示されていた道
「ヨルちゃ~ん!」
正面から駆け寄るゲルダの目的には、見当がついていた。
目の前で立ち止まり呼吸を整えるゲルダの額には、うっすらと汗が見える。
「エリィ見なかった? あの子ったら、勝手にどっか行っちゃって……!」
目的のエリィよりも先に、依然人型のまま街をふらついていたヨルを見つけてしまったらしい。
彼女の様子を見るに、民家の中に居たアルケイデア捜索班のほとんどが、彼を見つけるべく動いているのだろう。
「僕も、探していたところなんだ」
適当な嘘だ。それでも、ゲルダはヨルを信じて肩を落とす。
「そっかあ、じゃあ私、もう少しこの先を探してみる。ヨルちゃんも気を付けて……って、あれ?」
そこまで言って、ようやくゲルダはまじまじとヨルの姿を眺めた。腕を組み、頭の先からつま先まで。
人型の自分を見るのは珍しいことではないはずだが、こうしてまじまじと目にする機会を彼女に与えた覚えはない。居心地の良いものではなかったが、好奇心は誰にも負けないゲルダのことだ。満足するまでは、動かない方がいいだろうとヨルは苦笑する。
調子が良さそうで何よりだと、笑ってくれるのだろう。しかし、一通りの目視を終えた後、ゲルダは首をかしげて呟いた。
「……ヨルちゃん、何かすっきりしたことでもあった?」
「え……?」
「なんて言うのかな、もやもやしてたものが晴れたっていうか……。落ち着いた感じがする」
この少女は、どうも察しが良い。ジェシカが信頼を置いているだけのことはあるということか。
「…………そうだね」
ヨルはその言葉で、ようやく自分の中の閊えががとれたことに気づいた。
いつか言わなければならなかったことだ。伝えることで、どれ程の苦悩をエリィが背負うことになるのかも、容易に想像がついていた。
だからこそ、言い出すことが苦痛でしかなかった。
「救われたのは、僕だけなのかもしれないけど」
もう、エリィは動けないかもしれない。
それでも構わないとヨルは思う。
彼は『アレクシス』のことを、知識としてさえも持ち合わせていなかった、ただの少年なのだ。
これ以上、彼が苦しむことはない。このまま逃げ出してくれるのであれば、それでも構わない。
彼が戦う必要はないのだ。
来るべき時が来る。それだけのことなのだから。
「よくわかんないけど、ヨルちゃんが元気になったのならよかった! 今度また、私の栄養満点おにぎりあげるからね」
にこりと笑ったゲルダに、ヨルは肩をすくめた。
「気が向いたら頂くよ」
それは不満そうに頬を膨らませたゲルダに、ヨルは眉を八の字に曲げ、小さく声を出して笑った。
「おい、ミエーレの医者!」
現れたもう一つの声に、ヨルとゲルダが視線を向ける。
「ハイドラ王子!」
うっすらと隈の見える顔は、まさしくハイドラのものだ。彼は二人の傍まで近づくと、どこか不服そうに腕を組んだ。
「ステラリリアを知らねーか」
「ステラリリアって、ニーナのことだっけ。エリィの部屋で寝ていたはずですけど……」
「姿が無ェ」
ヨルの指先がぴくりと疼いた。
「ええ?! あの子だって、まだ本調子じゃないのに!」
「あの餓鬼だって居ねーんだろ。ったく、手間かけさせやがって」
ぞわぞわと指先から伝って、ヨルの体を悪寒が走りぬけていく。
その感覚に導かれるように、ゆっくりと視線を動かした。
「とにかく探さなきゃ。私はあっちを見るので、王子はむこう側を探してください!」
「俺に指図すんじゃねえ!」
「緊急事態ですよ! 細かいこと言っていられないでしょ!」
「そりゃそうだけどよ……」
すっかりゲルダのペースに飲まれてしまったハイドラは、調子が出ないと言いたげに頭を掻いた。
「ヨルちゃんも手伝……」
振り返ったゲルダは、ヨルの様子に首を傾げる。
「ヨルちゃん?」
その視線を追い、ゲルダは顔を動かした。
漆黒の街並みを覆う、満天の空。そこに、美しい煌めきが見える。
「流れ星……?」
夜空に輝く、一筋の光。流れ星にしては、滞空時間が長い。
その光が、徐々に巨大化していく。
同じように異変に気付いたハイドラの顔から、血の気が引いていく。
