思い通りにならないモノ
「……ねえ、どうしてそんなに抵抗するの?」
それは、純粋な疑問だった。
ピアンタには死の間際に立たされて尚、エリィが自身ではなく、その少女を気に掛ける理由がわからなかった。
「君は『アレクシス』を止める方法を聞いたんだよね。なのに此処に居たってことは、君は『アレクシス』を止める気がなかったってことでしょ?」
「――っ」
「それなら、ここで死んでも、この世界と共に滅んでも、仮に君が『アレクシス』を止めたとしても。君もその子も、結末は同じじゃない」
呼吸が一層浅くなる。言葉に表すと、恐ろしい程に壮大で、単純なことだ。
「人間って本当に不思議。……あ、君は仮にも『アレクシス』だから、人間じゃあないのか」
ね、とピアンタが笑った。その言葉に答えられるだけの気力は、既にエリィには残っていない。それでも彼は、必死に脳を動かしていた。
ヨルの言ったことが事実ならば、この少女の言葉もまた事実なのだろう。
今死ぬか、数刻の後に死ぬか。
『アレクシス』であるエリィと『ザデアス』であるゲルダに残された未来は、その二択だけ――。
(そんなの、選びようがねぇじゃねーか)
そう悟ったその時、ゲルダの手首を掴む自身の両手から、ふっと力が抜けたことに気づいた。
この間にもゲルダの力は弱まるどころか増す一方で、エリィの喉では彼女の名を呼ぶことさえ困難になっていく。
「可哀そうな『アレクシス』。……最後に同胞の好で、さっきの君の質問に答えてあげるね」
首へ伸し掛かる圧迫感に、エリィはゆっくりと思考を手放していく。
「ボクは『ベル』のピアンタ。君が人間じゃないのと同じように、ボクも人間じゃない。あぁでも、ボクたち『ベル』は、神の創造物なんかじゃないよ」
下がりかけていたエリィの両手が、ピタリと止まった。
「――つまり、正真正銘の神サマってやつ!」
世界を生み、人を造り、ザデアスを生み出した神は、今から五十年前、この世界を見捨てる決断を下した。そのために、アレクシスは創られた。
それでもアレクシスは、神の意思に背いて消えていった。
「いい加減、無駄な抵抗は辞めなよ。この世界が壊れて暴走する前に、ボクたちが責任を持って処分してあげなくちゃ。そうでしょ?」
残された人類は、見捨てられたこの世界で、何も知らずに生きていた。
「これはね、救済なんだよ、『アレクシス』」
五十年の月日が経ち、神の意思は再びこの世界に向けられた。
(勝手に生んで、勝手に創って、勝手に壊していくのか)
それが神の意思なのだ。
(そのために、全てをなかったことにしようってのか)
ふつふつと湧き上がる感情が、再びエリィの両手に力を込めていく。
「――――だよ」
神が見捨てたと言うのなら、今、自分たちが生きるこの世界は、一体誰のものだ。
この世界の破壊は、誰の意思だ。
世界の破壊。救済の終焉。
その意思を持つ者は、神だけだ。
それならば。
「お前ら、は……」
そうだ。
この世界に残された人類の大多数は――、何も知らずに、今日を生きている。
「……なあに? 聞こえないよ」
今、動いているのは誰だ。
世界の存続をかけて、戦っているのは誰だ。
そこで成り行きを見つめる少女か? 『アレクシス』の生みの親か?
