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魔女の使いは戦わない  作者: 柚月 ゆめる
8章 愛されなかったこの世界で【ベテルギウス突入編】
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堕ちた者

 誰よりもその様子を近くで見ていたニーナは、一瞬の出来事に思考を停止していた。


「あ、」

 頬にへばりついた肉片が、ほんの数秒まで倒れた体の首に乗り、個人を成型していたものだったのだと気づいた。


「ッ、うェ……」

 途方もない吐き気に顔をゆがめたニーナだったが、その口から溢れるのは胃液と混ざった紅の血液だけだ。口内のその感触でさえ、今の彼女にとっては不快極まりない。


 その様子を、ただ見ていることしか出来なかった。

 くらくらするほど頭に血を上らせたハイドラが、その苛立ちを爆発させる。


「クソ野郎がアァァァァァ!!!!」

 力任せに抜いたサーベルの鞘が、音を立てて床へ落下した。駆けだしたハイドラの後をアルケイデア兵が追い、ミエーレの騎士もまた、憎悪に駆られて床を蹴る。


「落ち着いて、ハイドラ!」

 そんなフランソワの声は、兵騎士たちの鬨の声に掠れて消えていく。

 ダリアラとその幻影が、幾重にも重なって彼らに襲い掛かった。目で追っていたはずの本体が、幻影に隠れて姿を消す。


(……人を辞めても頭脳は劣らず。流石は神の兵器、といったところか)


 この期に及んで、これ以上ない挑発だ。ただでさえ気が立っていた彼らを感情で動かすことがダリアラの狙いだったのならば、その作戦は大成功だと言える。

 次から次へと現れるダミーに、ハイドラは怨念を込めてサーベルを突き刺していく。きっとハイドラ本人も、これが消耗戦だと気づいているはずだ。それでも、彼は動かずに入られない。


 落ち着いて。平常心を保たないと、勝ち目はないよ。

 そう言うべきだ。彼らを指導すべきだ。

 実物に背を向ければ最後、待っているのは無念を抱いて首なし死体と化す未来だけ。

 死んでも死にきれたものではない。


 人を辞めた――正しくは辞めさせられたのだ、強制的に――彼の姿は、一瞬でこの場に居る全員のトラウマになっていた。それは、フランソワも同じ。


「どこだ! 出てきやがれ、ダリアラ!!」


 ハイドラの擦り切れるような声が、兵騎士の士気を上げた。

 細かな瓦礫が、靴底に擦ってパキパキと音を奏でている。偽物のダリアラの姿が、切っては崩れ、絶っては壊れていく様子は、まさに異様だった。


 まるで魔法ではないか。乱戦から数歩離れた場所に立ったフランソワは、現実を俯瞰し考えていた。

 先ほどまで伸ばしていた手が、いつの間にかだらりと下がっている。

 感情的になれば殺される。落ち着かなければ。この状況を打破する方法を、冷えた頭で瞬時に導き出さなければ。そう、頭では理解しているのだ。それでも。


 気づいていたのに。もう少し、反応が早ければ――。


「クソ……!」

 拭えぬ後悔に悪態をつき、フランソワが生やした翼を羽ばたかせた。

言葉にならない怒りと恐怖を前に、人はこんなにも冷静さを欠いてしまうものなのか。フランソワは自分の愚かさを自覚しながらも、その衝動を抑えることが出来なかった。


 上空へと浮上し、鈍く輝く双眼でダリアラの本体を探した。

 ダミーの正体は瓦礫なのだ。本体とは、明らかに異なる動きを見せるはずだ。


 的にならぬようにと常時空中移動を続けながら、フランソワはその場の状況を追い続ける。


 ミエーレの騎士が切りかかっている……あれは、瓦礫。その隣で彼に襲い掛かるように手を上げたあれも生命ではない。ニーナを庇うように立ちまわるアルケイデア兵の眼前にある物も、よく似ているが別物だ。


 荒れる人の呼吸が耳障りで、あの禍々しい異物の動きが聞こえない。視力で判断するしかない。

 羽ばたかせた羽の空気を刻む音が、フランソワの意識を一点に集中させた。


 ハイドラが崩した瓦礫の影から、黒いなにかがぬらりと動いていた。

 あれも瓦礫か?


 いや、違う。


「ハイドラ!!」

「!」


 名を呼んだその一呼吸の間に、ハイドラがサーベルの刃を空へと向けて、力の限り振り上げた。無理に腕を捻る咄嗟の行動に、ハイドラの呼吸が止まる。

 剣には、確かに肉を裂く感触があった。


 ――しかしそれは、ほんの数ミリの感覚だ。


 届かなかった。そう悟ったハイドラが、一気に酸素を肺へと運ぶ。

「フランソワ!!」


 ハイドラから目を離したダリアラは、その視線を瞬間的に動かして、上空に浮遊する個体へと標的を変えた。

 ハイドラはその行動を先読みしていたが、それも一瞬の差。彼が声を上げた時には、ダリアラの体はフランソワ目掛けて高速で上昇していた。


「っ……!」

 衝撃に構えた瞬間、フランソワの両手が握り返したのはダリアラの両手だった。眼前には表情のないダリアラの顔。

 フランソワは震える両手でダリアラの圧を抑えつけるが、その両腕には血管が浮き出ていた。

 ダリアラは常人のそれとは比べ物にもならない握力で、フランソワの両手を握りつぶそうとしている。


「堕ちた、ものだね。アルケイデアの王子ともあろう男が……!」


 蛇に睨まれた蛙の感情が、少しだけわかったような気がした。力負けするのは時間の問題だとわかっていても、フランソワがその手を放すことは無かった。

 いや、出来なかったのだ。


「軟弱」

 そんな呟きと同時に、フランソワは自身の手の骨が折れる音を聞いた。


()()()()()()、黒き人間よ」


 力の入らない両手では、これ以上の抵抗は不可能だ。

 そう悟った時、フランソワは文字通り()()()()()()()


 およそ人の体が放つ音とは思えない打撃音。それと共に、フランソワの体が抉れた瓦礫の中に消えていく。

「フランソワ……?」

 舞い上がった砂埃のせいで、その存在すらまともに確認することが出来ない。


「王子ィ!!」

 あまりの衝撃に言葉を失っていたミエーレの騎士が、我に返り声を荒げる。

 平常心を失い駆けだしたその騎士は、次の瞬間、空から降り注いだ岩塊と、床の間に消えた。

 彼は、言葉すら残さず消えた。


「ァ――――!!」


 言葉にならない咆哮が、ハイドラの喉をかき切った。

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