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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
8章 愛されなかったこの世界で【ベテルギウス突入編】
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「逃げて」

 足音が聞こえて、見つめていた両膝から視線を上げる。

 月明かりの下に、細い足首が見えた。


 エリィはその靴に見覚えがあった。

 見間違えるはずがない。家族同然の、幼馴染の脚を。


「……」

 その両足は、エリィから充分に離れた場所で止まった。お互いの表情はおろか、上半身さえも、周囲の建造物の影に隠れて目に移すことが出来ない。


 なにも言わない少女の気配に、エリィは途方もない居心地の悪さを感じていた。

 彼女と共に居る空間で、こんな感情を抱く日が来るとは思いもしなかった。


「……ごめん」


 精一杯の言葉だった。

 こんなにも感情がうまく制御できない経験は、初めてだ。


 何を選んでも、その先に「やりたいこと」は無い。

 自分が今、一体「どうしたい」のか、わからない。


 膝の上で組んだ手のひらに、ぐっと力が籠る。


「俺……、俺さ」

 自分でもわかる程、あまりにも頼りない声だ。

 あまりの静寂に、現実を忘れてしまいそうだった。


「守りたいって、守ってやるって思ってたんだ。この世界をさ」

 彼女からの言葉がないのを良いことに、エリィは次々と言葉を吐露していく。

 体温すら感じられない程遠くにいるというのに。彼女の存在を知覚しているだけで、その姿に甘えてしまう。


「なんで俺がって、少しも思わないって言ったら嘘になるけど。……俺にしか出来ないことなんだって思うと、なんかカッコいいだろ?」


 きっと何を選んでも、ヨルやジェシカは自分を責めたりはしないだろう。

 意思はある。この世界を守りたいという意思が。『アレクシス』として、その終焉に立ち向かうこと。その行為に異論はない。その先に、自分が居なくても構わない。


「でも、それは、……お前らのさ」


 目頭が熱を帯びたことに気づいて、自分の不甲斐なさに苛立った。


「皆の事だって、含まれてたんだぜ」


 言葉にすると、不思議と簡単なことのように感じてしまう。

 エリィが、()()()()()()持った、もう一つの意思。


 ジェシカや、ヨルや、ニーナや、ゲルダや、これまで知り合った全ての人々の未来を守りたい――。そんな、単純で、極めて困難なもの。


 自分が犠牲になるから。だから、みんなの事は見逃してくれないか、と。

 そう頼み込める相手は、どこにも居ない。


「俺だってさ、こんな所で座り込んで、何してんだろって思ってんだよ」

 やりたいのに、出来ない。

 動きたいのに、動けない。

 そうやって、立ち上がることを拒んでいた。


「なのに、俺は……」


 置いて行け。

 そんな言葉を、共に進むべき人に投げかけてしまった後悔が、嫌という程エリィの両肩にのしかかっていた。


 ニーナの姿を見失った後、言い訳ばかりの暗闇に逃げ込んで、重い腰を上げようとしなかった。現実から目を逸らして、なにも考えないように。

 時が止まっているような、そんな感覚が心地よかった。


「俺は……」


 ざり、と一歩を踏み出す音が聞こえた。

 彼女が少しずつ、自分の元へと近づいている事実を感じた。


 エリィの心を埋め尽くす後悔。それは彼自身に残されていたちっぽけな自尊心と、ニーナに対する罪悪感。そして何よりも、今も尚湧き上がり続ける「動きたい」という衝動から来るものだということを、頭のどこかで自覚していた。


 例え自分に出来ることが何もなかったとしても、ここでただしゃがみこんだまま、世界の終わりを迎えることだけは、したくはない。


 エリィの中で、とっくに答えは出ていた。

 ただそれでも、エリィはほんの少しだけ、背を押してくれる力が欲しかったのだ。


 逃げるな、と。


 自分の不甲斐なさに、反吐が出る。

 ニーナのように、自ら進む勇気を、自ら抗う意志を、持つことが出来ない自分に。



「――――ッ」

 ぱちりと、エリィは両の目を開けた。

 小さな空気の変化が、エリィの全身を逆撫でる。ざりざりと近寄っていた足音が、エリィの動きに答えるように、その音を止めた。

 ほんの少しだけ、エリィはゆっくりと視線を上げる。

 抱きかかえた両膝は、すぐ隣に立つ人の影に覆われていた。


 ツンと漂う不快な香り。すぐそこに彼女は要るはずなのに、普段のような温もりが感じられない。

 かといって、冷たいわけではない。冷ややかでこそあるが、不思議と燃えるような熱を感じた。


 その違和感が、事の異常さをエリィに示している。


「ゲル、ダ……?」

「……――て」

 掠れた声が、エリィの中の警報を叩き鳴らした。


「逃、げて……!」


 自分の反射神経の無さに、エリィは今度こそ自身の不甲斐なさを心底思い知ることになった。

 ゲルダの忠告も空しく、側腹部に走った鋭い痛みに、エリィは声さえ出すことが出来なかった。


 咄嗟に立ち上がったエリィの体は衝撃で路上に吹き飛ばされ、地面を擦る。

 世界が何度も回転し、ようやくその動きを止めた。正しくは、エリィの体の動きが止まった。

「っ、ぐぅ……」


 何が起きたのか、さっぱりわからない。あまりに唐突の出来事で、思考が働かない。

 それでも、エリィは必死に瞳を動かして、視界の先に少女の姿を捉え――戦慄した。


「ゲル、ダ」

 先ほど感じた不快な香りは、鉄の匂いによく似ていた。

 霞んだ世界の中でもわかる。ゲルダの身にまとう衣装を紅く染め上げているものは、彼女自身の、血液だ。


「逃げて、お願い……!」

 暗がりでよく見えなかったが、彼女の顔色はすっかり青白く、その瞳には涙が溜まっていた。

 彼女の両手は大きく変形し、その鉤爪の先からはぽたりぽたりと鮮血が滴り落ちて、彼女の足元さえも紅に染めている。


 その鮮血が自分のものだと気づくまで、エリィは数秒の時間を有した。

「なんで――」

 事態に、理解が追い付かない。こんな状況は、おかしい。


「あーあ、一撃で殺せって言ったじゃん。ヘタクソ」


 氷のように冷え切った第三の声に、エリィが身を固くする。

「ぅ」

 不意にゲルダのあごが持ち上がった。いや、何者かが彼女の前髪を掴み、無理やり顔を上げさせたのだ。


 宙を浮遊し、至極つまらなそうにゲルダを見下ろす、桃色の髪をした少女が。


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