(――違うだろ)
「例え私が天の使いだとしても、それが神の望む選択なのだとしても……! 人を殺めてまで、成すべきことなんてありません!!」
あの時の彼女の言葉は、「今」を生きる、人間の言葉だ。
今、意志を持っているのは――。神に捨てられた、人類だ。
「お前等は! いつまでこの世界の神で居るつもりだよ!!」
ぐっと、ゲルダの手首を握る。霧がかかっていたはずの視界が、やけに明瞭に晴れた。
一体この体のどこから力が湧いているのか、エリィ自身にもわからなかった。
「君……」
小さな動揺の色が、ピアンタの声から伺える。
「責任を持って、だと? いい加減にするのはお前等の方だ!」
それでもエリィは、自身の心臓がひどく跳ねていることを感じていた。ゲルダの手首を握る両手に、次から次へと力が流れていく。
少しずつ、首にかかる圧迫感が、薄れていく。
「救済なんて、誰が頼んだ? お前の言葉、俺のダチが聞いたら、みんな揃ってこう言うぜ!」
逃げてばかりの自分に、こんなことを言う資格はないのかもしれない。
それでも、言わなければ虫の居所が収まらなかった。
「まさか……!」
ピアンタの動揺が、明らかにその声に現れていた。
エリィの首から、ゲルダの手が離れていく。
「『余計なお世話だ』ってな!!」
ゲルダの体を押し返し、エリィは上体を持ち上げた。一気に肺に送り込まれた空気に、思わずむせ返ってしまう。必死に呼吸を整えて、エリィは項垂れるゲルダの様子を盗み見た。
両手から一瞬でも力を抜けば、すぐに状況は戻ってしまうだろう。それでもエリィは、ゲルダに先ほどまでの力が無いことを悟っていた。
「っ、何してるの!」
その声は、ゲルダに向けられたものだ。
「お前はボクの操り人形でしょ! 勝手に押し負けるんじゃない!」
駄々をこねる幼子のように。感情に身を任せたピアンタの白い肌が、赤く染まっていく。しかしいくら彼女が指を動かし、手を動かしても。ゲルダの体がその命令に従うことは無かった。
「何してる! たかがザデアスの分際で、このボクに逆らうつもり?!」
現状、彼女が優位に立っている事実に依然変わりはない。それでもエリィにとって、こうもピアンタが取り乱す様子は、不思議と腑に落ちる事態だった。
「ボクたちの、『神の残滓』のクセに!」
自分の思い通りに事が運ばないこと。しかもそれが、人であること。
そんなちっぽけな理由に、ピアンタは憤りを覚えているのだ。
「なあ」
「うるさい! 早く動けよ、人間!」
ゲルダの意思なのか、それとも単に限界が近いのか。
最も近くに居るエリィでさえ、その判別はつかなかった。
「さっきから、ひとつだけ気になってたんだけどよ」
「うるさいってば! 早く『アレクシス』を――!」
「お前、どうしてそんなに俺を殺すことに執着するんだ?」
ピアンタの手が止まった。
「そもそも、お前は言ったよな。ここで死んでも、世界が消えても、『アレクシス』を止めても、俺たちの結末は同じだって」
絶望にも思えた言葉が、澄んだ頭の中では希望にすら見えた。
大声を出したことが、苛立ちを吐き出したことが、彼を不思議なほどに落ち着かせていた。
人は極限状態に立つと、こうも落ち着きを取り戻すのかと。今のエリィには、そんなどうでもいいことを考える余裕さえあった。
「だったら、俺の事なんて放っておけばいい。どうせ死ぬんだ。わざわざ、お前が手を下す必要なんてねーだろ」
「……そんなの、君に『世界の終わり』を邪魔して欲しくないからに決まってるでしょ」
「違うな」
エリィには、不思議な自信があった。
「そもそもお前の目的がダリアラを、『アレクシス』を守ることなら、こんなところで油を売ってる暇はねえ。今もダリアラは、『アレクシス』の使命を果たせてない。この状況なら、動くかどうかもわかんねー残りカスの俺の相手をするより、ダリアラの所に行く方が自然だろ」
興味のあるもの、心配なもの。そんなものは、いつでも目につくところに置いておきたいはずだ。
しかも五十年前、神は既に一度失敗を経験している。次はないと意気込んでいるのではれば、尚更こんな場所で、悠長にエリィの相手をするとは思えない。
「お前は『アレクシス』にも、この世界にも、興味ねーんじゃねえの」
「――ッ」
明らかな動揺、いや、苛立ちだろうか。
今度はエリィが、無言を肯定と受け取る番だった。
「こんなことしてまで、俺を止めたい理由ってなんだよ」
「関係ないだろッ!!」
怒鳴り声。まさに癇癪を起した子供だ。
ピアンタは明らかに不機嫌な様子で、桃色の髪を掴んで頭皮を掻きむしる。
「こんな場所に興味なんてある訳ない! お前さえいなければ、ボクだってさっさとこんな世界から立ち去ってるんだよ!」
足をバタバタと振り回し、ピアンタは小さな体の全てで怒りを示す。
「なんでみんな、ボクの思い通りに動かないんだ! ボクは、ボクはただ、ペルドゥが欲しいだけなのに!!」
やけくそのように、ピアンタが右手を振り上げる。
エリィが掴んでいたゲルダの腕が、ピアンタに操られるがまま、その拘束から抜け出した。
「?!」
油断していた。
突然の出来事に、エリィの反応は追い付かなかった。