蚊帳の外だった少女
「偵察班合流! 応戦します!」
合図を受け取ったハイドラ・フランソワ率いる小隊は、アルケイデア城で例の獣と交戦していた。
彼らとて、ただエリィの目覚めを待っていた訳ではない。多大な数の負傷者は気合で体力を回復し、再び前線に立っている。
彼らの原動力ともなっている感情は、この世界を守らんとする正義感だけではない。今も尚、城内に残された仲間の遺体を思えば思う程、彼らの動きは獰猛に、強力になっていく。
「聞け! 絶対に、とどめを刺すな!!」
最前で剣を振るうハイドラが、偵察班に対して声を放った。
一瞬の動揺を見せた兵に、近くで戦っていた騎士が首を振る。その男もまた、腑に落ちないといった顔つきだ。
「ただし、どうしようもない状況になったら――、自分の命を最優先に動け! その時は、俺の言葉は忘れていい! 躊躇わず、息の根を止めろ……!」
ハイドラの声に眉をひそめた兵士だったが、誰一人としてハイドラに苦言を呈す者はいなかった。彼の声からは、悲痛にも似た感情がにじみ出ていた。
今は言えない事情があるのだろう。それを問いただすのは、全てが終わってからでも充分だと。進み続けた兵騎士には、そう考える余裕さえあった。
いや、決して彼らに余裕があったのではない。
そう考えることで、無理やりにでも余裕を感じようと必死だったのだ。
荒れ狂う空の下で、この先の未来に希望を持たなければ、彼らの足は今にも止まってしまいそうだったのだから。
「障害、撃破!」
「進むぞ!」
意識を失い足元に倒れ込んだ獣を後目に、ハイドラは駆けだした。
彼に続く小隊の殿は、フランソワが受け持っていた。
「申し上げます、王子。やはり殿は、わたくしが受け持ちます」
わざと前の兵士から距離を取った一人の騎士が、やや言いにくそうに隣に並んだフランソワへと告げる。
「危険だから、かな?」
返り血を浴びた顔に笑みを浮かべたフランソワの姿に、騎士は静かに背筋を凍らせた。
「大丈夫だよ。そんなことは、この部隊のどこに居たって変わらないし。なにより、僕は君より強いからね」
フランソワよりも年齢を重ねた騎士であっても、そんな言葉を前に、否定など口が裂けても言える訳がない。当然、フランソワもそれを理解した上でこう答えているのだ。
「失礼致しました」
うんうんと頷いたフランソワに背を向け、騎士は前を進む小隊の中にまぎれた。
フランソワはその姿を見届けると、血液の匂いに眉を寄せ、足元に視線を向ける。真っ白な毛並みを紅に染めて、三体の獣が床に接吻していた。
(あばらを数本。……足と鼻骨、あっちは鎖骨もいってそうだ)
即座に、そして淡々と検視結果を並べながらも、フランソワがその足を止めることは無い。
ハイドラの言葉に対して兵騎士が浮かべる疑問の答えは、彼だけが持っている。
(言ってしまえば楽なのに)
同じ言葉を、フランソワは出撃前のハイドラへと投げつけていた。
しかし彼は首を横に振り、「知らなかったとはいえ、彼らが仲間を殺した事実を知る必要はない」と答えた。
大広間で息の根を止めた獣の数を、フランソワは覚えていない。
一方で、大広間を出た先の廊下に残されていた遺体の数は、その一人ひとりの顔と名前でさえ、鮮明に記憶していた。
今、目の前に倒れ込んでいる獣は、三体。
「三体……」
数えてしまう。獣の姿が、人の姿に見えて仕方がないのだ。
進行方向には力の抜けた獣の腕。フランソワは長い足を上げ、その腕を跨いで行く。
「……失礼」
名も知らぬアルケイデア兵。
一言小さく呟いて、その続きの言葉は心に落とした。
* * *
一方、アルケイデア城から少し離れた民家の玄関に、そわそわと城を見つめるゲルダの姿があった。
「う~ん」
意気揚々と軍に続こうとしたゲルダへ、ここに残るよう指示したのはフランソワだった。万が一エリィやニーナがここへ戻った時、現状を伝える役割を担ってほしいと。
重要な役割だと説得されゲルダは快諾したが、今となってあの時頷いた自分を呪っている。