「違う! あれは――!!」
光の正体が炎だと気づく頃には、それはベテルギウスの地に到達していた。
「きゃあッ!」
耳を割く衝突音とそれに続く地響き。
炎は地面との衝突で更なる業火を上げ、ゲルダの立つ場所からは随分と離れた街中で、夜空へと黒煙を上げていた。
「何?!」
揺れに耐え切れず膝をついたゲルダは、目に映り込んだもう一つの変化に震えた。
月が、赤い。
「隕石、なのか……?!」
「これも、『アレクシス』が起こした天変地異?!」
爆風がゲルダの髪を逆撫でる。思わず目を閉ざしたゲルダは、一瞬目を開くことを躊躇った。目の前の現実を、受け入れたくなかったのだ。
「クソ、エリィの目が覚めた途端にこれか! どうすりゃいいんだよ!」
彼らに『アレクシス』を止める手はない。頭を抱え、必死に策を探すハイドラをしり目に、ヨルはエリィの姿を思い浮かべていた。
きっとエリィには、彼らを殺すことは出来ない。このままこの世界が終わったとしても、同じように彼らは死んでしまう運命だ。エリィがその十字架を背負う必要は無い。
「私たちに出来ることを探そう、王子!」
次に口を開いたのは、ゲルダだった。
「きっと出来ることがあるよ! なにか良い方法を探そう!」
「んなこと言われてもなあ!」
神の使いを謳う哀れな種族が、本物の神を前に何が出来るというのだろう。
しかしこのまま、黙ってダリアラの行為を見ているわけにはいかないはずだ。
ざわつく心を押し込んで、知恵熱が出そうな程にハイドラは頭を働かせた。
「殺してしまえばいいんじゃないかな?」
その回答は、ハイドラが導き出したものではない。
「お前……!」
異常に気付き、民家の外へと出たフランソワのものだ。
「正直、不思議に思っていたんだよね」
ハイドラの表情が歪んでいた。すぐ目の前に立ったフランソワは、心底不思議そうに首を傾げている。
「いくら『アレクシス』とはいえ、相手は君の兄。つまり、身体は人間だろう? なら身体の機能を停止させてしまえば、力も使えないし、この天変地異も止められるんじゃないかって思うんだけど」
「それは……」
ハイドラの反論は、そこで途絶えてしまった。
「兄は殺せないかい?」
「……!」
彼の反応が、フランソワの言葉を肯定していた。
王家の者として、相応の教養はあるハイドラのことだ。これまで一度たりとも、フランソワの言う考えが頭に浮かばなかったことはないだろう。
それでも彼がその方法を提案しなかった理由は、ダリアラが彼にとって実兄であること以外にない。
「自国の全ての民と、たった一人の兄を天秤にかけた時。どちらが傾くかは、言わずもがなじゃないかな」
「わかってる」
吐き捨てるような回答に、フランソワの眉が動いた。
「迷ってる時間はねェ。俺だってわかってんだよそんなこと」
兄は全ての民に恐怖を与え、世界諸共消え去ろうと考えている。対話は望めないと、ミエーレの地で悟ってしまった。
それでも、兄の笑顔がちらついてしまう。
その姿をかき消すように、ハイドラは大きく舌打ちを漏らして首を振った。
「くそったれが……ッ!」
顔を上げたハイドラが、くるりと振り返って声を上げる。
「ミエーレの医者! 今すぐ俺の部下をあの家に集めろ!」
「ええっ、私?!」
完全に傍観していたゲルダが目を丸くした。
「緊急事態だろうが! 従ってもらうぜ!」
同じような言葉を、つい先ほど聞いた気がする。それも、自分の声で。
「あ~~っ!」
これでは言い返す言葉などない。自分の言葉で彼らは動くのだろうかという不安はぬぐえないが、ゲルダの動き出しは早かった。
「わかりましたよお! 王子様たちも、早く戻ってきてね!」
駆けだした少女の姿が遠のいていく。これ程までの異常が起きれば、行方の知れないエリィもダリアラの元へ向かうだろうと踏んだのだ。
「僕の国民なんだけどな?」
「ウルセー、今は俺の家臣だ」
軽口を叩いたハイドラに視線を向けたフランソワが、そんな軽口の意味に気づいた。
「……ハイドラ」
「いい。お前が正しいんだ」
ハイドラの視線の先には、再び夜空に生まれた火炎の光が映り込んでいた。




