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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
8章 愛されなかったこの世界で【ベテルギウス突入編】
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誰も傷つけない魔法

 思わず目を閉じ、身を固めたエリィの体を、しかし痛みが襲うことは無かった。


「な、んで」

 ピアンタの動揺した声が、エリィの瞳を開かせる。


 エリィの手から離れたゲルダの腕は、空中に縫い付けられたかのように、振り上げた状態でピタリと静止していた。

 ピアンタがどれ程腕を動かしても、ゲルダの体がその指示に従うことは無い。


「クソ、クソ! なんで! なんでだよ! ボクの命令が、どうして通らないんだ!!」

 エリィはそんなピアンタの姿に、いつかの自分の姿を重ねていた。


 なんで……っ!!

 何も出来ずに、誰の助けも得られずに。迫りくる危険にそう叫んで、自分の無力を呪ったあの日の記憶が、随分と遠い。崩れ行く街の中心で、意識のないゲルダを守らなければならないはずの自分は。結局自身すら守ることも出来ずに、ハイドラに救われたのだ。


 「なんも出来ねぇのな」。その一言に、言い返す言葉などなかった。

 彼とともに去り行くニーナに、かける言葉が見つけられなかった。


 なんで、どうしてと。結局は周囲に頼り切っていたあの日の自分の姿は、ハイドラには今のピアンタのように見えていたのだろうか。


「早く、そいつを殺せよ!!」

 握りしめた拳を自身の太ももにたたきつけ、ピアンタは叫んだ。エリィの膝の上に座り込んだまま、ゲルダがその手を振り下ろすことは無い。


「~~~~ッ!!」

「もう充分だろ! ゲルダを解放しろ!」


 これ以上は、ゲルダの生死に関わる。彼女の体が痙攣を始めている。時間はない。

 今すぐにでもしかるべき処置を済ませ、彼女の体は安静にさせなければ。


 融通の利かない人形など、彼女にとっては最早荷物でしかないだろう。ゲルダが居なくても、次は彼女自身が攻撃を仕掛ければ良いはずだ。

 しかしそんなエリィの思惑に気づいたらしいピアンタは、何かを思い出したかのように一度動きを止め、やがて歪に口角を吊り上げた。


「無理だよ」


「は……?」

 嘲るような瞳が、暗闇の中でもはっきりと見えた。エリィの困惑した表情を、可笑しそうにピアンタが見降ろしている。


「無理なんだよ! アハハ、その子にはボクの血液を飲ませてある。ボクの残滓がある限り、その子はボクの操り人形だ!」

 勝ち誇ったように胸に手を当て、小さな悪魔が叫ぶ。

「ボクにだって取り除くことは出来ない。どうしてもって言うなら、その子の腹を切り裂いて、胃の中から掬い取って見せてよ!」


 ピアンタのその瞳は、エリィの反応に快感を得ていた。

「もっとも、今頃はその体中に行き渡ってるだろうけどね!」


 エリィは絶句した。腹いせ。八つ当たり。そんな言葉が頭を駆け巡る。

 自分だけが悔しい思いなどしたくない。そんな思いから生まれた、子供じみたはったりかとさえ思った。


「アハハハハ! そうだよ、思い通りにいかないのが、ボクばかりだなんて不公平じゃない!」

 いいや、強がりなどではない。エリィは背筋を走った悪寒に身を震わせた。


「っ、頼む、ゲルダ! 目を覚ませ!」

「無駄だよ! その子が君を殺すまで、ボクはこの手を下ろさない!」

 血にまみれた、薄い両肩を抱く。へばりついた血液が乾燥し、束になった彼女の髪が、エリィの動きに合わせて揺れた。


「ゲルダ!!」

「君さえ殺せれば、ボクはこの世界から立ち去っていたんだ! 君が素直に殺されていれば、その子は自由だったはずなのにね!」


 焦燥感が、再びエリィの思考をかき乱す。

 どうすればいい。自分には何が出来る?


「お前に出来ることなんてない! ボクに殺される前に、その子を置いてさっさと逃げなよ!」


 嫌という程、ピアンタの声が耳に付いた。

 本当に、そうなのだろうか。


「ゲルダ……!!」

 本当に、自分にできることはないのだろうか。

 このまま、彼女を失うことしかできないのだろうか。

 動かなくなった彼女の体を抱き上げて、一縷の望みに頼って、ただ神を名乗る数奇な存在に背を向けることしか。


 記憶の中で笑う彼女の様子が、目の前のゲルダの姿と重なることは無かった。

 抱いた彼女の肩が震えていた。その震えを通じて、彼女の主張がエリィの中へと流れ込んでくるようだった。


 ピアンタに抵抗しているのは、なぜだと思う?

 エリィと共にこの空中都市へ来たのは、なぜだと思う?