エリィもニーナも、ヨルやジェシカでさえ、彼女の前に姿を現すことは無い。加えて獣による襲撃や隕石の落下が近場で起こるわけでもなく、ゲルダはただこの場で立ち尽くす事しか出来ないのだ。
これでは自分がここまで来た意味がないと歯がゆく思う一方で、エリィたちだけではなく、城から逃げてきた負傷者の手当を担うためにも、自分が最前線に加わる訳にはいかないのだと。現状に納得しようとする自分もいる。
「こんなことになるなら、もう少し薬品を持ってくればよかった……」
近くで手に入る限りの木の枝や、民家内に保管されていた衣類は一か所に集め終わっている。しかしこの荒れ果てた土地で、薬草のような物を発見するには至らなかった。
そんな中でも、出来得る限りの準備を終えた今。ゲルダはただ、戦場に立つ彼らを想って、無事を祈る他に出来ることは無い。
『アレクシス』として世界の存続を争う、エリィとダリアラ。それを止めようとするニーナ。国を守るために剣をとる二人の王子。エリィを守るために戦うジェシカとヨル。
どの勢力にも、自分が入る隙は無いように感じた。
「……そもそも私は、この戦いに直接関係がある訳じゃないしなあ」
無理を言ってついてきたことは百も承知だった。一人になって戦火から離れた今、落ち着いてここ数日の記憶を思い起こせば、自身が部外者とも言える立場に居ることを改めて思い知らされる。
自分に出来ることは、戦う彼らの帰りを待つことだけ。
その場所が、彼らから遠いか近いかの差でしかないのだろうか。
世界滅亡なんて現実味のない話に、自分が関わる隙なんて――。
「本当に、そう思う?」
「っ」
突然の声に幻聴を疑うが、現実に聞こえた声のようだった。暗闇の中から、不思議な気配を感じる。
ヨルだろうか。明らかに声色は異なっているのに、ゲルダは最初、不思議とそう思った。
目の前にふわりと降り立ったのは、桃色の髪の少女だった。
「こんにちは。『マリー』により近いヒト」
本能的に、ゲルダは彼女から距離をとった。後ろに跳ねた彼女の背を、誰かの両手が受け止めた。
「誰!?」
「あの、突然すみません……!」
ひやりとした感覚が、その声の主が人ではないことを示している。振り返った先には、少女によく似た顔を持つ、少年の姿があった。
ゲルダは双方から距離をとるようにゆっくりと後ずさり、その両手の形をゆっくりと変化させていく。
「……私に、何か用?」
不可解ばかりだ。彼らは何か、『マリー』が何なのか、ゲルダは何も知らない。
それでも、体内で震える程に警報が鳴っていた。
全身の毛が逆立つような、否応にも膝を折りたくなるような、不快感。
「怖がらないで!」
無邪気に笑みを浮かべる少女の足は、地表から離れふわふわと浮遊している。
「ボクたちは、君を殺したりしないからさ!」
いつの間にか少女の顔から、笑みが消えていた。
* * *
誰も居ない民家に、額に汗を浮かべたヨルが飛び込んだ。早まる心拍が、次第に収まっていく。
生命を感じた。同じ種族を、ここで感じた。
残り香がある。ここに、あの双子が居た。ヨルは確信していた。
「……」
様子を見る限り、軍は既にここを発っていたらしい。最悪の事態は逃れたと胸を撫でおろすが、内部の状況にヨルは眉を寄せていた。
彼はエリィに、この世界の先を託している。だからこそこの世界の未来に、『アレクシス』の手ではなく、人の手でもない力が介入することが、ヨルは何よりも許せなかった。
だからこそ自分やジェシカは、これまでの間、必要以上に『アレクシス』へ関与しなかったのだ。
不自然に積まれた木の枝と、破って包帯のように整えられた衣服。
そしてその傍に置かれた小さなバッグに、ヨルは見覚えがあった。
『今度また、私の栄養満点おにぎりあげるからね!』
そう言った彼女が、いつも自作おにぎりを詰めていたカバンだ。
「……まさ、か」
嫌な予感とは当たるものだ。ジェシカはよく、そう言っていた。
その言葉が脳裏をかすめた時、頭が考えるよりも先に、ヨルの体は動いていた。