に、自己肯定を求める幼い少女の姿のようで――。
「でも、ペルドゥが来てくれたなら、ボクは……!」
「ピアンタ」
そっと、子鼠の小さな手が、地面に突いたピアンタの指先に重なった。
その声が、氷のように冷たい。
多少距離のあるエリィでさえも、その一言に体の芯から震えあがった。
ピアンタの顔が、引きつった。
指先から力が奪われていく。そんなことは構わない。そんなことを理由に、その手を振りほどくことなど、したくない。いや、絶対にするものか。
無理やりに口角を上げたピアンタは、次の瞬間、この決断を心の底から後悔した。
「一言だけ言わせてもらうよ」
人型を得たヨルの隻眼が、ピアンタの体を拘束して放さない。
血色のないその顔が、怒りに染まっていた。
「『余計なお世話だ』」
「――――!」
言葉にならない感情が、ピアンタの心を揺さぶった。そんなわけがない。そんなことを、言われるはずがない。
だって自分は、自分が欲しい者の為に、ただ動いていただけなのに――。
「なん、で? なんで、なの、ペルドゥ」
縋るように握った青年の手が、ピアンタの手を握り返すことは無い。
静粛に、冷酷に、彼はただ、ピアンタを見下ろしていた。
困惑、遺憾、萎縮。そして、畏怖。
感情が溢れて止まらない、この感覚は、まさに。
彼が、ペルドゥオーティであった証だ。
「……お前の、せいだ」
こんなにも近くに、彼は居るのに。
彼が、帰ってくることは無い。
「お前が、ペルドゥを変えた!」
予想もしなかった行動に、ヨルさえも対応が一歩遅れた。
ピアンタは目にもとまらぬ速さで空を駆ける。目指す先に居たのは、ゲルダを抱えたエリィだ。
「返せよ! ボクたちの、ペルドゥを!」
ピアンタの手の中に、突如大鎌が姿を現した。禍々しく光を放つその大鎌に、エリィは既視感を覚える。
「エリィ!!」
ヨルの声に、はっと意識を戻す。ピアンタの振り上げた鎌の刃が、目の前に迫っていた。
避けられないと、本能が悟っていた。
「返せ! ボクの神様を――!!」
ぐっと瞳を閉ざした瞬間、エリィはゲルダを守るようにその身を捩った。
冷ややかな無機物が、空間を切り裂いていく。
エリィの前髪が揺れる。痛みを覚悟するだけの一瞬はあった。
しかし、そのタイミングを過ぎて尚、覚悟していた痛みがエリィを襲うことは無い。
目を閉ざした暗闇の世界で、まるで時が止まったかのような刹那が過ぎていく。
「俺たち神が、人間を直接殺すことは禁忌です。忘れたんですか?」
エリィの耳に届いたのは、ピアンタの声でも、ヨルの声でも、ましてやゲルダの声でもない。
「何のために、そこの女性を操るなんていう、面倒な行為をしたと思っているんです」
現状は分からないが、脅威は去ったらしい。
ゆっくりと、エリィがその瞳を開ける。
「もう良いでしょう、ピアンタ」
ピアンタと同じ顔をした、桃色の髪の少年だった。その手には、ピアンタが握るものと同じ大鎌を携えている。
違いがあるとすれば、その刃の色が、朱である事。
「――がは」
ピアンタの口から、その朱と同じ色が溢れた。少年が鎌を引く。ピアンタの体は、糸が切れたかのようにその場に倒れ込んだ。
「え……?」
事の異常さに、エリィの理解が追い付かない。唯一つわかる事と言えば、少年の鎌の色が朱なのではない。
たった今、朱に染まったのだ。
「どうしてわからないんです」
少年はその手から鎌を消し去ると、倒れているピアンタの体を抱き上げて、その額に優しく口づけた。
「ぺルドゥが居なくたって、貴方の傍には、俺が居るのに」
まるで絵画のような情景が、エリィの視界に収まった。その美しさが、恐ろしい。
「……スッピナ」
「俺はね、ペルドゥ」
ヨルの言葉を拒絶するように、スッピナは矢継ぎ早に言葉を重ねた。
「ピアンタの喜ぶことなら、なんでもすると決めていました。だから、ピアンタが貴方を欲しがるのならば、必ず手に入れなければと思っていた」
胸部から血を流し続けるピアンタの顔から、スッピナは目を離さない。
「だけど、俺は気づいたんです。ピアンタの望みが、ピアンタの幸せにつながる訳じゃないのだと」
頬を摺り寄せるように、スッピナはピアンタの顔へ自らの顔をうずめた。
「……ペルドゥは、俺たちの元へは戻らない。そうなんでしょう?」
立ち上がったヨルが何かを言うより先に、スッピナは彼の疑問に答えていく。
「全てが終わったら、と言いましたね。それはこの世界や、そこの『アレクシス』がどうこうなる日のことではなくて――。貴方が死ぬ、その日を指していた。違いますか?」
数日前、彼らと顔を合わせたあの日。ヨルは自分の言った言葉を覚えている。
「僕は、君たちと一緒にどこへだって行くよ。……ただし、全て終わったら――、ね」
なんとも曖昧で、ずるい言葉だった自覚はある。それでもヨルは、その解答が最善であると判断した。
まさか、このような結果になるとは思いもしなかったが。
拳を握り締めたヨルは、何も答えない。スッピナが自嘲気味に笑った。
「ペルドゥがはっきりと拒絶してくだされば、ピアンタはペルドゥを諦めると思っていました」
でも違った。
ようやく顔を上げたスッピナは、吐き捨てるようにそう呟いた。
「最初から、こうしてしまえばよかった」
だくだくと流れ続ける血液を救い上げ、スッピナは自身の頬に当てる。
「苦しかったでしょう、ピアンタ。もう大丈夫ですよ」
外気に晒され、温もりを失った双子の血液に頬を染め、スッピナは恍惚とした笑みを浮かべていた。
「これでもう二度と。君の悲しい顔を、見ないで済む――」