 貧血で視界が白む。彼女の声が聞こえた気がした。

 ゲルダに言葉を紡ぐだけの体力が残されていたならば、悩み苦しむエリィへ一言、こんな言葉を投げかけたことだろう。


 エリィだけでも逃げて、と。


「――嫌、だ」


 ぽつりと、エリィの唇が薄く開き、声が零れた。ピアンタの表情から、笑みが崩れ去っていく。

 逸る心を無理やりに押し込んで、エリィがゲルダの肩から手を放す。


 逃げて。

 ゲルダの言葉が、エリィの意思を動かしていた。


「逃げるかよ……!」

 逃げるな。そんな言葉を期待して、待っていた結果がこれだ。

 この期に及んで、まだ『誰かの指示』を期待していた自分に吐き気がする。


 自分がここで逃げて、何になる?

 この少女の思い通りに、世界が終わるだけだ。


「そんなの、俺がここに来た意味がねぇ」

 自らが望んだ力ではない。それでも、自分が『アレクシス』として生まれた意味は、必ずある。ジェシカと出会い、ダリアラと出会ったこの運命に、意味は必ずあるはずだ。

 そう思ったから、彼はここまで来た。


 ダリアラともう一度、話をしなければならない。

 この世界を、みんなを、守りたい。

 そんな大層な願望に縛られて、根本的な事を忘れていたような気がする。


「確かに『アレクシス』として、俺に出来ることは限られてるのかもしれない」

 ダリアラのように、自身の正体を自覚して生きてきたわけではない。

 五十年前のアレクシスのように、使命を持って生まれた訳ではない。


「だったら尚更! 君が、今を生きる理由なんて無いじゃない!」

 ピアンタの言葉を、肯定する自分が居るのも事実だ。

「早く逃げなよ、ボクに背を向けなよ!」

 そうすれば、きっとピアンタはエリィを殺すだろう。彼の腕の中で、ゲルダもまた覚めない眠りにつくことになる。そうすれば二人は、これ以上苦しまずに、悩まずに済む。

 そんな未来を、ゲルダが許すはずがない。

 そしてなによりも、エリィ自身がその未来を強く否定していた。


 考えろ。

 出来ないならば、どうすればいい。


 ()()()()()()



「私はエリィの魔法好きだけどね。――だって、誰も傷つけないじゃない」



 ゲルダの言葉が、彼を彼たらしめる。

 たった一つだけ。

 自分にしか、出来ないことがあるではないか。


 思い出せ。自分が、何者なのかを。

「『エリィ』――……」

 ゲルダの口から絞り出すように発せられたその一言が、全てだった。


「ああ――、そうだった」

 両手を伸ばす。彼女の頬を撫でる。

「俺には、これしかない」

 エリィの手で避けられた短い髪の間から、ゲルダの涙に濡れた瞳が見えた。


 彼女に呼ばれたその名前が、自分の全てだ。

「ごめんな、ゲルダ」

 こんなにも、待たせてしまった。

「今、助けるから」


 頬を撫でていた両手をゆっくりと首筋へ落とし、エリィはその背中へと腕を回した。

 苦しくないように、そっと優しく。それでいて、この手から逃げないように。力の限りを注いで、その体を抱きしめた。


「何、するつもり」

 様子の変わった二人の姿に、ピアンタが動揺の声を上げる。


 何もできないはずだ。エリィの中の『アレクシス』の力は、既に奪われているのだから。

 わかっているのに、この違和感は何だ。


「ッ、放せ! ボクの人形から手を放せよ!」

 ピアンタが必死に手を動かしても、ゲルダの体が動くことは無い。寧ろゲルダの体は、ゆっくりとエリィの腕の中へと沈んでいく。自身を抱きしめる少年へ、その身を任せて眠るように。


「いい加減に――!」

 エリィの手のひらが、ゲルダの背を撫でた。


 久方ぶりの感覚に、エリィはどこか心地よさを覚える。

 手のひらだけではない。全身で感じるゲルダの冷え切った体温を、感じ取っていく。


 ふと、ゲルダの中に、異物を感じた。

 エリィには、この異物の正体がよくわかる。


 幾度となく繰り返した、相棒の鼠との戯れが。こんなところで、役に立つとは――。


「なに、これ」

 ピアンタが、不可解な感覚に眉を寄せる。感じ取っていたはずの自らの力が、ゲルダの中から消えていく。


 確実に掴んでいたはずの糸が溶けて、宙へと霧散していくような。

 操れるはずの人形が、手中から逃げていくような。

 自分がゲルダに与えた神の力が――、『魔』の力が、昇華されていく。


「何してるんだよ、お前!」

 エリィの両手の平を中心に、薄紫が溢れ出す。

 やがてそれは、二人の体を抱きかかえるかのように、ゲルダの体から放たれ、散っていく。


「これは、()()()()だ。ダリアラなんかに奪われてたまるか」


 それが無数の花弁であることに気づいて、ピアンタは言葉を失った。


「『アレクシス』である前に――、俺は、魔女の使いの『エリィ』なんだよ」

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